あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

信玄棒道・谷戸城跡・金生遺跡などを巡る(山梨)

2015-04-02 20:41:34 | カントリーウオーク
 2015年3月31日(火)

 「青春18きっぷ」の4回目を使い、山梨県北杜市(ほくとし)の旧跡を訪ねることにし
た。6時直前に自宅を出て、新秋津から西国分寺、立川、甲府、小淵沢で乗り継ぎ、10
時5分にJR小海線の甲斐小泉駅に下りた。


 甲府盆地のソメイヨシノは満開だったが、標高1,000mを超す駅の周辺はつぼみの
まま。この地、北杜市は、国蝶オオムラサキの全国一の生息地で、オオムラサキが市の昆
虫。それにちなみ、無人の駅舎はチョウのデザインが施されている。


 駅のそばに、近代的デザインの建物「平山郁夫シルクロード美術館」がある。


 駅前の車道を西に少しで「小荒間古戦場跡」碑が立ち、そばに、武田信玄が腰掛けたと
いう「信玄公御座石」が残されていた。
    

 天文9年(1540)、信濃の村上義清の軍勢3,500が押し寄せてきたとき、武田
晴信(信玄)が旗本を率いて勝利を得たところとか。これから向かうのは、その信玄が
軍用道路とした「上の棒道(ぼうみち)」である。

 道路の南側には、残雪の甲斐駒ヶ岳やアサヨ峰、わずかに顔を見せる北岳など、南アル
プス北面の連峰が見晴らせる。

       北岳        アサヨ峰      甲斐駒ヶ岳            


 甲斐小泉郵便局の正面壁面の掲示に誘われ、はがきを買って風景入日付印を押してもら
う。すぐ先、火の見やぐらのある三差路の南側の広葉樹林からは、「三分一(さんぶいち)
湧水」が湧き出ている。

 「日本名水百選」に選ばれている「八ヶ岳南麓高原湧水群」のひとつで、湧水量は1日
約8,500トンあり、水温は年間を通じて10℃前後という。


 下流の村々において湧水の利用をめぐって長年続いた水争いを治めるため、江戸時代に
湧水を3方向の村落に3分の1ずつ平等に分配できるようしたのが、湧水の名の由来とか。


 ここには2007年10月3日に、やまさんの「国際ウオーキングトレイル実踏」で訪
ねており、7年半ぶりの再訪。当日は、小海線の北側の信玄棒道を歩いたが、今日は南に
延びる上の棒道に向かう。

 湧水の東側、小荒間東集落を貫く車道を南東に下ると、峡北地方に残る唯一のものとい
う水車小屋があった。



 そばのY字路で車道は右に分かれ、小さな火の見やぐらのそばに西国三十三観音21番
の聖観音を刻んだ石碑が立ち、そこからが「上の棒道」である。
      

          
 その先にも20番観音立像があり、水道タンクの辺りからは林間となり、消火栓のある
Y字路で舗装路と分かれた。この先、棒道は緩やかなカーブはあるものの、ほぼ真っ直ぐ
に下る土の道となる。

 両側の林間には、別荘らしい建物が点々と見られる。両側に残るという観音石を探しな
がら進むと、頭部が折れた石の先に大きな松が立ち、下に11番観音がある。
      

 レインボーラインが棒道を横切るところには、観音像とは別の石碑が立つ。松林の中の
Y字路には8番観音像があり、傍らの木板に、かすれて読みにくいが背後に刻まれている
御詠歌が記されていた
          

     
 幾分別荘が増えた後、カラマツ林の入口付近には、5番観音像らしいのが立つ。棒道が
左から近づいた鳩川を渡る手前には、「嘉永2年(1849)」と読める観音像と数基の
石仏が集められていた。
        

 棒道はここまでで、車も通れるくらいの幅員があるが、鳩川を挟んで東側に平行する車
道があるので、車の通過は1台もなかった。

 宮上集落に入り、大泉道路を横断する。前方の展望が開け、富士山の上部がうっすらと
姿を現した。
                            金峰山  

 東側の集落の向こうには奥秩父の金峰山(きんぷさん)らしい残雪の山並みが望まれ、
南東には金ヶ岳と茅ヶ岳(かやがたけ)らしいピークが見える。

                 金ヶ岳    茅が岳


 集落の中ほどから東進して、体育館と思われる大きな建物の北側を通過する。泉中の校
舎の背後には、八ヶ岳連峰南面の長い稜線が広がる。南側の甲斐駒ヶ岳の上を飛行機が雲
を残して飛び去る。



 泉中に接した安楽寺に入る。本堂前に大きなシダレザクラがあるが、まだつぼみは小さ
い。りっぱな松など植栽の多い境内はよく手入れされ、本堂前には新しい「釈迦十三仏像」
が並ぶ。


 正午が近いので庫裡(くり)の前におられたご住職の奥様に断り、本堂前の階段で昼食
をさせてもらう。シダレザクラの見頃は、例年4月中旬ごろとのことだった。

 道路を挟んで南側にも寺の建物↓が見える。昼食後に回ったら「市指定文化財 安楽寺
天井龍の図」の標柱があるが、正面の扉は施錠されていて拝観はできない。


      庭のナンテンが、まだたくさんの実をつけていた。
     

 春霞が幾分減ったのか、富士山上部が午前中よりは見えるようになってきた。



 東に見える谷戸城山(やとじょうやま)(862m)↑に向かう。町屋集落の東に出ると
田園地帯となり、八ヶ岳南面の展望がいっそうよくなる。


 北面から谷戸城山に上がろうとしたら、手前右手に思いがけず、近年開館したらしい
「北杜市考古資料館」があったので、先に入館することにした(入館料200円)。


 2階建て建物には3つの常設展示室と企画展示室がある。


 常設展示室では、旧石器時代から縄文時代、弥生時代から平安時代、中世などの市内の
遺跡からの出土品、説明図版、これから訪ねる谷戸城跡の模型などが展示され、企画室で
は、北杜市のサクラの見どころなどの展示があった。


    

        

 南側一帯が、国史跡の谷戸城跡。谷戸城は、平安時代末期に逸見清光(1110~68)
が築城したと伝えられ、次の代では甲斐国の広い範囲を甲斐源氏が支配することとなり、
なかでも武田信義は平家討伐に功を上げ、戦国大名となる武田家の基礎を築いたという。

 城は、流れ山と呼ばれる小山に築かれ、山頂部の一の郭(くるわ)を中心に、二から五
までの郭を同心円状に配し、西側には館が置かれていたと想定される六の郭が広がり、各
郭の出入口は食い違い虎口(こぐち)が多用され、空堀は等高線に沿うように横堀が発達
しているという。


 北に広がる八ヶ岳をふり返りながら帯郭(おびくるわ)↓を入り、二の郭、三の郭の北
虎口を経て一の郭虎口を入り、一の郭を一巡した。





 城跡はよく整備されていて、土塁や虎口などの様子がよく分かる。


 南西側の松林に付けられた木の段を下り、「谷戸城跡入口」の小さな木標のところで城
跡を出た。


 東南に富士山、南に広がる田園地帯や南アルプスなどを眺めながら城南集落の西側を南
下する。


 三差路を東へ、火の見やぐらと公民館の城南分館前を進むと、「谷戸城入口」の標識が
あった。



 次の十字路を右折して田んぼの中を南へ緩やかに下る。


 広大な展望が広がり、行く手には霞む南アルプス北面、背には八ヶ岳連峰、そして東に
奥秩父の金峰山などの展望を楽しみながら進むと、金生(きんせい)公園のかやぶきの休
憩所があり、道路を挟んだ西側が、復元された国史跡「金生遺跡」である。


 金生遺跡は縄文時代の遺跡で、住居跡のほかに墓や祭祀場も発見されており、日常使わ
れた土器や石器のほか、祭祀に使われる道具が大量に出土し、焼けた獣骨も見つかったと
いう。

 遺跡には3棟の建物が復元されていて、その前にはたくさんの配石遺構が並んでいた。

 金生は金精(こんせい)から転じた名称か、入口には大きな金精石が立っている。


 さらに田園地帯を南へ向かう。行く手の林は深草遺跡だというが、標識はなく入るとこ
ろもなさそうなので寄らずに通過する。


      
 次の南新居集落にも火の見やぐらが残り、その下に「蠶玉大神」碑と「萬霊塔」が立ち、
隣接してこぢんまりした妙喜院が並んでいた。


 その通りを西進して大久保集落に入り、中央自動車道を須玉30号トンネルで南に抜け
る。建岡神社前の変則五差路を右に入り、長坂上条の住宅地を進んで、JR中央線の長坂
駅に15時13分に着いた。




 駅前の観光案内所を少しだけのぞき、階段を下って上りホームに下り、15時20分発
高尾行き上り電車に乗る。

(天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 小淵沢、谷戸、若神子、歩行地
 北杜市、歩数 20,000)




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コメント (4)
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