あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

春の中山道木曽路④ 福島~薮原~奈良井

2006-03-09 22:05:39 | 中山道を歩く
 1週間近く中断しましたが、中山道木曽路の続きです。

04年4月22日(木)
 今朝も快晴、気温7度と冷え込んだ。7時にむらちやを出て、近くの駐車場で
体操をして出発した。

 古い民家の前の水おけから二筋の水が流れる「上の段の清水」の先に、復元
した福島宿の高札場があった。

 高札場の前で、今日のメンバーが揃って記念撮影をする。

 JR中央本線の線路際を進んで、福島関所跡に行く。ここも、木の柵や東門
などが復元されていた。

 車の多い国道歩きを避け、関所橋を渡って木曽川右岸に回る。
 しだれ桜の花が残り、木曽義仲の墓があるという興善寺や、木曽福島郷土館
前を通過し、黒川ダムの南端を回る。

 上野集落では、山すそでキジが鳴いた。荒神橋を渡り、国道の西に平行する
中山道に戻った。

 木曽義仲の学問の神として勧請(かんじょう)した手習天神を過ぎ、木曽川の
支流、正沢川の人道橋を渡る。

 しだれ桜、ソメイヨシノ、レンギョウなどが花盛りの里の十字路に、「中山道
中間点」の標識があった。江戸と京都の中間点である。

 原町駅前を通過、三沢集落では土手にツクシがたくさん並び、水仙も花盛り。
間もなく宮ノ越宿、どの家にも、呉服屋、信濃屋、吉丸屋など、江戸時代からの
屋号が掲げてあった。

 明治天皇御前水、木札だけの脇本陣、本陣跡などを過ぎ、宮ノ越駅近くの
義仲橋を渡って義仲館へ回る。

 宮ノ越宿のある日義村は、木曽義仲ゆかりの地、館内には、義仲の生涯を
描いた絵や、人形、資料などが展示されていた。
 そばにあるのが義仲の菩提寺・徳音寺、山門前の桜が見ごろだった。

 のどかな里道を進むと、カラマツが芽吹き、桃、タンポポなどが花盛り。

 山すその集落、徳音寺を抜け、巴橋を渡り、橋のたもとで休憩。橋の下は、
ここに住んでいた龍が、巴御前に化身したという伝説の地、この辺りも春の花
が咲き競っていた。
 
 山吹橋を渡り、キブシの咲き出した旧道を一部迂回し、国道と木曽川対岸を
回ったりして薮原駅に着き、待合室を借りて昼食をした。

 薮原宿もソメイヨシノやしだれ桜が満開、町外れの飛騨街道分岐点から、
いよいよ鳥居峠への上りが始まる。

 やわらかな新緑のカラマツ林に入ると、「熊にご注意」の張り紙があり、熊
よけの鐘も吊されていた。

 汗をかきながらジグザグに上がって行くと、さわやかな風が通るようになり、
丸山公園に着いた。

 御嶽山遙拝所があるので上がったが、霞んでいて御嶽山は見えなかった。

 トチの大木が並ぶ山道をトラバースして行くと、中利(なかとし)茶屋跡。
りっぱなログハウスが出来ていたので休憩する。鳥居峠頂上の標識があり、
行く手の奈良井宿が見下ろせる。

 谷間を下って行くと、鳥居峠古戦場の標識があった。天正10年(1582)
木曽義仲が武田勝頼軍を破ったところだという。
 ヒトリシズカやキケマンの咲く道を少しずつ下り、石畳を過ぎて車道に出る。

 鎮(しずめ)神社の先から奈良井宿に入る。江戸時代に戻ったような古い
家並みが続き、ところどころに屋根付きの小屋から清流が勢いよく流れ出る
水場がある。

 この町並みも国の伝統的建造物保存地区に選定されている。
 鍵の手と呼ぶ曲がり角を経て、15時50分、中町にある伊勢屋に着いた。

 間口は狭いが奥行きが長い。中庭を通って奥の建物の2階に荷を下ろした。
 それにしても、今日は本当に暑かった。宿の温度計はまだ28度だから、日中
は30度を越えたらしい。

 夕食は、木曽路らしい野菜やキノコ、煮物、そばなどの郷土料理がたくさん
並び、おいしくいただいた。  (距離 22㎞)

 
 
 
 
  
 
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