あるきメデス

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続カタツムリ歩行で浦和駅の東部を歩く(埼玉)

2015-04-20 10:23:42 | カタツムリ歩行
 2015年4月19日(日)

 続カタツムリ歩行の第23回例会に参加した。集合はJR京浜東北線の浦和駅。改札を
出た広い駅構内の一角に、サクラソウの鉢が並ぶ。
    

 さいたま市桜区にある「田島ヶ原サクラソウ自生地」は国の特別天然記念物で、今日は
自生地の桜草公園と、さいたま市役所とで「さくら草まつり'15」を開催中とか。ちな
みにサクラソウは、埼玉県とさいたま市の花である。
    

 10時ちょうどに東口を出た。駅前広場には「浦和のうなぎ」のパネルがあり、この駅
周辺にある、うなぎ料理店の地図が描かれていた。

 浦和のうなぎは江戸時代か続く伝統の味で、「岩槻の人形」「大宮の盆栽」と並び、市
の伝統産業に指定されているという。

 その先には、市内の古い写真とその説明パネルが並び、明治23年(1890)の旧浦
和駅停車場の写真もあった。

 浦和駅は、明治16年(1883)の日本鉄道上野~熊谷間の仮営業開始とともに、王
子・上尾間の駅として設置され、開業から間もない頃は2面3線の地上駅だったようだ。

 平成25年(2013)には湘南新宿ライン用のホームも設けられ、現在は高架上に3
面6線のホームが設置されている。


 線路に沿って南下して東高砂町に入り、まずは円蔵寺へ。大きな本堂の前に立つ、イチ
ョウの高木が淡い彩りを見せる。
      

 境内は緑豊富で落ち着いたたたずまい。寺の歴史などを記す説明板などはなかった。


 少しだけ線路沿いを進み、たくさんの鉢花の並ぶ民家の横を左折する。
    

 その先の民家ではヤマツツジが色鮮やか。


 東通りを横切り前地(まえじ)一丁目に入り、墓地の奥に祭られた改築新しい前地薬師
堂へ。

 この墓所は、天台宗別格本山吉祥寺の末寺のもので、昔、昌順阿闍梨(あじやり)の隠
居所としても使われ、疫病流行の際には隔離所にもなったという。

 墓地内右手には、薬師堂より小さな阿闍梨堂も祭られていた。
    

 墓地の横を北に少しで、柊稲荷社(ひいらぎいなりしゃ)の小さな社殿がある。
    
 かつて金庫が珍しかった時代に大きな金庫があったので、「金庫稲荷」と呼ばれていた
とか。この場所は私有地のようで、家人の許可無く入ることはできない。

 前地三丁目と太田窪(だいたくぼ)二丁目との境の道路に「籐右衛門川通り」の表示と
「旧跡 谷田千本桜 一本橋跡」の石碑が立ち、ツツジの植え込みの続くこの通りが、川
の流路だったことが知れる。


 太田窪二丁目から一丁目に回り、八雲神社に行く。開放的な境内で、拝殿前のアカマツ
のほかは植栽も少ない。境内東側には、不動明王、稲荷大明神、天満宮の3つの摂社も祭
られていた。


 鳥居のそばの狛犬が押さえているのは、さいたま市で盛んなサッカーボールだろうか…。
        

 神社の横を北進して原山中の横を進む。原山交差点に出て県道35号を右にすぐ先に、
小ぶりな社殿の原山稲荷神社が祭られていた。

 ここも県道を前にした開放的な狭い境内で、植栽は少ない。

 県道を北西に少し、次の国道463号バイパスの交差点を渡り、北側の駒場運動公園に
入る。国道側の補助競技場では、少年サッカーチームの試合中。


 その先には、メインの陸上競技場兼サッカー場の大きなスタンドがあり、ここでもサッ
カーの試合中のよう。

 この競技場は、埼玉スタジアムができる前は、サッカーJリーグ1部で現在首位を走る
浦和レッズの、ホームグランドだったという。

        
 補助競技場とメイン競技場に挟まれた辺りに「環」とよぶ彫刻があり、南側には試合関
係者の家族らしい人がたくさん休んでいた。


 公園の西側道路を挟み、大きなドームの建物が見えた。その方に出てみたら、「さいた
ま市青少年宇宙科学館」だった。


 公園内の若いヤエザクラが、ふくよかな花を見せる。


 県道を少し進み、運動公園の西側の蓮昌寺へ。広い境内は大きく伸びた広葉樹が多い。



 本堂前には日蓮聖人立像があり、鐘楼のそばのシャクナゲが花を見せる。
     

 石灯ろうの周辺ではツツジが咲き始めていた。


 県道35号を少し戻り、南側の一心寺に行くが、コンクリート造りの社殿の周囲に植栽
は少なく、寺院らしさはあまり感じられない。


 西側の変則四差路を東進、駒場一丁目を通過してゴールを目指す。


 市立浦和高と、市営浦和球場↑などのある浦和総合運動場の間を通過して、12時4分
に元町一丁目にあるゴールの八雲神社に着いた。

      
 社殿の前に2本の大イチョウが立ち、鳥居の横には、江戸時代の造立らしい石仏が数基
並ぶ。




 昼食後、記念撮影とミーティングを終え、12時45分頃散会となった。


(天気 曇、距離 5㎞、地図 浦和、歩行地 さいたま市浦和区、南区、緑区、歩数
 11,700)
 
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 散会後私は、南側の社寺を回って浦和駅に戻ることにした。

 神社の東側を南進して国道463号を越え、本太(もとぶと)小の東側にある本太氷川
神社へ。境内は豊富な新緑に囲まれ、古社らしいたたずまい。




 神社勧請(かんじよう)の年代は明らかでないようだが、慶安3年(1650)の建立
で県指定文化財の旧本殿と、お堂に乗せられた文安5年(1448)銘の、やはり県指定
文化財の宮殿が、境内に安置されている。

 旧本殿は、拝殿の左手奥にあるが、柵に囲まれ入口が施錠されていて入れなかった。

        
 境内には、「上を向いている神様は当神社だけです」と記された、ゑびすさまと大さ
まを祭る小さな「上向福徳神(うわむきふくとくじん)」もある。
    

 社務所のそばに立つクヌギの高木の芽吹きが始まり、その前のモミジは秋色のような彩
り。
      

 1本だけのヤエザクラは、間もなく満開になりそう。


 南側の本太二丁目には、この後回った延命寺の、観音堂だけのちょっと変わった社殿が
あった。植栽は全くなく建物だけのシンプルな境内だ。


 東進して国道463号バイパスを斜めに横断し、本太一丁目の山神神社へ。境内は狭い
が、社殿はりっぱな広葉樹に覆われている。
      

 鳥居の横には、まだ葉の出はじめのケヤキの高木がどっしりと構え立つ。
    

 緩やかに右カーブする道を進み、東側から南を回って西向きの延命寺に行く。

 大きな社殿だが背後に植え込みは無く、由緒などを記したものも見当たらない。

 西に向かい、駅近くを平行する新しい道路に惑わされて少し迂回し、最後の大善院へ。
足立百不動第33番霊場という社殿はコンクリート造り。


    
 本堂右手のボタンとツツジがよい彩りを見せ、左手前の小さな社殿のところには、ハナ
モモが咲き残る。

 駅に近いので、京浜東北線ホームのアナウンスが聞こえる。

 14時18分に浦和駅に戻った。食事後は、雨が時々パラパラしたが本降りにはならず、
傘の必要は無かった。

 帰路につく前、西口にも回ってみたら、先月、西側の別所沼公園で見たのより大きな、
さいたま観光大使の「浦和うなこちゃん」像が、「さくら草まつり」のうちわを持って立
っていた。
        

 (総行程 9㎞、歩数16,900)




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