今日から、2週間前に歩いた松本~美ヶ原~霧ヶ峰~上諏訪のレポートを
掲載します。
ヨーロッパ縦断4000㎞を歩くなど、ヨーロッパのウオーキング事情に詳
しいカントリーウオーカーの「やまさん」こと山浦正昭さんが、日本にも外国
のウオーカーに歩いてもらえるウオーキングトレイルを作ろうと、3年前に、
日本海の新潟県名立町(現在は上越市)鳥ヶ首岬をスタートして、太平洋
は伊豆半島に向けての日本横断のコースづくりを始めた。
すでに3年間17日で、鳥ヶ首岬から妙高高原を通過して長野県に入り、
飯山、小布施、長野、白馬、大町などを経て、松本市まで到達している。
今年前半は、6月6日から8日にかけて松本~美ヶ原~霧ヶ峰~上諏訪の
実査をするというので、私も初参加した。
第1日は、松本駅から美ヶ原高原の中腹にある三城(さんじろ)牧場まで
の行程である。
2006年6月6日(火) 晴後雷雨 =松本駅~三城牧場=
10時過ぎ、JR松本駅東口を出る。気温は25℃前後か、少し蒸し暑い。
市の中心を流れる女鳥羽川沿いに出て、千歳橋を渡って「なわて通り」に
入る。細い通りの両側は古い家並みの商店が並ぶ。

小学生のグループが総合学習で、店の様子などを調べていた。

一つ南の中町通に回る。ここも白壁黒かわらの古い商家が並んでいる。
松本市美術館前を通過し、直進するとあがたの森公園に入る。

旧松本高校跡で、大正8年(1919)に建てられた木造校舎が残り、
その先には、旧制高等学校記念館がある。
記念館に入り、旧制高校の資料などを少しだけ見学した。東側一帯は池を
中心に緑の多い公園で、市民の憩いの場となっている。

松商学園高の横を抜けて薄川右岸の遊歩道に出る。小松橋の周辺では、
保育園の幼児がはだかになって川で遊んでいた。最近では珍しい光景だ。

橋からは上流に美ヶ原方面の山並みがよく見えるが、少し霞んでいる。

橋を渡り、左岸桜並木下の遊歩道に回る。次の金華橋近くには昔の街道の
名残だろうか、松並木が残っていて、この辺りを歌った万葉集巻十四の歌碑
が立っていた。

金華橋際には「長野県史跡 小笠原氏城跡」の説明板があり、大城とよばれ
た金華山城と小城の福山城のことが記されていた。
その城跡を目指して橋のそばに伸びている稜線にとりつく。
初めはジグザグに上がり、やがて赤松林に入る。ハルゼミのにぎやかな鳴き
声が、暑さを感じさせる。
東屋があり、そばに東城山遊歩道の解説板があった。さらに赤松林をゆる
やかに上がって行くと、三差路に出た。ここにも東屋がある。
右手を稜線に向かって上がって松風亭と記された大きな東屋に着く。ちょう
ど正午過ぎだったので、ハルゼミの声を聞きながら昼食をする。ここにも、
小笠原城跡の説明板が立っていた。

この辺りは山頂の平坦地で、一帯が小笠原城だったらしい。さらに東に進む
広い道がある。しかし、この先向かう橋倉は左手下になる。
周辺を見回したら、左手の松の木の下に道標があり、右書きで「化粧水
(池)」と記されていた。
道標に従い少しずつ下って行くと、三差路から来たらしい幅広の道に合す
る。すぐ下でアンテナ塔のあるヘヤピンカーブとなり、橋倉の公民館横に
下った。

対岸の山すそに広がる集落を見ながら集落を下ると、ブドウ畑が現れた。
薄川近くまで下って左岸山すその水路沿いに出た。北斜面なので、木陰が
暑さをさえぎってくれる。
次の船付集落には、中部電力薄川第一水力発電所がある。そばに百周年
記念広場が設けられていて、この発電所が、明治32年(1899)12月8日
に松本平に初めての明かりをともした歴史ある発電所であることが記されて
いた。

広場の隅には、古い水力発電機が展示されていた。
宮原集落の入口にある宮原神社で休憩、杉木立下の高台なので、川の方
からの風が涼しい、
集落の東側に小さい橋があったので左岸に渡り、竹之下公民館横から中村
集落へ。川沿いいには、大きなニセアカシアが多く、どれも白い花が花盛り
だった。
次の橋で再び左岸に戻る。橋の手前に温泉マークがあり、近くのバス停には
霞荘の看板があったが、それらしい建物は見あたらない。どうやら廃業した
らしい。

だんだん川から離れて高台に上がり、水力発電用の送水管の上を通過する。
対岸の三反田や上手町などの集落がよく見える。
一の海から小仏へと小集落を通過、次の大仏集落の分校前バス停そばに、
沢渡(さわど)商店という食料品や酒などを販売する店があった。薄川沿い
では最奥の店になるらしい。
最後の集落大和合(おおわご)集落に入る。松本駅からのバスの終点も
あった。近くには、寛政7年(1795)と刻まれた双体道祖神が小さな屋根
の下に納まっていた。
ゴロゴロと雷鳴が聞こえ、松本市街方面は黒い雲に覆われている。

薄川沿いまで下り、扉温泉へ直進する道に分かれ、手打そばやまべの横
から三城橋を渡って美ヶ原高原に向かう上りの車道に向かう。

ヘヤピンカーブを4つほど上がり、次第に大門沢が近づく。大きなキリが
みごとな花を見せていた。
大門沢のせせらぎを聞きながら緩やかな上りが続く。右手に、扉温泉へ通
じる林道があったが、通行止めになっていた。
藤見橋と白砂橋を過ぎ、城集落に入るころから、雷雨が本降りとなった。
納屋があったので入って雨を避け、雨具を着ける。
多少雨足が弱ったので納屋を出たが、宿までの1kmほどの間にかなり
濡れ、靴下も濡れた。
三城(さんじろ)牧場の一角にある、山荘ピリカに17時40分に着いた。
標高はおよそ1430mにある。今日の宿泊者は、われわれ2人だけだった。
白濁したぬるめの温泉につかり、汗をかいたあと雨で冷えた体を温める。
(距離 20km、地図(1/2.5万)松本、山辺、歩行地 長野県松本市)
掲載します。
ヨーロッパ縦断4000㎞を歩くなど、ヨーロッパのウオーキング事情に詳
しいカントリーウオーカーの「やまさん」こと山浦正昭さんが、日本にも外国
のウオーカーに歩いてもらえるウオーキングトレイルを作ろうと、3年前に、
日本海の新潟県名立町(現在は上越市)鳥ヶ首岬をスタートして、太平洋
は伊豆半島に向けての日本横断のコースづくりを始めた。
すでに3年間17日で、鳥ヶ首岬から妙高高原を通過して長野県に入り、
飯山、小布施、長野、白馬、大町などを経て、松本市まで到達している。
今年前半は、6月6日から8日にかけて松本~美ヶ原~霧ヶ峰~上諏訪の
実査をするというので、私も初参加した。
第1日は、松本駅から美ヶ原高原の中腹にある三城(さんじろ)牧場まで
の行程である。
2006年6月6日(火) 晴後雷雨 =松本駅~三城牧場=
10時過ぎ、JR松本駅東口を出る。気温は25℃前後か、少し蒸し暑い。
市の中心を流れる女鳥羽川沿いに出て、千歳橋を渡って「なわて通り」に
入る。細い通りの両側は古い家並みの商店が並ぶ。

小学生のグループが総合学習で、店の様子などを調べていた。

一つ南の中町通に回る。ここも白壁黒かわらの古い商家が並んでいる。
松本市美術館前を通過し、直進するとあがたの森公園に入る。

旧松本高校跡で、大正8年(1919)に建てられた木造校舎が残り、
その先には、旧制高等学校記念館がある。
記念館に入り、旧制高校の資料などを少しだけ見学した。東側一帯は池を
中心に緑の多い公園で、市民の憩いの場となっている。

松商学園高の横を抜けて薄川右岸の遊歩道に出る。小松橋の周辺では、
保育園の幼児がはだかになって川で遊んでいた。最近では珍しい光景だ。

橋からは上流に美ヶ原方面の山並みがよく見えるが、少し霞んでいる。

橋を渡り、左岸桜並木下の遊歩道に回る。次の金華橋近くには昔の街道の
名残だろうか、松並木が残っていて、この辺りを歌った万葉集巻十四の歌碑
が立っていた。

金華橋際には「長野県史跡 小笠原氏城跡」の説明板があり、大城とよばれ
た金華山城と小城の福山城のことが記されていた。
その城跡を目指して橋のそばに伸びている稜線にとりつく。
初めはジグザグに上がり、やがて赤松林に入る。ハルゼミのにぎやかな鳴き
声が、暑さを感じさせる。
東屋があり、そばに東城山遊歩道の解説板があった。さらに赤松林をゆる
やかに上がって行くと、三差路に出た。ここにも東屋がある。
右手を稜線に向かって上がって松風亭と記された大きな東屋に着く。ちょう
ど正午過ぎだったので、ハルゼミの声を聞きながら昼食をする。ここにも、
小笠原城跡の説明板が立っていた。

この辺りは山頂の平坦地で、一帯が小笠原城だったらしい。さらに東に進む
広い道がある。しかし、この先向かう橋倉は左手下になる。
周辺を見回したら、左手の松の木の下に道標があり、右書きで「化粧水
(池)」と記されていた。
道標に従い少しずつ下って行くと、三差路から来たらしい幅広の道に合す
る。すぐ下でアンテナ塔のあるヘヤピンカーブとなり、橋倉の公民館横に
下った。

対岸の山すそに広がる集落を見ながら集落を下ると、ブドウ畑が現れた。
薄川近くまで下って左岸山すその水路沿いに出た。北斜面なので、木陰が
暑さをさえぎってくれる。
次の船付集落には、中部電力薄川第一水力発電所がある。そばに百周年
記念広場が設けられていて、この発電所が、明治32年(1899)12月8日
に松本平に初めての明かりをともした歴史ある発電所であることが記されて
いた。

広場の隅には、古い水力発電機が展示されていた。
宮原集落の入口にある宮原神社で休憩、杉木立下の高台なので、川の方
からの風が涼しい、
集落の東側に小さい橋があったので左岸に渡り、竹之下公民館横から中村
集落へ。川沿いいには、大きなニセアカシアが多く、どれも白い花が花盛り
だった。
次の橋で再び左岸に戻る。橋の手前に温泉マークがあり、近くのバス停には
霞荘の看板があったが、それらしい建物は見あたらない。どうやら廃業した
らしい。

だんだん川から離れて高台に上がり、水力発電用の送水管の上を通過する。
対岸の三反田や上手町などの集落がよく見える。
一の海から小仏へと小集落を通過、次の大仏集落の分校前バス停そばに、
沢渡(さわど)商店という食料品や酒などを販売する店があった。薄川沿い
では最奥の店になるらしい。
最後の集落大和合(おおわご)集落に入る。松本駅からのバスの終点も
あった。近くには、寛政7年(1795)と刻まれた双体道祖神が小さな屋根
の下に納まっていた。
ゴロゴロと雷鳴が聞こえ、松本市街方面は黒い雲に覆われている。

薄川沿いまで下り、扉温泉へ直進する道に分かれ、手打そばやまべの横
から三城橋を渡って美ヶ原高原に向かう上りの車道に向かう。

ヘヤピンカーブを4つほど上がり、次第に大門沢が近づく。大きなキリが
みごとな花を見せていた。
大門沢のせせらぎを聞きながら緩やかな上りが続く。右手に、扉温泉へ通
じる林道があったが、通行止めになっていた。
藤見橋と白砂橋を過ぎ、城集落に入るころから、雷雨が本降りとなった。
納屋があったので入って雨を避け、雨具を着ける。
多少雨足が弱ったので納屋を出たが、宿までの1kmほどの間にかなり
濡れ、靴下も濡れた。
三城(さんじろ)牧場の一角にある、山荘ピリカに17時40分に着いた。
標高はおよそ1430mにある。今日の宿泊者は、われわれ2人だけだった。
白濁したぬるめの温泉につかり、汗をかいたあと雨で冷えた体を温める。
(距離 20km、地図(1/2.5万)松本、山辺、歩行地 長野県松本市)