あるきメデス

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JR東日本「駅からハイキング」で みなとまち八戸を歩く(青森)

2012-07-02 20:57:43 | JR東日本駅からハイキング
 2012年6月26日(火)

 「駅からハイキング」、3日目のテーマは「みなとまち八戸(はちのへ)、懐かしき
昭和を感じながらぶらり旅」、スタートはJR八戸線で八戸駅から四つ目の陸奥湊(む
つみなと)駅である。

 「イサバと朝市の陸奥湊」と書かれた駅前の小さな観光案内所で「駅からハイキング」
の受付をして、8時18分に出発した。駅前広場に「イサバのカッチャ」像がある。イ
サバとは魚商人で、カッチャはお母さんのことらしい。


 駅前の通りには、魚市場や鮮魚店、食堂、寿司店などが並んでいる。目の前の中央魚
市場に入ると、美味しそうで安い商品がたくさん並んでいた。




 それらの店を見ながら東に進み、Y字路を左折して港の方に向かう。八戸大橋に上が
る広い道路を横断して、館鼻(たてはな)漁港に出た。

 八戸大橋や港を整備中らしい大型クレーンが目につき、大漁旗を掲げた船も近くに停
泊している。


 港に沿って植栽のある遊歩道を進むと、観光案内所や産直品販売などをする「みなと
の駅」があったが、早いのか閉店していた。


 その角を右折して突堤にある八戸水産公社の建物のところに行く。建物の1階に、そ
ば処と「漁港ストア」と呼ぶ海産物などを売る店があったが、名前で想像するよりは小
さめの店舗だった。

 でも、日曜の日の出前から9時頃には、この周辺に約350店舗が出店し、多いとき
は3万人もの人出となる八戸市最大の「鼻岸壁朝市」が開催されるという。


 建物の北に回り、八戸大橋↑や大型クレーンの工事現場などを眺めながら戻るように
進む。昨年の東日本大震災の災害復旧工事の看板があり、この港も被災したことが知れる。

 長く伸びる漁業関係者のものらしい建物が終わると小さいドックがあり、竣工した漁
船の進水準備が進められていた。


 八戸大橋への取り付け道路下に、恵比須龍神社が立っている。漁業関係者の守り神の
ようだが、取り残されたように立つ社殿が、ちょっと淋しい感じだ。


 対岸に石油基地の林立する円筒形のタンクが近づき、港の奥には別の漁港の建物が見
える。



 正面の高台にそびえる展望塔を目指し、傍らにハマナスの咲く階段から館鼻公園に上
がった。そばに八戸海上保安部八戸信号所の、クリーム色の建物がある。

 公園の中心は、桜の杜(もり)広場と日和山広場。桜の杜広場はソメイヨシノが多く、
海側の展望が広がる。日和山広場には二つの銅像や三陸津波記念碑、慰霊観音忠魂碑な
ど八つの記念碑が立っていた。




 記念碑の背後には「グレットタワーみなと」と呼ぶ展望塔がある。平成19年4月に
オープンしたもので、展望塔の高さは概ね7階建て相当の24.2m、展望室の床の標
高は海抜47mだという。

 階段もあったが気づかず、エレベーターで上がると、眼下に八戸の臨海工業地帯や市
街地、港や八戸大橋などが一望できる。


 遠方には名久井岳、折爪岳、階上岳など周辺の緩やかな山容も望まれるが、展望写真
に記された八甲田連峰は霞がかって確認できなかった。


 一昨日、弘前など津軽地方で瓦屋根の家がほとんど見られないことに気づいたが、展
望塔から見下ろすこのあたりも、トタン屋根ばかりだった。


 展望塔を降り、次に向かう。公園の南には八戸測候所がある。近年、地方の測候所は
かなり閉鎖されたが、八戸は重要な漁港なので残されたのだろうか…。


 南側の住宅地に向かって緩やかに下り、途中で右折して細い路地に入る。右手に簡素
な社殿の八坂神社があり、ニレかと思われる大樹が、大きく枝を広げていた。


 神社の階段から、南側に大屋根の寺が見えたので回ってみる。浄土宗十王院で、寛文
7年(1667)の開山。本尊阿弥陀如来は八戸藩南部家から元禄15年(1702)
に拝領したという。

 本堂はコンクリート造り。本堂前から墓地が並び、墓地の一隅に天保2年(1831)
建立の徳本行者名号碑(とくほんぎょうじゃみようごうひ)が立っていた。


 徳本行者は和歌山県日高郡の人で、念仏の実践者として将軍家から庶民まで多くの支
持を得た江戸後期の名僧。紀州から江戸まで念仏行脚(あんぎや)し、江戸小石川の伝
通院(でんつういん)に住んだという。

 何年か前に熊野古道を歩いたとき、三重県尾鷲市(おわせし)で同じような名号碑を
見た記憶があり、この遠隔地の北東北にも縁があったのかと、認識を新たにした。


 少し先には数本の大ケヤキに囲まれた大佑神社があり、社殿の前に「大佑明神岩」と
呼ぶ大岩が祭られている。

 健保2年(1214)にこの地に着いた工藤大佑が、神勅により承久2年(1220)
神聖な岩を「磐座(いわくら)」として弁財天を祭った岩とのこと。以後、淋しかった
この村を、豊漁祈願により大漁をもたらし村人に喜ばれ、海上安全、大漁満足、商売繁
盛などの神として祭られているという。


 台地下に出て左折したところに、看板は「駒井酒造店」だが、安永4年(1775)
創業という八戸酒造のレンガ造り大きな建物が並び、軒先に大きな杉玉が下がる。さす
がここだけは瓦屋根である。


 予約しなかったので見学はできなかったが、入口の周辺だけをのぞかせてもらう。

 建物は、大正5年(1916)竣工の北蔵を始め、文庫蔵、西蔵、煉瓦蔵、主屋(お
もや)と煉瓦塀など、ほぼ大正年間竣工の姿を残して事業を継続していて、八戸市景観
重要建造物指定第1号で、国の登録有形文化財となっている。

 南側の交差点を右折して、新井田川の湊橋を渡る。両側には小型漁船がたくさん係留
されている。


 小中野(こなかの)バス停際に、古い木造の洋館が立っていた。大正6年(1917)
年頃、八戸商業銀行小中野支店としてに建てられ、その後平成元年まで燃料販売会社旭
商会の事務所として使用されたもの。


 国の登録有形文化財だが外観はかなり傷んでいて、修復の手立てはないものだろうか
と思う。

 南側の新湊橋からの通りを進んで、「駅からハイキング」のチェックポイントになっ
ている新むつ旅館に行く。


 木造二階建ての大きな建物。遊郭(ゆうかく)として明治31年(1898)に創業
し、昭和33年(1958)からは旅館として営業しているという。トイレを借りよう
と声をかけたら、おかみさんが案内してくれるというので上がる。


 ほぼ建設当時のままという室内、黒光りの階段や柱、二階の部屋や手すり、釘隠し飾
りなどに老舗らしい歴史が感じられる。


 遊郭時代の明治後記の、遊客名簿や写真も残されていた。手の込んだこの建物も、国
の登録有形文化財である。

 見どころはここで終わり、ゴールの駅に向かう。狭いスペースに立つ古峯神社前を通
過し、新湊橋を渡る。橋際に難波したらしい船が見える。東日本大震災で被災したのだ
ろうか…。


 港町らしい商店の並ぶ通りを進み、11時10分に陸奥湊駅前の観光案内所に着いた。
ゴールの受付を済ませ、上り列車の時間待ちの間にそばの魚菜小売市場に入り、魚の干
物などを求める。


(天気 快晴、距離 6㎞、地図 駅からハイキング用手書き地図、歩行地 八戸市、
 歩数 10,000)


 首都圏では見られなくなった旧国鉄塗色の、11時35分発ディーゼル列車に乗る。


 予定より早かったので、二つ先の本八戸駅で途中下車して、駅前の台地にある三八城
公園に行く。



 公園は八戸城跡に造られたもの。桜やツツジなど緑が豊富で、最高点には八戸城址碑
や消防組頭碑、八戸藩初代南部直房公碑などがある。





 その下に人口の滝や池、子どもの遊具などがあり、高台なので八戸市中心部の展望が
開ける。


 短時間で駅に戻り、次の上り列車で八戸駅に着く。急ぎ昼食を済ませ12時57分発
上り東北新幹線はやて26号で、次の目的地盛岡に向かった。


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