魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

今も昔も

2020年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の特殊性
日本は、強制措置によらず、とりあえず一山越えたようだ。日本人の文化的勝利だ。
一方で、自粛警察が話題になっている。日本人が自粛に走るのは人の目を恐れるからであり、他人の圧力に我慢した不満を、そうではない人に向ける人もいる。
「オレは我慢しているのに、あいつは何だ!」
被害者が同時に加害者となるのが、従順とイジメの日本的連携システムだ。
戦時中のように究極の抑圧の元では、規制されることに反発するのではなく、他人を規制することで不満を他人に肩代わりさせる。苦痛を自分で抱えられない人はいつの時代にもいる。
「非国民!」の時代は、あっけなくやって来る。

つつがなきや

医学的知識の無かった古代は、病の原因を、鬼か妖怪の仕業として恐れた。知見の発達した現代では、病の仕組みは解明され、ウイルスを知り、それを避けるための様々な方法も考えられている。しかし、ウイルスを知っていても、それがどんなものであるか、ほとんどの人は解っていないし、専門家でさえ、一部しか解っていない。知識というものは、知れば知るほど奥が深い。

平安貴族が、鬼や妖怪を恐れる様は滑稽だが、それは、現代人が本当のことを知っていると思い込んでいる驕りだ。
鬼を恐れた古代人と、ウイルスを恐れる現代人。解らないものを「ただ恐れ」て、パニックに陥ることは、何も変わっていない。
孔子が「鬼神を敬して之を遠ざく」と言ったのは、鬼であろうがウイルスであろうが、正しく恐れて、全てを止めるような事があってはならないと言うことだろう。
鬼神もウイルスも、怖い存在かも知れないが、「されど我らが日々」、「でも、そんなの関係ねえ!」、どんなに怖くても、営みを止めるわけにはいかない。

マスコミは、新しい飯の種ができたと、大はしゃぎだが、欺されてはいけない。
死者が何万人!と叫ぶ陰で、他の死因との比較をしているわけではない。伝聞だが、今年前半の日本の総死者数は、むしろ、昨年より少ないそうだ。
子供の頃、耳鼻科から帰って、「鼻の悪い人ってものすごい多い」と話すと、父が、「外科に行ったらケガ人だらけだ」と、大笑いをした。
コロナ、コロナ。検査、検査と騒いでいる人のほとんどが、マスコミが描き出した鬼に捉まっている人だ。
病はコロナだけではない。死ぬのも病気だけとは限らない。
黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)で、イザナミは毎日1000人殺すと言い、イザナギは毎日1500人生まれると言った。聖書の神は、産めよ増えよ地に満ちよと言った。
そのせいか、人類は地球上に100億人になんなんとしている。
ええかいな!?(←関西弁で)