魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

さっそく

2010年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

でた~っ!
ロボットの話になると、アトムの昔から、セックスロボットの話がちらついていた。もちろん、アトムにそんな直接的な話はないが、SFでは様々な形で登場した。

ラスベカスに登場したRoxxxy(ロクシー)嬢は、写真で見る限り「まだまだじゃの~」と苦笑するしかないが、AIBOがあれだけ売れたことを考えれば、笑い事ではすまされない。

3つのタブー
文化人類学では民族によって忌避する事柄が違う。
その代表的なものが、食事排泄セックスだ。
これは民族を成り立たせている文化に深く根ざすから、自らの常識を自覚することさえ難しく、なかなか認め合うことができない。

例えば食事の場合、東南アジアの未開集団は、自分の割り当てを手にすると、各々隠れて食べ始めるのだそうだ。日本人はどうも、この食事をタブーとする民族とも重なるようだ。

食物をはき出した女神を殺してしまう日本神話や、銘々膳の習慣。
また、今は知らないが、昔は弁当を隠して食べる子供がいて、貧しい中身を見られたくないからだと説明していたが、給食で同じものを食べる時でも、腕で覆って食べていた。

排泄については、乾燥地帯と湿潤な稲作地域では全然違う。稲作地帯では基本的に手を洗うが、乾燥地帯では洗えないから、左手でぬぐい取り、砂で乾燥させる。その他の様々な条件から、東洋人は排便を積極的に見つめ、欧米人は見なかったことにする。

温水洗浄便座にしても、日本人というより、稲作東洋人ならではの発想だろう。欧米人は便座は思いついても、排便と肛門に対する執着はない。
東洋では糞便の利用をトコトン考えている。鯉や豚に食べさせたり、発酵させて肥料にしたりする。

ゲップを恥ずべきこととする欧米人が、おならに無頓着なのは、尻のことはスルーしているからではなかろうか。「考えたくもない」と。
だから、温水洗浄便座をどう考えて良いのか、とまどう。
何でこんなことに執着して開発したのか、先ず、あきれる。

煩悩からの積極的な解放
セックスについては、日本人はかなり無頓着な民族ではないかと思う。
様々なモラルは、中国や欧米から来たもので、記紀や平安文学、江戸の文化など、日本はセックスで回っている島とさえ思える。
では日本人が好き者かと言えば、むしろ淡泊なのだと思う。
だから、セックスを深刻に捉えず、遊びや文化の彩りにした。

これに比べ、キリスト教の影響か、ゲルマン系の欧米人はセックスに対して抑圧的な生産儀式のモラルがあるようだ。
これは、日本人の淡泊とは逆で、それだけ深刻な感情を持っているのかも知れない。

が、そんな違いは多少のことで、人類は皆スケベだ。
人権や女性の権利のもとに、売春を禁止しても、歴史上無くなった試しはないし、人類は今日も膨張し続けている。

動物の基本原理「食性産」の為の、婚姻制度に基づく人類の文明・文化は、その前提が崩れつつある。
食物生産、子孫作りが人工的なものに変われば、制度システムも変わらざるを得ないが、さらに、子作り快楽の「くびき」からも解放されれば、因習と生産の制度が全て崩れ落ちる。

売春が無くなる。女の売り物が無くなり、男女は完全に対等になる。
性病が消える。「食と産」の変化とともに、家族が無くなる・・・
こうしたことにより、社会や人類の姿が、まったく変わってくる。

セックスロボットは、興味本位の笑い事ではない。
もし、完璧なものができれば社会が変わる大革命なのだ。
(それと、ビデオもネットも先ず、セックスから普及した)


キャラ・ニュース

2010年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ラジオニュースの終わりに「・・・がお伝えしました」と言われて、『ああ、あのアナウンサーか』と思わず笑う時がある。
テレビのイメージとまったく違うことがあるからだ。

また、娯楽やカルチャーにテレビ露出の多いアナウンサーが、ニュースの時間に真面目な顔をして読んでると、笑える。
逆に、ラジオでは雰囲気の良いアナウンサーが、何ともギャップのある姿で登場することもある。

アナウンサーになりたい人は、人前に出たい人だろうから、自分では気にしないかも知れないが、観る側の「気」の毒になる人もいるし、歳をとったり風貌が激しく変貌して、本音のところ、もう出たくない人もいるかも知れない。

個々のアナウンサーを人間として見守っていると、老けても禿げても太っても、親しみを感じて良いのだが、
ニュースを見ようとTVを付けた途端、強烈なインパクトの顔でニュースを読まれると、ニュースがフッ飛んでしまう。

だいたい、もともとニュースに人間の露出は要らないと思うのだが、どうしても欲しい人もあるだろうから、アニメキャラにニュースを読ませてはどうだろう。
バラエティーやカルチャーでは似たようなものがあったが、ニュースを全面的にアニメキャラに読ませるのは記憶にない。

そんなのは嘘くさくて信用できないと言う人もいるかも知れないので、美男美女にしゃべらせて、読みの上手いアナウンサーの吹き替えにしても良いかもしれない。

遠からず、リアルなCGで、よどみない読み上げが実現すれば、視聴者が、好きなアナウンサータイプを選べるようになるだろう。

その時まで、テレビが存在していればの話だが。


肉食女子

2010年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

草食男子とはどんなことなのか良く解らない。系統的には昔、ニューマンと言われたり、最近ではオタクと呼ばれたりしてきたタイプのことだろうか。

呼び方や、時代による変化はあるだろうが、人間の原始力闘争心から離れて、互いの感性や知性を尊重するタイプのことかなと思う。
このタイプなら昔からいる。
兄弟関係で言えば、一人っ子タイプで、闘争を理解できない。

日本が豊になって、兄弟数に関係なく、事実上、一人っ子と同じような環境で育った人が増えてきたから、社会全体が一人っ子社会になってきた。
争って、傷つけたり付けられたりしてまで、何かを得ようとはしない。
恋愛や結婚という、のっぴきならない人間関係を前にすると、傷つくより逃げ帰ろうとする。

昔から、一人っ子は玉の輿志向の女どものターゲットに成りやすい。
自分からは言い寄らないが、言い寄られると逃げられない。
また、根が優しく、傷つけ合うことを嫌うから、ゴネられると結局、言いなりになってしまう。
しかも、玉の輿志向である以上、必ず、自分より程度の低い相手に狙われる。(国家の関係にも当てはまるが)

草食男子という言葉で考えるなら、玉の輿志向の女どもとは肉食女子ということになろうか。
つまり、自分にとってプラスになる男、扱いやすい男を、手練手管でゲットしようという女どもだ。
捕まえて殺して食べようとしても、食べるところがなかったら、アッサリ捨てる。

肉食女子といえども、見るからに肉食ならタチが良い。見た目は可愛らしかったり弱々しかったりするのも「能ある鷹は爪を隠す」ものだからだ。イタチやシロクマのどう猛は、見た目から想像つかない。
まして近頃は、婚活という手練手管のマニュアルまである。
面白いのは、男の婚活とは、いかに肉食女子の魅力的な餌になるかの修練だ。

逆に肉食男子とは、自分にとって難しい「格上」にチャレンジする男のことだから、女にとっては元来、格下でプラスにならない相手だ。
もし、プラスになる男なら、肉食女子が放っておかないから、ヌーの群れに囲まれたライオンのようなもので、自然におとなしくなる。
でなければ、酒池肉林の光源氏で、婚活対象には成らない。

肉食女子が増えたのは、草食男子が増えたせいだ。いや、むしろ女性優遇化にともなって肉食女子が増え、その結果、草食男子が増えたのかも知れない。

ただ、男性原理のなごりの「国際競争」という次元では、肉食女子が増えるほど、競争力が低下しているように思える。ソ連の共産主義が男社会のアメリカに負けたことと、日本の停滞とは無関係ではないような気がする。闘争心は元来、男のものだ。


自然に変わる

2010年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

性同一性障害のため、女性から男性に戸籍を変更して結婚した夫が、第三者から提供された精子を受け、妻によって人工授精でもうけた子を「嫡出子と認めない」とされ、問題になっている。

何がなんだか、サッパリ解らん。
ただし、世相史観的には、これこそ魚座の話題だ。
木星が魚座に来ると、この7年の総決算になるが、同性愛や、ニューハーフ、性同一性障害など、魚座の「主客の錯乱」そのものだ。
奇しくも2010年

この倒錯現象については、興味はない。むしろ、これが問題になっていること自体が問題だ。

一貫して主張していることだが、婚姻制度を、抜本的に考え直さなければならない。と言うか、自然に変わる。大転換の時が来ている。

世の中の不幸の原点は婚姻制度にある
結婚できないとか婚活とか、そんな単純な問題ではない。
人間社会の基本は、種の存続、あるいは集団の存続だから、子を産み育てるために、様々な仕組みが生まれてきた。

婚姻という仕組みは、「いかにして食うか」と表裏一体だ。
「衣食住」と言うが、根本は「食性産」で、衣と住はどうでも良い。
別な言い方をすれば、衣住とは環境のことで、環境とともに変化する。
しかし、「食性産」は動物の基本として変わりようがない。
食を得て、セックスをして、子を産み育てる。

食を得る方法によって衣住が変化し、その文化によって、性と産の形は変化する。
しかし、この大前提が、全て崩れ始めているのだ。

食物生産は大量生産になり、衣服は身を守るためのものではなく、
住まいと生活は一致しなくなった。
全て、個人かコミュニティーでまかなっていた衣食住は、買う物になり、購入の原資となるお金の形も、それ自体が独立して観念的な「マネー」になった。

「食性産」を保証する婚姻の形が、産業革命によって大家族が崩れ、核家族化し、個人化してきた。
例え核家族であっても、「家族」を前提とした婚姻によって「食性産」を守っていた方法が、破綻したのだ。

人間が個人として、平等に働く「機械」となったことから、個々の部品を、システム全体で守らざるを得なくなってきたのだ。
産業革命パラダイムの初期段階で、このことを感知した共産主義は、いきなり、システムを作って失敗した。
人間の価値観や体質が追いついていなかったからだ。

しかし、産革のパラダイムシフトは、とうとうその人間を変えつつある。と言っても今日明日のことではない。システムが変わるには、まだ半世紀はかかると思われるが、明らかに価値観は変わってきた。

婚姻制度つまり、家族を前提とした経済システムはもうやっていけなくなる。これからは、より個人を前提とした経済システムが生産を可能にする。もう婚姻制度は要らなくなっているのだ。

その胎動として今、冒頭のような話題があふれ、非婚化や少子化が進んでいる。男と女の問題にしても、結局、人間の動物力による経済維持のために生まれたものだ。

国家や民族の利益を争うのも、家族を前提とした原始的な経済システムを基本としている以上、無くなることはない。
しかし、その普遍の原理が今、足下から崩れ始めている。


平成新成人

2010年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

成人式の無軌道ぶりをニュースにしたいマスコミが、持って回ったニュースを拾っていた割りには、インタビューに答える今年の新成人は、シッカリしているように見えて、嬉しくなった。

今年の新成人は平成元年1989~1990年で、二黒巳年か一白午年。
36年前の昭和28年1953~1954年と同じになる。(年干違い)

世代に影響する外惑星は、土星、天王星、海王星が山羊座にいて、木星が双子座かカニ座にいて、180゜の位置だ。
冷戦崩壊、バブル崩壊など、世界体制がガラリと変わった時代で、この時代の星のもとに生まれた人たちは、普通ではない。
野心と挫折を抱えている。

アメリカ大統領に二黒が多いことで、アメリカ人の堅実性を物語っていると書いたが、二黒は労働者の星だ。地味だが、パワーと労働意欲があり、見た目よりも堅実な実力派だ。(男と女2
女の星でもあるから、女の人は早くから大人びた人が多い。

一般には、世代を環境論で見るから、失われた20年で育った世代として、浮かれているわけにはいかない世代と見るようだ。

いずれで見ても、金や権力に対する情熱を秘めているわけで、おそらく、これまでにないことをやってくれるのではないかと、期待する。
落ち目の日本の救世主になるだろう。ガンバって欲しい。

ただ、成功者も多いだろうが、お金に苦労する人も多いだろう。


優しさ依存

2010年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

70代の夫婦。
妻が手術をすることになって入院した。
それまで亭主関白できた夫は、妻の手術に反対をしたが、妻と周囲に説得されて渋々承諾し、入院となると、日頃とはうってかわってかいがいしく世話をした。ずっと付き添っていたが、妻が麻酔をして手術室に入った後、待合室で待っている間に、心臓発作で急死した。
無事、手術を終えた妻には、回復するまで知らされなかった。

また別の、70代の夫婦。
同じように妻の病気で、長期入院することになった。夫は妻の病状を心配して、誤診ではないか、入院より家の方が行き届くのではないかと、手当たり次第に相談して回った。

縁あって鑑定依頼を受け、ご夫婦の生年月日を見ると、むしろ、夫の方が運が切れている。お会いすると、誰が見ても解るような(病的)死相が出ている。
『あなた、死相が出ていますよ』とも言えないから、
「大丈夫ですよ、奥さんは大丈夫ですよ。病院がそう言っているんなら、やっぱり、入院が一番ですよ。それより、ご主人がちゃんと生活している方が奥さんも安心でしょうから、お子さんに任せて規則正しい食事と休息をお取り下さい。奥さんは大丈夫ですから・・・」
暗に、自分の心配をして下さいと力説したのだが、

後日、聞いたところでは、その後も色々な方面に相談して回っていたご主人は、半年もせず亡くなり、奥さんはその後、俄然元気になって80歳を過ぎた今でも、元気に暮らしているとのことだった。

優しさ依存
他人のために威張っている人や、やたら愛想のいい人は、他人のエネルギーで生きている。
「自分が面倒を見てやらなければ」という思いは、実は、自分の心の支えを失うことを心配している。
自分の存在理由を他人に依存しているのであって、これは、他人に怒ったり恨んだりすることも同じことだ。

妻の病気を心配する夫は、突き詰めれば、自分の心配をしている。
世に言う亭主関白とは妻依存であり、失いたくない「かけがえのないもの」とは、自分のエネルギー源だ。もちろん日頃から優しい夫も言うに及ばない。

恋愛でも、「放って置けないタイプ」とは、自分の思う通りになりそうなタイプで、暗に自分の存在を裏付けてくれるタイプのことだ。
「自分がいてやらなければ」とは、自分の思う通りになることによって、自分がいることを確認できる。
つまり、その頼りない相手がいなければ、自分を確認できない人にとって、必要な相手なのだ。

自分のことは自分で面倒見るもの、と思う人にとっては「自分がいてやらなければいけない」人など存在しない。例え、親だろうが、子供だろうが、恋人だろうが・・・。

だから一般に、元気な若い時は思いやりがないが、年取ったり、病気で弱気になると、他人に優しくなる。

子供に対して、過保護になる母親もこういう種類の依存症だが、本来はそうでなくても、面倒を見ているうちに、そこから離れられなくなる場合もある。
それでも、ある時点で、子供の人格に気づいて離れる賢い人や、ホルモンの変化なのか、オスに目覚めて、子離れをする人もいる。

面倒を見なければならない相手に、怒ったり、困ったり、あるいはそれ故に自分の行動を制限する人は、実は、その相手が無くては生きられなくなっている。
無責任に聞こえるかも知れないが、そこまで大変な相手なら、捨ててしまえばいい。保護責任者という理由で、それはできないと思うだろうが、その気になって各方面に相談すれば、方法は必ずある。

しかし、自分自身の存在理由としてそれができず、ついには、相手を殺して自分も死にたいとまで思うようになることさえある。


他人の釜

2010年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

歯科医院の待合室。70歳ぐらいのマスクをした女性が座っている。
診療室から、90歳過ぎぐらいの小柄な女性が出てくると前を横切って鏡の前に行き、指で歯を確かめながら、
「ああ、きれいになった!ほら、こんなに!」と、独り言を言っている。そのうち、
「財布は?そうそう、ここに入れたんやわ」と言いながら、受付から呼ばれると、「はい、はい」と、行って説明を聞き、次の予約日時を聞いて、「ありがとうございました」と、靴を履いて出て行った。

すると、さっきから座っていた70歳ぐらいの女性が、おもむろに立ち上がって、上着を着て出て行った。
なんと、この二人は一緒に来ていたのだ。

90過ぎの老人が勝手にしゃべっているので、てっきり、独居老人の独り言か、それとも少し惚けているのかな、などと思っていたら、
全く知らん顔の、よそよそしい70歳が娘だった。
この態度は娘しか考えられない。

他の人が怪訝そうに見ているのに、自分も他人のような顔をして見ている。もし、嫁を含めて他人なら、一緒に来てしゃべっている人を無視していることは、なかなかできない。

子供というものは、他人に対して親の行動が恥ずかしいことが多い。
親を自分と同一視しているから、自分の思いと違う行動をとる身内は恥ずかしい。自分の見られたくないものを見られているようで、子供なら「やめなさい」と言えても、親にはなかなか言えないから、よけいイライラする。

子供の頃から、親に何でも言える関係なら、そうでもないが、親に反論できないで育つと、自分なりに改めているのに、親が自分の原点を暴露してしまうから恥ずかしい。

成長して、自分に自信ができ、親離れをして、親と自分とが別のものと思えるようになると、親が他人にどう見られようと自分を損なうものではなくなる。むしろ、ゆとりを持った愛情で見られるようになる。

時には哀れに思えたり、時には見せ物にしたり、時には親孝行のイメージアップに利用する。

しかし、一度も親元を離れずに、成長すると、親を客観的に見る機会を失うことがある。それは例えば、結婚してもそのまま親を引き取るような場合や、スープの冷めない距離に住む場合もそうだ。

そういう人の多くが、何歳になっても、子供の時の感情のまま親と接することになる。
親の注文を無視できず、何とか聞かなければと思いながらも、大人としては、人格無視の親の意見には従えない。
こういう場合の親も、やはり子供離れができてないから、子供の人格が理解できないで、いつまでも自分がコントロール、保護しなければならないと思っており、一々口を入れる。

常に喧嘩になる場合と、子供が何をするにも親の同意を必要とする場合がある。

件の親子は、おそらく娘が車に乗せてきたのだろうが、90歳を超えてもカクシャクとして、何でも自分の言動でリーダーシップを発揮する母親に、何も言えないまま、少女のように恥ずかしいと思い続けて70歳を過ぎたのだろうか。

「かわいい子には旅をさせ」
学校、仕事、結婚・・・若いうちに子供が他人の釜の飯を食うことは、老後の親子関係にも必ずプラスになる。


チャイナイズ

2010年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

文明は文化を運んでくる。
人間は好奇心が強いから、初めてのものを見ると、それまでに無かった感覚を体験したくなる。
原住民が、シルクハットやマントを着て槍を持っている古い写真も、よく見かける。

アイヌの蝦夷錦にしても、中国の製品を交換売買し、それをまた江戸幕府が珍重したし、古くは日本の貴族が輸入毛皮などを珍重していた様子が、竹取物語などにも反映されている。

もちろん何時の時代も抵抗勢力はいるが、葛藤の後、結局は取り入れる。
現代の若者ファッションも、年寄りは結局、少しずつついていく。

黒船の衝撃で、考えてもいなかった文化を、日本はなりふり構わず、文明とともにマネをした。欧米舶来なら何でも良かった。

それまでも、映画や音楽とともに浸透していたものの、敗戦でアメリカがやってくると、一気にアメリカ化した。
憬れの的からアメリカそのものに成ろうとして、と言うより、成ったつもりで生活していた。

ファッションも、アメリカの古着に始まり、化粧も髪型もすっかり着物から入れ替えた。(体格以外は)
日本人が昔から大切にしてきた「ジャパンブルー」と言われる藍色から見れば、気が狂ったとしか思えない、間抜けなライトブルーが、カッコ良く見えるようになった。

が、やがて時が経ち、体格も追いつき、自信を取り戻すと、日本はオリジナリティーを発揮し始めた。平安、江戸の停滞期のように・・・

平安期、中国が衰退し、日本に自信が生まれ始めるとオリジナリティーと停滞が訪れ、蒙古や南蛮船の衝撃で、また混乱と物まねが起こり、江戸の停滞で、またオリジナリティーが生まれ、黒船と敗戦で、また混乱し活性化したものが、停滞に移るのかも知れない。

しかし、もし、ここで中国が台頭して、また、日本に衝撃を起こすことになれば、再び、中国の文化が輝いて見えるようになるかも知れない。

いま、中国のセンスは最低に見える。しかし、力になびいて付き合い始めると、急に魅力的に見えたりするものだ。アメリカの間抜けな原色がカッコ良く見えた時代が、確かにあったのだ。

もし、そんなことになったら、いったいどんなファッションが流行ることになるのだろう。想像すると笑えてくる。
決して悲観的に考える必要はない。日本のフィルターを通せば、思いもかけない力強いファッションが生まれるに違いないからだ。


暗雲

2010年01月08日 | 星の流れに

やっぱり、だんだん、雲行きが怪しくなってきた。
天秤座の土星が日本を「ひねくれもん」にしている。
日頃なら何でもないことが、悪い方に、悪い方に転がる。

以前、土星の来ていた柳沢厚労大臣は、良かれと思って言った「子供を産む機械」発言で、ボロボロになった。自分では気を利かせたつもりの言葉が失言になる。
不幸が来る時

良かれと思っている日本の態度が、全て悪意にとられている。
鳩山総理のウダウダ外交は言うに及ばず、米中双方から疑惑の目で見られ、COP15では、思い切って出した25%が、逆にズルい手だと思われたり、今回はついに調査捕鯨で、シーシェパードの術中にはまった。木星が魚座に来て、動物愛護論が高まる。(最終的には逆転するが)

捕鯨禁止論はけしからんと思うが、以前から言うように日本のやり方も賢くない。世界不況の憂さ晴らしのスケープゴートに成りかねない捕鯨を、何で意地になって続けるのか解らない。
(論理は良く解るが、国益と言うには不可解だ)
殺すな

すっかり韓国にやられていた液晶テレビを、挽回するつもりで出した3Dは、韓国は3Dで、しかもLEDを前面に出してきた。始めから狙われていた。これから木星が魚座を通過すれば俄然、サソリ座の韓国が有利になる。

前の土星→天秤座では大平総理が死んだが、民主党が頼みにしていた藤井大臣が病気を理由に辞任した。

暗雲たれ込めて、怪しい風が吹き始めた。
過去の土星来日の例を見れば、日本は意地になって抜き差しならなくなり、それを突破するために、「あってはならない」道を歩み始める。
そうならないことを心から祈っている・・・のだが


弱い立場(2)

2010年01月07日 | 兄弟関係

また、坂本龍馬ブームだそうだ。閉塞状況を打ち破る英雄の代表だからだろうか。
NHKでは、「坂の上の雲」と平行して「龍馬伝」を放送する。
20年の「失われた時代」を打ち破るために、維新と明治の志を思い起こして欲しいのだろう。

正直なところ、坂本龍馬のことは良く知らない。
維新のどさくさの中で倒れてしまったため、ほとんど、生き残った人達の思い出話が、龍馬の人物像を生んでいるように思う。
そういう意味でも、岩崎弥太郎に語らせる今回のドラマ構成は当を得ているのだろう。

日本の英雄伝説は、ヤマトタケルと、義経が代表ではないかと思うが、坂本龍馬もここに並ぶことになるかも知れない。
真相がどうかなど、様々な憶測があるが、英雄は虚実ともに偶像化していくものだ。

三人には共通性がある
末っ子。志半ばで倒れる。大移動。皆に慕われた。存在を憎む人と助ける人がいた。恋物語がある。そして、社会の激動期に現れた。
(大黒様のイメージが強烈すぎて忘れられているが、実は、大国主もそうだ)

日本人の歴史上の人物人気No1は、常に織田信長だが、庶民の人気はこの三人が圧倒的に高い。(大黒様はひいきの引き倒しで滑稽になってしまった)
歴史を考える場合、悪役もこなす信長の方が評価されるが、好き嫌いで言えば、終始、良い人であり続けた方が好かれるのだろう。

また、信長は弱みを見せないのに対し、三人とも泣いたり、恋をしたり、助けられたりする。ドラマや物語として、等身大の人間性を感じるから、日本人の心に響く。

兄弟関係で見た場合
世の中、特に昔は長子より弟妹の方が圧倒的に多い。世間の常識も情緒も弟妹の視点に立っている。

善人で有能でありながら、疎んじられ、報われない・・・
自分自身が常にそんな思いでいる人には、ヤマトタケルや義経の気持ちに感情移入しやすく、奔放な恋や、大冒険旅行とあいまって、我がことのようなヒーロー物語になるのだろう。
日本全国、至る所にヤマトタケルや義経の立ち寄った土地がある。

これに比べれば、信長には恋の影が薄く、大旅行をする立場でもなく、泣きもしなければ、本能寺以外は大きな失敗もしない。
かわいげがないのだ。

つまり、信長は長子の生き方であり、失敗は絶対に許されない。失敗すれば誰も助けてくれない。一巻の終わりだ。
だが、庶民の英雄達は常に失敗をし、誰かに助けられ、さらに懲りずに挑戦をし、女に甘え、泣き、笑う。これは末っ子の生き方だ。

坂本龍馬の実像がどんなものであったのかは解らない。
ただ、姉も龍馬も弟妹であったことは、龍馬の視点を考える上で、大きなヒントになるのではないかと思う。


弱い立場(1)

2010年01月06日 | 兄弟関係

自分の間違いを、絶対に認められない人がいる。
こういう人は、「自分が間違いを認めない」ことすら認められない。
その上、認めざるを得なくなると、「とっくに、認めてる」と言い出す。
「いつ?何を?」認めたのかと聞くと、認めなかったこと自体を認めない。ここでまた堂々巡りになる。

こういう人は異常に気の小さい人で、生い立ちの恵まれない人に多い。
自分の間違いを認めると、たちまち罰を受けたり奪われたりする、弱い立場で育つと、うかつに、相手の非難を認めるわけにはいかなくなる。
恵まれた強い立場の人間は、自分の間違いを認めても非難されることはないし、何かを奪われることもない。

兄弟関係で言えば、長子はこの強い立場で育つから、自省するゆとりがあり、何かあると、すぐ、自分に非はなかったか?と考える。
特に、誰にも遠慮することのない一人っ子となると、何でも自分の問題として考える。

その習慣が、外に出た時、何でも考え込んでしまうクセになり、
非を認めないタイプの人間に攻撃されると、「そうかも知れない」とか、「確かに、この部分は自分が悪かった」とか発言をして、いつの間にか犯人にされてしまうことがある。イジメられやすい。

弱い立場で育つ弟妹型は、基本的に自分の非を認めない。
しかし、自分の非が明らかになると、
末っ子は、話を変えるか、泣くか、逆ギレか、笑いで機嫌を取る。
中間児は、トコトン言い訳をして、誰かのせいにしようとする。

弟妹型は、いざという時に自分が責められないように、日頃から仮想犯人を作っておく。他人の存在を意識する弟妹型の特技でもある。

末っ子は、自分が誰かのために苦労させられたとか、自分が何かをできなくなったのは誰々のせいだと物語り、しかも、それにもかかわらず自分はこんなにがんばっている、と自慢する。

中間児は、それを口に出すことすら危ないことを知っているから、滅多にそう言うことを口にしない。だからよけい、いい人になる。
しかし、内心「誰かのせい」と思っているのは同じで、いざという時には伝家の宝刀を抜く。

弟妹のいる長子は、そういう誹謗中傷に慣れているから、一人っ子のようには非を認めず、強引に出る。
しかし、内心は常に自省的に考えているから、自分が間違って『悪いことをした』と、思う時には、非は認めず、何か他のことで穴埋めしようとする。

何度も言うことだが、これをアジアの国で見ると
長子=中国、中間児=ロシア、末っ子=朝鮮、一人っ子=日本
逆に、兄弟関係は、これらの国の態度が参考になる。
なお、インドも長子だから、中印の関係は覇権の争いになりやすい。


うそ

2010年01月05日 | 占いばなし

嘘を見抜くには、先ず、自分を疑うことだ。
『これは嘘かも知れない』と思っても、「うそだ」とは言わない。
なお観察を続け、真偽がわかったとしても、自分の判断に「かも知れない」と疑問符を付けて、判断を確定させない。

それでは観察、判定する意味がないように思えるかも知れないが、
嘘の真偽を判定する目的は、情報そのものの判定よりも、情報の発信源の信頼性や傾向を知る、つまり、人を知る方が重要だ。

ダマされないためには、ダマされておくことだ。
「ウソかも知れない」と思った時には、そのまま話に乗っておく。
恋の駆け引きにもいえることかも知れない。

嘘あれこれ
情報にはミスもあるから、一つの情報が間違っているからと言って、情報源が信頼できないと決めつけることはできないし、常に正しい情報を発信しているからと言って、情報源を信用してもいけない。
むしろ、常に正しい情報を出してくる発信源は疑っても良いぐらいだ。

大嘘をつくには、小さな信用を積み重ねて、最後にゴッソリだまし取るということもある。映画「スティング」は、詐欺師の側の心理を見事に表現している。あれと比べれば、視聴者が高みの見物をするドッキリカメラは、卑怯でくだらない。
観る側をダマしきるという点では、「シックスセンス」などもそうだが、ネタだけが頼りで、ドラマとしては深みがない。

嘘(ミス)を言う正直者と、嘘を言わない大嘘つきを、どうやって見極めるかなど、わかるはずがない。だから、ゆるめに把握する。
なんとなく正直者、何となくうさんくさい、ぐらいに話を聞くことはできる。

先入観を持ったら、何も見えなくなる。
事件報道に出てくる関係者を、見た目や態度で犯人と決めつける風潮があるが、マスコミも視聴者も、「己を知らない」ためだ。
「先ず、自分を疑う」ことができないのは、表面を追いかけるばかりで、それを見ている自分を振り返ることがないからだ。

嘘学・嘘術
占いを学ぶとは、常にウソと向かい合うことでもある。
運命とは何か、そんなものがあるのか、古文書に書いてあることは本当か、現象は本当か、その意味は何か、依頼人の話は本当か、その真実は何か・・・
何一つ信用できない所から始まり、それでいて、どれ一つ無視しても、答えは出せない。

占いは、アバウトであるべきものと考えている。
大切なことは(可能性に対する)対策だ。

しかし、占いに凝る人の多くは、むしろ、信じるところから始める。
ズバリ的中!を求めて始めるから、古文書や大先生の教えを鵜呑みにして、ズバリ断言する。
当たる場合も外れる場合もあるが、当たった場合のインパクトは、断言しておく方が大きいから、見せ物としては、うける。
外れた場合は、しばらく姿を消すか、ネコ騙しに次のネタを断言する。
かくして、世の中に害毒を流す「占い」のレッテルが確定する。


海老様

2010年01月04日 | 兄弟関係

海老蔵が、小林麻央で年貢を納めるそうだ。
長子の海老蔵と、弟妹の麻央。兄弟関係でみても、収まりの良い関係だろう。
小林麻央は姉妹スターの典型で、岩崎姉妹、荻野目姉妹、最近では倖田姉妹、「おまえもかい!」の久本姉妹など、姉妹は多い。
兄弟関係補足1長子の愚直

海老蔵は「自分には直感力があるから麻央にひらめいた!」様なことを言っていたが、
「ちゃう!ちゃう!」
しっかり、引っかかってるッて (^^)

だいたい、おそらくこれまでも、みんな、向こうから仕掛けてきたのではあるまいか。
なんせ、もてる要素は120%だから、雨あられのように体当たりされてきているはずだ。

自動車人間ではハンドルだから、恋愛パターンは「待ち」を基本とする。しかし、射手座など、その他の要素が単刀直入で素早い。
その上、恋愛は自分から仕掛けるものだと思っているから、受け身の恋愛を、自分から仕掛けたことにして反応する。
だから、仕掛けられていても自分が仕掛けたと思っている。

麻央がエンジンSであることを考えれば、よけい、麻央の仕掛けと読み取れる。
エンジンがアクションを起こせば、制御装置のハンドルは、思わず運転してしまう。そのうえ、海老蔵はかなりおっちょこちょいなところもある。

しかし、まあ、どちらが仕掛けたにせよ、なかなか良い相性だから、うまくやってもらいたいものだが、海老蔵の女人遍歴は今後もボーダレスだろう。


辛抱携帯

2010年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム

携帯は苦手だ。先日ついに誤送信をしてしまった。
返信を送信したつもりだったが、「送信」の瞬間、別のメールに返信した!と解ったが、もう間に合わなかった。

世の中の人は、何でPCより携帯の方が好きなんだろう。
携帯の長所と言えば「携帯」であることだけだ。
慣れれば、携帯のキーでも便利なのかも知れないが、PCのキーボードのように、よそ見しながらでも打てるような代物ではない。

パソコンの取り回しの悪さに、一番の罪があるのだが、
携帯の手軽さに、みんな頭と身体を適応させてしまっている。

ガラパゴスと言われた日本の携帯は、日本人が文句も言わず、それに適応して使いこなすから、企業が野放図に機能を付け加えていった。
何が、喜ばれるかなど考えていない。

不器用で考えない世界に物を売ろうと思えば、買い手の最大関心ニーズが何かを考え、それを単純明快に満たすことだ。
携帯の基本は、電話とメールが安価でできる。これだけだ。
それをいかにスマートに提示するかだ。

お箸を買ったら、テーブルと茶碗と電気釜に、料理本が付いてきます。みたいな高い携帯は要らない。

その結果、日本の携帯は海外で惨敗した。

国内でも、値引き合戦に、OO割、××割、△△割・・・と、
なんか、うさんくさい仕組みで宣伝しているが、チマチマ・コマゴマが好きな日本人は、パズル遊びで喜ぶかも知れないが、外国には通用しない。

外国だけじゃない。細かいことに付いていけない高齢者は、バカにしているのかと怒り出すだろう。
文句を言えば、今度は「らくらくほん」とか称して、見た目が単純な形を出してきた。これも高齢者をバカにしていることに気づいていない。

ガラパゴスの価値
日本の製品はノーベル賞ものだが、売れない。
「冒険」が無いからだ。
冒険とは捨て身になることだ。足し算でなく、引き算でなければならない。

プロとアマの違いは、「いかに切り捨てることができるか」に掛かっている。絵でも小説でも、捨てるには惜しい部分を、目的に応じて切り捨てる。それがプロだ。

技術がありながら、後進技術のiPodにやられたのは、客の身になって考えず、主張もなく、冒険を避けるからだ。

国内でも、携帯は、単一価格、単一機能の低価格にし、
ガラパゴス機能は全て、オプションにして欲しい。
極端な話、VWのビートルや黒電話のように、デザインは定番でいい。
機能を進化させれば良いので、目先ばかり変わって、中身は何も変わらないような商売は止めて欲しい。

何でやらないのかと思っていたら、また外国から先に入ってきた。
音声認識と読み上げ機能だ。

携帯の扱いにくさに応えるために、見た目の「らくらく」とか言うなら、音声認識でメールを書き、キーは手直し程度に使う。
こんなことは何年も前からできるはずだ。

また、メールを読み上げてくれれば、運転中でもメールが解る。
これも、何年も前からできるはずだ。

ディスプレーの三枚折りも可能だ。巻き取りだって可能な時代だ。
タッチパネルの指先操作より、よほど実用性がある。
薄さや軽さより、実用性が欲しいんですが・・・

そうそう、「アッ!」と言ったら、送信が止まる機能が切実に欲しい。
15秒以内なら取り戻せるとか・・・
ガラパゴスなら、できないわけがない