風も治まって暖かくなり、所沢市内でのしだれ桜の名所、小手指町の砂川堀沿い
では、かなり開いたしだれ桜も見られました。
以下は、昨年春の奈良・吉野山の蔵王堂拝観と観桜ウオークの模様です。
05年4月18日(月)
京都のビジネスホテルを出て、近鉄京都駅7時41分発急行に乗る。乗換の橿原
神宮前駅で昼食用の柿の葉寿司を購入、近鉄吉野線終点の吉野駅に9時53分に
着いた。
ロープウェイの乗り場横にある幣掛(しでかけ)桜と呼ぶ、八重と一重とが交じって
咲く、珍しい桜があり、満開だった。
モミジや山桜が多い遊歩道、ウグイスのさえずりを聞きながら上がり、大橋と呼ぶ
朱塗りの橋の横に上がる。南朝の防御陣、城でいう空堀にあたる場所だという。
この辺りが吉野山の下千本だが、山桜の花どきはほぼ終わっていた。
稜線上の車道の両側は、葛もち、吉野葛、コンニャク等の店が並び、呼び込みの
声がにぎやかだ。 高麗風の門、黒門を過ぎると道が狭まり、柿の葉寿司や葛菓子、
吉野和紙などの店が増える。
国の重文で日本三鳥居の一つ、銅(かね)の鳥居と呼ぶ大きな鳥居を過ぎ、旅館や
民宿が並ぶ。正面石段上に大きな仁王門が見えてきた。高さ20m、北向きの門を
くぐり、金峯山寺(きんぷせんじ)境内に入る。
修験道の根本道場で、修行者の修行の地、本堂にあたる蔵王堂(国宝)に上がり、
天正20年(1592)以来、初めて特別ご開帳中の、日本最大の秘仏、金剛蔵王権現
(国宝)を拝観する。
蔵王道の西側は、後醍醐天皇の行宮(あんぐう)だった吉野朝宮址、三層の新しい
南朝妙法殿が立ち、周辺の山桜が見ごろである。
さらに、郵便局や桜香、吉野葛、奈良漬けの店などを見ながら進み、義経ゆかりの
吉水神社への下り道を過ぎる。三差路にある勝手神社は、静御前が追っ手に捕らえ
られ、請われて舞を舞ったところだが、社殿は2001年の不審火で焼失していた。
竹林院に入り、大和三庭園の一つ、群芳園(ぐんぽうえん)を拝観する。秀吉が吉野
桜観桜の際、千利休が築造したという室町時代の遺構を残す回遊式庭園、満開の
しだれ桜やモミジの若葉の間を縫って頂上に上がり、展望も楽しんだ。
さらに上がって吉野山上の千本へ。見ごろな山桜が一面を覆い尽くし、行楽客も
増えてきた。花の下にシートを敷き、花を愛でながら柿の葉寿司をおいしく味わった。
満開の桜並木の先にあった花矢倉展望台に上がる。眼下の上千本の桜、中千本を
経て蔵王堂に至る稜線上の家並みや、桜、杉、新緑、それをとりまく山並みの大展望
は絶景であった。
少し先に吉野水分(みまくり)神社がある。社殿は豊臣秀頼の再建、中庭にはしだれ
桜など、花盛りの桜数本が競って咲いていた。
車道横の急坂を標高702mの高城山(たかぎやま)に上がる。山頂付近は山桜が
見頃だった。
古い石塔などの並ぶ道を進んで金峯(きんぷ)神社に着いた。吉野山の総鎮守で、
修験者の荒行で知られる大峰奥駈け道の入口がある。
杉木立の間を上り下りして、奥千本まで行く。少しだけの平坦地に、鎌倉時代始め
に西行法師がわび住まいした西行庵が残っていた。山桜は少し早めの感じ。
帰路は右手に回り込み、苔清水と呼ぶ清水の横を通り金峯神社に戻り、一部は
往路とは別の道を下り、16時57分に吉野駅に戻った。
好天に恵まれ、見ごろの吉野桜をたっぷり堪能し、金峯山寺の秘仏も拝観でき、
大満足の一日であった。
(距離 11㎞、地図(2万5千分の1)吉野山、新古)
〈追記〉もう少し詳しい紀行文を、15日発売の雑誌『新ハイキング』4月号に投稿
してあります。この号は、「春の花々を探しに」という特集で、ほかにも桜、カタクリ、
ミズバショウ、ヤシオツツジなどの咲く山の紀行文も掲載しています。
興味がありましたら、まず書店でご覧になって下さい。
では、かなり開いたしだれ桜も見られました。
以下は、昨年春の奈良・吉野山の蔵王堂拝観と観桜ウオークの模様です。
05年4月18日(月)
京都のビジネスホテルを出て、近鉄京都駅7時41分発急行に乗る。乗換の橿原
神宮前駅で昼食用の柿の葉寿司を購入、近鉄吉野線終点の吉野駅に9時53分に
着いた。
ロープウェイの乗り場横にある幣掛(しでかけ)桜と呼ぶ、八重と一重とが交じって
咲く、珍しい桜があり、満開だった。
モミジや山桜が多い遊歩道、ウグイスのさえずりを聞きながら上がり、大橋と呼ぶ
朱塗りの橋の横に上がる。南朝の防御陣、城でいう空堀にあたる場所だという。
この辺りが吉野山の下千本だが、山桜の花どきはほぼ終わっていた。
稜線上の車道の両側は、葛もち、吉野葛、コンニャク等の店が並び、呼び込みの
声がにぎやかだ。 高麗風の門、黒門を過ぎると道が狭まり、柿の葉寿司や葛菓子、
吉野和紙などの店が増える。
国の重文で日本三鳥居の一つ、銅(かね)の鳥居と呼ぶ大きな鳥居を過ぎ、旅館や
民宿が並ぶ。正面石段上に大きな仁王門が見えてきた。高さ20m、北向きの門を
くぐり、金峯山寺(きんぷせんじ)境内に入る。
修験道の根本道場で、修行者の修行の地、本堂にあたる蔵王堂(国宝)に上がり、
天正20年(1592)以来、初めて特別ご開帳中の、日本最大の秘仏、金剛蔵王権現
(国宝)を拝観する。
蔵王道の西側は、後醍醐天皇の行宮(あんぐう)だった吉野朝宮址、三層の新しい
南朝妙法殿が立ち、周辺の山桜が見ごろである。
さらに、郵便局や桜香、吉野葛、奈良漬けの店などを見ながら進み、義経ゆかりの
吉水神社への下り道を過ぎる。三差路にある勝手神社は、静御前が追っ手に捕らえ
られ、請われて舞を舞ったところだが、社殿は2001年の不審火で焼失していた。
竹林院に入り、大和三庭園の一つ、群芳園(ぐんぽうえん)を拝観する。秀吉が吉野
桜観桜の際、千利休が築造したという室町時代の遺構を残す回遊式庭園、満開の
しだれ桜やモミジの若葉の間を縫って頂上に上がり、展望も楽しんだ。
さらに上がって吉野山上の千本へ。見ごろな山桜が一面を覆い尽くし、行楽客も
増えてきた。花の下にシートを敷き、花を愛でながら柿の葉寿司をおいしく味わった。
満開の桜並木の先にあった花矢倉展望台に上がる。眼下の上千本の桜、中千本を
経て蔵王堂に至る稜線上の家並みや、桜、杉、新緑、それをとりまく山並みの大展望
は絶景であった。
少し先に吉野水分(みまくり)神社がある。社殿は豊臣秀頼の再建、中庭にはしだれ
桜など、花盛りの桜数本が競って咲いていた。
車道横の急坂を標高702mの高城山(たかぎやま)に上がる。山頂付近は山桜が
見頃だった。
古い石塔などの並ぶ道を進んで金峯(きんぷ)神社に着いた。吉野山の総鎮守で、
修験者の荒行で知られる大峰奥駈け道の入口がある。
杉木立の間を上り下りして、奥千本まで行く。少しだけの平坦地に、鎌倉時代始め
に西行法師がわび住まいした西行庵が残っていた。山桜は少し早めの感じ。
帰路は右手に回り込み、苔清水と呼ぶ清水の横を通り金峯神社に戻り、一部は
往路とは別の道を下り、16時57分に吉野駅に戻った。
好天に恵まれ、見ごろの吉野桜をたっぷり堪能し、金峯山寺の秘仏も拝観でき、
大満足の一日であった。
(距離 11㎞、地図(2万5千分の1)吉野山、新古)
〈追記〉もう少し詳しい紀行文を、15日発売の雑誌『新ハイキング』4月号に投稿
してあります。この号は、「春の花々を探しに」という特集で、ほかにも桜、カタクリ、
ミズバショウ、ヤシオツツジなどの咲く山の紀行文も掲載しています。
興味がありましたら、まず書店でご覧になって下さい。