あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道ふた旅(前半)・愛媛その5

2007-02-01 18:23:45 | 四国遍路道ふた旅
 2007年を先日迎えたと思ったら、早くも1か月が済んで
しまいました。それにしても1月は、昨年とは大違いの暖かさ。
所沢もこの冬、まだ降雪はありません。

 2度目の四国遍路前半、最終日のレポートです。後半は、
今月中旬に再開し、3月上旬に88番大窪寺での結願を目指
す予定です。

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 第27日 2006年12月7日(木) 雨
 =内子駅で前半の区切り=



 6時20分起床、7時に朝食。昨夜、毎日の行程をブログに
投稿していることを話したら、宿の若ご主人が早速探したよう
で、『もしかして「あるきメデス」がそうではないですか』と問わ
れた。

 四国遍路前半の最終日は雨になった。雨支度をして7時49
分にときわ旅館を出る。

 出発前、マスク、竹炭入りカイロ、ばんそうこう、まち針、あめ
などの入った袋と、次の44番大宝寺までの宿の入った「遍路
道中案内地図」をいただいた。

 大洲の中心街を抜ける国道56号を北へ向かう。歩道はある
が、トラックのしぶきを浴びぬよう、出来るだけ車道から離れて
進む。

 両側は、スーパー、電気、薬、本、衣料、レストランといった
チェーン店など、比較的大規模な商店が途切れなく続いている。

 それらの店が少なくなった頃、右手にガスに霞む円錐形の山
が見えてきた。

 その名も富士山、標高319.6mだから、日本一の富士山の
10分の1に満たないが、均整のとれた山容だ。

 松山自動車道大洲ICへの進入路際、交通量の多い道路に面
し、別格霊場十夜ヶ橋(とよがはし)永徳寺がある。

 弘法大師が、日が暮れたが泊まるところが無いので橋の下で
1夜を過ごしたが、夜明けまでが長く、10夜にも感じたという
ところ。

 橋の下に、弘法大師の寝姿の石像が祭られている。雨の中、
自転車で参拝に来られた地元の奥様から、あめ玉のお接待を
いただいた。


 1.5㎞ほど先で、松山自動車道をくぐり、JR予讃線の北側
の旧道に入る。ガスが低く垂れ込め、山すそまで下りてきた。



 新谷(にいや)の町並みを進むと、商店の一角が遍路無料接
待所になっている。休ませてもらい、お茶をいただいた。


 家並みがほぼ終え、国道に合するところには、神南(かんな
ん)堂と呼ぶ遍路休憩所の東屋がある。


 国道を1.5㎞ほど進み内子町へ。五十崎(いかざき)駅の
近くで国道に分かれて北側に入る。

 少し進むと幅広い草の道となり、気持ちよい遍路道が1㎞
ほど続く。


 車道に出て緩やかに下ると、町営の運動公園。野球場や
テニスコート、陸上競技場などがあり、池のほとりで、色鮮や
かなモミジの紅葉が雨に濡れていた。


 高架になっているJR予讃線内子駅に11時10に着いた。
ここが、区切り打ち前半のゴールである。濡れた雨具をビニ
ール袋に納め、白衣や菅笠を脱いだ。

 帰宅する明日までの通しきっぷをジパング割引で購入し、
内子駅11時41分発特急宇和海に乗る。松山駅で途中下車、
構内で昼食をして、1時間余り後の特急しおかぜ20号に乗り、
岡山駅に15時57分に着いた。

 迎えに来て下さった車で、Iさん宅に行く。Iさんとは、30数年
前、東京・霞ヶ関の職場が一緒、四国遍路の先輩でもある。

 奥様が、前半の区切りを祝い炊いて下さった心づくしの赤飯
や、珍しく入手したというシャコなどの夕食をごちそうになりな
がら、遍路の思い出や、職場の昔話などに話が弾んだ。

(コースタイム〉ときわ旅館7:49ー十夜ヶ橋永徳寺8:30~9:00
ー山宝炭店無料接待所9:35~54ー五十崎の遍路道へ10:34
ーJR内子駅11:10

(距離 11㎞、地図 大洲、歩行地 大洲市、内子町、歩数
 18,400)
     
 ちなみに、今回の歩行日程は26日(初日と最終日は半日)、
歩行距離731㎞(1日平均28.1㎞)でした。    〈前半完〉
コメント (2)
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