あるきメデス

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練馬区立美術館で開催中の「小林清親展」へ(東京)

2015-04-16 22:46:30 | 美術館・博物館等の観覧
 2015年4月16日(木)

 今日は、東京・練馬区の練馬区立美術館で開催中の「小林清親(こばやしきよちか)展」
を観覧に出かけました。

 西武池袋線の中村橋駅に下りて、北側線路沿いに下り方向に3分ほどで会場です。




 美術館の手前、駅寄りの広場は「練馬区立美術の森 緑地」と呼び、天然芝を敷きつめた
緑地に、20種類、32体のファンタジーな動物の彫刻が並んでいました。
    
 この馬の足は大根のよう。ちなみに練馬区は、練馬大根の産地として知られています。

 ゴリラの横を北側に回ります。


 緑地の南側には、カラフルなワンちゃんが。



 ゾウさん横を左に折れ、階段を上がると美術館の入口です。



 入口近くには、こんな彫刻が…。


 観覧料は一般 500円、高・大学生と65~74歳 300円、中学生以下と75歳
以上は無料です。下はこの展覧会のリーフレット


 小林清親は弘化4年(1847)江戸、本所に生まれ、幕臣として伏見の戦いにも参戦
し、江戸開城を目の当たりにするなど、江戸の終焉を肌身に感じる青年時代を終わったよ
うです。
 
 明治9年(1867)、清親は江戸から変貌した東京の風景を、銅版画や水彩画を意識
し、光と影の表現を駆使した新しい感覚の木版画とした「光線画」を世に送り出しました。

 この新東京風景を次々に発表してセンセーショナルなデビューを果たすとともに、花鳥
画や静物画も発表したのですが、明治11年からは戯画、社会風刺画を描き、ジャーナリ
ズムとの関係も深めたようです。

 明治27年(1894)に日清戦争が始まると戦争画も手がけるなど、社会、風俗に応
じた浮世絵師としての仕事を全うしましたが、木版画の斜陽とともに50歳過ぎた頃から
は肉筆画にその活動の場を求めたとのこと。

 この展覧会は、大正4年(1915)の清親没後100年の記念展として、版画、肉筆
画、スケッチなど約280点により、総合的に回顧するのが目的のようです。

 館内は撮影禁止なので、リーフレット裏面に紹介されていた7枚の絵を切り出して紹介
します。小さい画面だったので画質はいまひとつですが、イメージをご理解いただければ
幸いです。


 「猫と提灯」 明治10年

    
     「駿河町雪」 明治12年

        
         「高輪牛町朧月景」 明治12年


 「明治十四年二月十一日夜大火 久松町二而見る出火」 明治14年頃
  
    
     「目を廻す器械 団団珍聞 508号」 明治18年

        
         「獅子図」 明治17年


 「写生帖」 明治41~42年 

 新東京風景では、江戸から東京に変わったばかりの新しい町並や風景、最新の乗り物、風
俗など、いまは想像できない当時の東京の様子がよくわかり、ほかの画家はあまり描かない
火事を描いてみたり、文字入りの戯画や風刺画で世相を批判し、さらに日清戦争の迫力ある
戦争画と、多彩な清親の画才に感心し、魅了されました。

 観覧を終えた後、美術の森緑地を一巡して、色々な方向からの彫刻も楽しみました。
        









        

            

 13時を過ぎたので駅北口の商店街で昼食をして、次の目的地に向かいました。そのレポ
ートは次回に…。 

 なお、練馬区立美術館での「小林清親展」は5月17日(日)まで開催中です。 




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