あるきメデス

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熊野古道中辺路を歩く⑦(熊野本宮大社~近露)

2008-12-03 21:25:13 | 熊野古道を歩く
 2008年10月29日(水)〈続き〉




 三越峠から、薄暗い杉木立の下を小さい流れのそばに下って湯川
王子へ。

 現在は杉林ばかりだが、「往時はここに上皇や女院の御所、貴族
の宿舎などが設けられた」と記されていた。


 湯川川を横断したすぐ先に、蛇形地蔵がある。熊野往還の人々が、
よくこの峠路でダルにとりつかれたので、この地蔵尊を建てて旅人
の遭難を防いだという。


 王子製紙社有林の表示の横から湯川川の支流の右岸沿いとなる。
京都の芸者、おぎんが追いはぎに襲われて命を奪われ、土地のもの
が哀れんで建てたというお銀地蔵を過ぎて沢を離れ、上り道となる。

 林道を横断、さらに上がっが岩神峠(655m)は岩神王子跡だが、
自然石の標石が立つのみ。


 急坂を能瀬川に下り、仲人茶屋跡のところで林道を横断する。
樹林の切れ目からは、急斜面の杉林が望まれる。



 その先は石段などの急な上りとなり、わらじ峠へ出る。一里塚跡
を通過し、間もなく熊瀬川王子。やはり林の中に自然石の標石だけ
だった。杉木立の下のアップダウンが続く。


 少し先に、石屋根の小さな地蔵と休憩舎の東屋がある。


 車道に出て、その車道を少しショートカットして小広峠へ。峠付近
からは舗装道路となった。民家の前に小広王子跡の説明板のみが
立つていた。


 16時半近くなったが、まだ先が長い。幸い携帯電話も通じたので
宿へ現在地を連絡し、少し遅くなることを伝える。

 あとは舗装路の下り道だが、日没が気になるので先を急ぐ。


 斜面の向こうに太陽が隠れたが、南側は緑の山並みが広がる。


 中川王子跡を過ぎ、上地集落に入ると、平安時代の陰陽(おんみ
よう)師・安倍晴明腰掛け石というのが、民家の傍らにあった。

 上地集落の一番高所を走る細い旧道を上がり、秀衡桜に着く。

 奥州の藤原秀衡が、杖にしていた桜を突き刺したのが成長した
ものとか。このあたりでかなり暗くなった。そばに、趣ある休み処
があった。


 横にある継桜王子社には、太い杉が数本立つていたが、暗くな
り枝振りなどは確認できない。フラッシュをたいて王子社だけ撮る。


 方杉(ほうさん)集落から道中集落へと足を速め、ときどきライトも
つけて道を誤らぬよう確認する。比曽原王子に急ぎ参拝した。

 ようやく近露(ちかつゆ)集落に入り、近野中の先を下って18時
5分に、旅館たかだに着いた。

 熊野本宮大社を出たのが8時半だったのが響き、すっかり暗く
なってしまった。アップダウンの多い長丁場なので、7時台のスタ
ートが必要だったと反省する。

[コースタイム]熊野本宮大社8・34ー三軒茶屋9・17ー伏拝王子
9・50~10・00ー水呑王子10・35~38ー発心門王子11・02~22
ー猪鼻王子11・37~40ー船玉神社11・50~52ー道ノ川(55標識)
12・34ー三越峠(昼食)13・03~28ー湯川王子13・47~52ー蛇形
地蔵14・00~05ーおぎん地蔵14・29ー岩神王子15・10~16ー
仲人茶屋跡15・37ー能瀬川王子16・14~17ー小広王子16・30ー
中川王子16・58ー秀衡桜17・10ー継桜王子17・15~20ー比曽原
王子17・35ー近露・旅館たかだ18・05

(天気 晴、距離 24㎞、地図(1/2.5万) 伏拝、発心門、皆地、
 栗栖川、歩行地 田辺市(旧本宮町、中辺路町)、歩数
 43,300)
コメント (2)
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