パリーク開幕の今日、インボイス西武ドーム球場への乗換駅、西武鉄道西所沢駅の
ホームは、荒川静香選手の始球式を見に行く?大勢の人で、あふれていました。
私は、反対の池袋行き電車に乗り、地図愛好グループの野外例会で、赤坂見附周辺
を散策してきました。
今日の地図は、尾張屋清七版赤坂絵図と国土地理院発行の1万分の1地図です。
まず、一ツ木通りの西斜面を上がって威徳寺に行きました。赤坂不動で知られ、
不動尊は社殿の前に鎮座していました。
背後に抜けると旧赤坂小跡、ここは、大岡越前守の屋敷があったところです。
旧厚木街道の牛鳴坂から青山通りの北側の豊川稲荷に回ります。色鮮やかな桜が
かなり咲いていました。
豊川稲荷は、もとは大岡越前守の屋敷にあったのを、明治時代にこの地に移設した
そうです。
私は、2月24日にも寄ったのですが、本殿にあった新宿末広亭が昭和32年
(1957)に奉納した掲額や、大岡越前守の御廟など、気づかなかったものもあり
ました。
青山通りを西に進むと、高橋是清記念公園があります。高橋は、日本金融界の重鎮で、
首相、蔵相を務め、昭和11年(1936)の2・26事件の日、自宅のあったこの地で暗殺
されたのです。公園の隅に、高橋是清像がありました。
ドイツ文化会館前を通過し、斜度の良く分かる薬研坂の中間を横切り、円通寺に
寄りました。境内の大部分は大きなビルに占有され、入口の横に時を告げたという
時の鐘の鐘楼がありました。
赤坂パークビル前を通過し、一ツ木公園に入りました。高台にあり、西と南側に
かなり落ち込んでいます。公園のソメイヨシノが2~3分咲きでした。
公園に接する隣の下水道局の壁面に、拡大したこの辺りの絵図があり、主な旧跡の
説明も記されていました。
そばの三分坂を下った右手は、江戸時代の大関・雷電為右衛門の墓のある報土寺
です。寺の築地塀は、坂に合わせて造られており、坂の傾斜がよくわかります。
店の隅に勝海舟邸跡の標柱の立つ三差路を曲がって氷川坂を上がり、赤坂6丁目の
氷川神社に入りました。
樹木の多い境内に鎮座する社殿は、享保15年(1730)、8代将軍吉宗が建立したもの。
石の鳥居の台座には、地図ファンには必見の明治初期の水準点が刻印されていました。
うっそうとした境内には太いクスノキやイチョウなどがありますが、とりわけ都天然
記念物のイチョウは、幹周約7.5m、推定樹齢400年の巨樹で、太い乳根が幾つも
下がっていました。
境内には、包丁塚、溶岩の上に乗った狛犬、近くに住んでいた勝海舟が名付けた
四合(しあわせ)稲荷神社など、ほかにも見るべきものがありました。
北東に進んだ旧氷川小跡は、勝海舟邸跡でもあったところで、「勝安芳邸跡」の標石
が立っていました。
氷川小跡の氷川公園で最後の休憩をしました。もとは淺野内匠頭などの屋敷があった
ところです。
東京メトロ赤坂駅で解散し、錫杖を持った銅造の地蔵菩薩座像のある浄土寺に寄り、
赤坂見附駅に戻りました。
今日回った赤坂界隈は、ほんのわずかなエリアですが、江戸の歴史を残す寺が多く、
その地名の通り坂の多い町であることもよくわかり、あわせて、江戸切り絵図上の
道路がほとんどそのまま残っていることも認識できました。
ホームは、荒川静香選手の始球式を見に行く?大勢の人で、あふれていました。
私は、反対の池袋行き電車に乗り、地図愛好グループの野外例会で、赤坂見附周辺
を散策してきました。
今日の地図は、尾張屋清七版赤坂絵図と国土地理院発行の1万分の1地図です。
まず、一ツ木通りの西斜面を上がって威徳寺に行きました。赤坂不動で知られ、
不動尊は社殿の前に鎮座していました。
背後に抜けると旧赤坂小跡、ここは、大岡越前守の屋敷があったところです。
旧厚木街道の牛鳴坂から青山通りの北側の豊川稲荷に回ります。色鮮やかな桜が
かなり咲いていました。
豊川稲荷は、もとは大岡越前守の屋敷にあったのを、明治時代にこの地に移設した
そうです。
私は、2月24日にも寄ったのですが、本殿にあった新宿末広亭が昭和32年
(1957)に奉納した掲額や、大岡越前守の御廟など、気づかなかったものもあり
ました。
青山通りを西に進むと、高橋是清記念公園があります。高橋は、日本金融界の重鎮で、
首相、蔵相を務め、昭和11年(1936)の2・26事件の日、自宅のあったこの地で暗殺
されたのです。公園の隅に、高橋是清像がありました。
ドイツ文化会館前を通過し、斜度の良く分かる薬研坂の中間を横切り、円通寺に
寄りました。境内の大部分は大きなビルに占有され、入口の横に時を告げたという
時の鐘の鐘楼がありました。
赤坂パークビル前を通過し、一ツ木公園に入りました。高台にあり、西と南側に
かなり落ち込んでいます。公園のソメイヨシノが2~3分咲きでした。
公園に接する隣の下水道局の壁面に、拡大したこの辺りの絵図があり、主な旧跡の
説明も記されていました。
そばの三分坂を下った右手は、江戸時代の大関・雷電為右衛門の墓のある報土寺
です。寺の築地塀は、坂に合わせて造られており、坂の傾斜がよくわかります。
店の隅に勝海舟邸跡の標柱の立つ三差路を曲がって氷川坂を上がり、赤坂6丁目の
氷川神社に入りました。
樹木の多い境内に鎮座する社殿は、享保15年(1730)、8代将軍吉宗が建立したもの。
石の鳥居の台座には、地図ファンには必見の明治初期の水準点が刻印されていました。
うっそうとした境内には太いクスノキやイチョウなどがありますが、とりわけ都天然
記念物のイチョウは、幹周約7.5m、推定樹齢400年の巨樹で、太い乳根が幾つも
下がっていました。
境内には、包丁塚、溶岩の上に乗った狛犬、近くに住んでいた勝海舟が名付けた
四合(しあわせ)稲荷神社など、ほかにも見るべきものがありました。
北東に進んだ旧氷川小跡は、勝海舟邸跡でもあったところで、「勝安芳邸跡」の標石
が立っていました。
氷川小跡の氷川公園で最後の休憩をしました。もとは淺野内匠頭などの屋敷があった
ところです。
東京メトロ赤坂駅で解散し、錫杖を持った銅造の地蔵菩薩座像のある浄土寺に寄り、
赤坂見附駅に戻りました。
今日回った赤坂界隈は、ほんのわずかなエリアですが、江戸の歴史を残す寺が多く、
その地名の通り坂の多い町であることもよくわかり、あわせて、江戸切り絵図上の
道路がほとんどそのまま残っていることも認識できました。