魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

聖この夜

2015年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

クリスマスだ。
よくお寺の子が、クリスマスが無いと嘆く話があるが、日本の仏教なら、クリスマスを祝うことに何の矛盾も無い。あるとすれば、キリスト教の側からの拒否だろう。
仏教は元来、神を敬う宗教ではないし、日本の宗教は仏教伝来の時から、いかに神々と同居するかを悩んできた。
神仏混淆、神仏習合と、結局は、「まあ、まあ、まあ」のような、解ったような解らないような形で同居し、何よりも、和を以て尊しとなすことになった。

別け隔てせず、八百万の神々が大同についた日本教が覆っているこの島は、一神教から見れば、神の無い異端の世界だが、古代の大和合衆国は、渡来して一定の時間が過ぎれば、誰でも平等の市民権を得られる新天地となった。

明治に一神教が入って以来、突然、神仏分離などとうるさいことを言い出したが、正月には神社に初詣、結婚式は教会で挙げて、死んだらお寺で線香を上げる。誰も難しく考えないのは、融通無碍の日本仏教、千年の伝統があるからだ。近頃はハロウィンも定着した。
お寺の子供が、ツリーを飾ってクリスマスケーキを食べても、何ら伝統にもとるものではないだろう。
メリークリスマス