魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

三枚上手

2015年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

もう、政治のことや中韓に関わることには触れたくないのだが、あまりに西風が強すぎて、目を開けるだけで砂が飛び込んでくる。

靖国神社爆破犯が、日本に再入国して日本の警察が逮捕した。
日本出国前の、いわば現行犯的な逮捕なら、「でかした」と言えるかも知れないが、今回のこれは、「また、やっちまった」としか言いようがない。

事件以来、韓国内では、「韓国人のはずがない」「日本の謀略だ」の見方が飛び交っていた。
韓国政府も、「日本からは何の問い合わせも来ていない」の一点張りだった。
前回、靖国放火の中国人を中国に送り返して、日本との外交問題にした韓国は、日韓関係を回復させたい今、逮捕、裁判すれば同じような結果になることは目に見えている。
できれば、火中の栗を拾いたくない。

見たわけでもないし発表もされていないから、全くの推測だが、日本の警察側からの要請に対し、韓国の警察、政府は、「意向に沿いたいが、国内事情もあるので、本人を説得か連行して送り返すから、どうぞ、ここは穏便に、そちらで処理して下さい」と、もみ手で頼み込んできたのだろう。

向こうの勝手な国内事情と、何らかの甘言にほだされて、日本の警察、政府はそれを了承した。恐らくは、「日本だって困るだろう」的な駆け引きもあっただろう。
確かに、日本で逮捕すれば、簡単明確に、事件の処理はできる。しかし、その結果どうなるかまでの、知恵が働いていない。

その場が穏便に収まるならと、日本がやったことがどうなったか。
金大中事件、慰安婦問題・・・枚挙にいとまが無いし、思い出すのもおぞましい。
目先の利ということで遡れば、そもそも、日韓併合だ。

今回、日本が処理することで、韓国は国内からの突き上げを、全て日本に振り替えることができるフリーハンドを得たし、日本は被害者でありながら、悪役を買ったことになる。死傷者が出ていないのは幸いだが、そのことがよけい、日本による謀略説の勢いを増長するだろう。そこまで急いで解決しなければならない事件だろうか。

日本の警察、政府は、日韓関係を「配慮」してのことだろう、経緯を公表しないうちに、日本での逮捕になった。事件後、又も出国させてしまったことは警察の落ち度だが、出入りの水際制度も問題だし、対応する政府は、あまりにも日本的な、闇ナベの食い過ぎだ。

福岡殺人事件で、帰国していた中国人留学生を簡単に死刑にした中国もどうかとは思うが、転んでもただでは起きない韓国の泣きや脅しに、簡単に折れる「日本のクセ」は、もう治らないようだ。三枚上手の韓国から見れば、白地に赤の赤子の手だ。


突撃人生

2015年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ゲゲゲの水木しげるが93歳で亡くなった。元気で、100歳まで生きると言っていたそうで、周囲は驚いていた。残念だが、大往生と言えるだろう。
90歳を超えた有名人の多くが、全く死ぬ気が無い行動をする。やなせたかしも死ぬまで走り続けて、「死ぬときゃ死ぬ」と他人事にしていた。宇野千代に至っては、「わたし死なないんです」とバッサリ。

死んでも不思議ではない歳に、周囲が気遣うことを拒否していた。何より自分がハネつけていた。
人間、ある程度の歳になると、死とどう付き合っていくか考え出す。ところが、意外にも長生きしてしまうと、前向きな人ほど、そんなものと付き合っていくのが鬱陶しくなるのだろう。つまり、悟ってしまう。
ところが、自分が縁を切っても、周囲は、別れた女房の消息のように歳の話を出す、
「お元気ですねえ」「お体大丈夫ですか」・・・よけいなお世話だ

やりたいことに向かって進もうとしている時に、年齢という常識の枠で邪魔立てする俗人に対して、「うるさい!」とも言えないから、「百歳まで生きる」「死ぬときゃ死ぬ」「死にません」と言い換えていたのだろう。

こうした人達は、周囲から見れば「ポックリ」死んでいる。あそこが痛いここが変だと言って、その内、寝たきりになるような人は、やりたいことや、やらなければならないことが尽きている。子育て、会社など、義務的に生きてきた人は、それが無くなると、見据えなければならない物が無くなるから、自分の状態だけを気にし始める。

歳を取れば、誰でも体調がおかしくなるが、自分のことを見つめて過ごすか、遠くを見つめて過ごすかの違いで、寝たきりと、ポックリの差が出てくる。
死ぬ時は死ぬ、「神様の言う通り」と、前ばかり向いている人は、限界まで走るから、一見、ポックリ死んだように見えるだけだ。
若くても超高齢でも、突撃人生は、皆、ポックリだ。

医療費で国費がかさむのは、高齢者の目的喪失、義務感喪失が大きい。
一億総括役社会の趣旨には賛同するが、自分がいなければと思えるような、存在感と義務感を感じる、方法と仕組みが必要だ。

大家族で暮らした昔の日本を再点検すれば、今の社会に応用するヒントがあるだろう。
なぜ、昔話にはお爺さんとお婆さんがいるのか?、高砂人形が持っている物は?、灰の縄ない話の意味は?・・・


動物愛護

2015年12月04日 | 日記・エッセイ・コラム

ネコをガムテープで巻いて捨てた男が逮捕された。
捨て猫を拾って飼おうと思ったら、懐かなかったので、捨てたそうだ。

昭和初期の 『山寺の和尚さん』は

山寺の 和尚さんは
毬は蹴りたし 毬はなし
猫をカン袋に 押し込んで
 ポンと蹴りゃ ニャンと鳴く
 ニャンが ニャンと鳴く  ヨーイヨイ

こんな歌が普通に歌われていた。
今なら 絶対に日の目を見ないだろうが、昔のペット観が現れている。
犬でも猫でも、人間との関係は「ほどほど」だった。
「ネコっ可愛がり」に可愛がるかと思えば、ネコ革の三味線の音を愛でた。

今の鳩やカラスのようなもので、人の気が向けばエサをやるし、犬や猫も生活のために人に追い払われながら、人目を盗んでエサを盗った。
先日は、大阪の都心にニホンザルが現れ、捕り物騒ぎになったが、限られた都会以外は、サルも隣人だった。そうでなければ、桃太郎は一人で鬼ヶ島に行くところだった。

ペットという概念はほとんど無かったが、平安期ネコが日本に持ち込まれた時は希少価値から、逃げないように紐を付けて、大切に飼われたが、おそらく、あっという間に広がったのだろう。ザリガニや緑ガメのように。
漱石の「吾輩」も、勝手に入り込んできたし、ハチ公は自由に送り迎えしていた。

今回の事件も、ネコを所有物として飼うという概念が無ければ、起こらなかっただろう。
自分の「物」にするために、ガムテープで固定して躾けようとしたら、思う通りにならないから捨てたという。
犬猫は隣人のような訪問者だと思っていれば、ここまでの執着はしないから、「捨てる」ことにはならなかっただろう。

しかし、動物愛護法は良く解らない法律だ。要は不法投棄禁止法のようなものだろうか。
牛や豚の肉を食べて、捕鯨を止めず、ネズミホイホイのような物を公然と販売し、ネコホイホイのようなことをしたら、逮捕される。
デタラメスタンダード、ワケワカメだ。


トリプル

2015年12月02日 | 星の流れに

今年の流行語大賞の、「爆買い」は解るが、「トリプルスリー」は何のために挙げたのか解らないと、ネットでも疑問や怒りの声。
どう考えても、「爆買い」だけで良かった。「爆買い」も微妙だが、要は、流行語と言えるようなものが無かったと言うことだろう。

世の中の多様化とスピード化で、一世風靡的な現象が起こりにくくなっていることの表れだ。
「トリプルスリー」は、野球ファンにとっては、インパクトの有る言葉かも知れないが、近頃、野球のスポーツに占めるウエイトが、相当、低くなっている。スポーツも多様化している。

にもかかわらず、なぜ、この「トリプルスリー」が、結果的に賞を得たのだろう。
これは、星で見れば必然としか言いようがない。
年の世相を表すのは、木星と土星だ。今年、木星は8月から野球を表す乙女座で、土星はスポーツを表す射手座にいる。
スポーツに「古い、懐かしい」現象が起こることも意味するので、ラグビーや野球が注目される。

加えて、射手座の数は「3」、木星の数も「3」。
土星が射手座で野球の話題、木星が乙女座で野球の「3」。必然的に「トリプルスリー」

一方、「爆買い」は、8月以前の木星獅子座の現象だ。爆発は水瓶座で、消費はカニ座。
買う、食う、消費するはカニ座で、その反対の山羊座は貨幣、通貨、職業。カニと山羊の表裏関係は、稼いで食うこと、売買に関係する。
カニ座に木星がいた2013、4頃から、カニ座を表す中国人観光客によって始まった買い出し観光は、水瓶座の対角線の獅子座に木星が入ると「爆買い」となった。
水瓶座と獅子座は、爆発と盛りで、華やかさの両極にある。(花火は夏に似合う)


走る走る

2015年12月01日 | 占いばなし

今日から師走! あー、これを聞く度にイヤーな気分になる。
先日、「あけましておめでとうございます」って、言ったばかりじゃないか。
それでも、「桜が咲くまであと何ヶ月?」と、前向きに考えることを憶えたと思ったら、
近頃は、「次の桜は見られるだろうか」に変わってしまった。

師走の語源は不明らしいが、「師走」は平安時代から使われているそうだから、文字通りの言葉として確立していると考えて良いだろう。
僧が仏事で走り回る月の意味だそうだが、平安時代は寺が学問の場でもあったから、師は広く、今日の「先生」で良いのではなかろうか。

純粋に日本で生まれた言葉なのに、「師走」は西洋占星術にピタリ一致している。
「師」も「走」も射手座の支配する事柄だ。
太陽射手座の期間を「師走」と呼ぶとは、ドンピシャリの出来過ぎだ。
ただ、昔の「師走」は太陰暦だから、射手座の季節とは限らないが、新暦になる以前は、日本に西洋占星術は普及していなかったから、占星術の対象にはならない。

西洋文明とともにやって来た太陽暦で、師走が射手座の期間中に固定されたことに意味がある。冬至以降、山羊座の季節も師走には違いないが、実際、学校も官公庁も休みになり、近年では特に、クリスマス頃から正月のムードが漂い始める。
師が走るほど忙しいのは、やっぱり射手座現象だろう。

今年は、世界中の指導者が走り回っている。