魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

辛抱携帯

2010年01月03日 | 日記・エッセイ・コラム

携帯は苦手だ。先日ついに誤送信をしてしまった。
返信を送信したつもりだったが、「送信」の瞬間、別のメールに返信した!と解ったが、もう間に合わなかった。

世の中の人は、何でPCより携帯の方が好きなんだろう。
携帯の長所と言えば「携帯」であることだけだ。
慣れれば、携帯のキーでも便利なのかも知れないが、PCのキーボードのように、よそ見しながらでも打てるような代物ではない。

パソコンの取り回しの悪さに、一番の罪があるのだが、
携帯の手軽さに、みんな頭と身体を適応させてしまっている。

ガラパゴスと言われた日本の携帯は、日本人が文句も言わず、それに適応して使いこなすから、企業が野放図に機能を付け加えていった。
何が、喜ばれるかなど考えていない。

不器用で考えない世界に物を売ろうと思えば、買い手の最大関心ニーズが何かを考え、それを単純明快に満たすことだ。
携帯の基本は、電話とメールが安価でできる。これだけだ。
それをいかにスマートに提示するかだ。

お箸を買ったら、テーブルと茶碗と電気釜に、料理本が付いてきます。みたいな高い携帯は要らない。

その結果、日本の携帯は海外で惨敗した。

国内でも、値引き合戦に、OO割、××割、△△割・・・と、
なんか、うさんくさい仕組みで宣伝しているが、チマチマ・コマゴマが好きな日本人は、パズル遊びで喜ぶかも知れないが、外国には通用しない。

外国だけじゃない。細かいことに付いていけない高齢者は、バカにしているのかと怒り出すだろう。
文句を言えば、今度は「らくらくほん」とか称して、見た目が単純な形を出してきた。これも高齢者をバカにしていることに気づいていない。

ガラパゴスの価値
日本の製品はノーベル賞ものだが、売れない。
「冒険」が無いからだ。
冒険とは捨て身になることだ。足し算でなく、引き算でなければならない。

プロとアマの違いは、「いかに切り捨てることができるか」に掛かっている。絵でも小説でも、捨てるには惜しい部分を、目的に応じて切り捨てる。それがプロだ。

技術がありながら、後進技術のiPodにやられたのは、客の身になって考えず、主張もなく、冒険を避けるからだ。

国内でも、携帯は、単一価格、単一機能の低価格にし、
ガラパゴス機能は全て、オプションにして欲しい。
極端な話、VWのビートルや黒電話のように、デザインは定番でいい。
機能を進化させれば良いので、目先ばかり変わって、中身は何も変わらないような商売は止めて欲しい。

何でやらないのかと思っていたら、また外国から先に入ってきた。
音声認識と読み上げ機能だ。

携帯の扱いにくさに応えるために、見た目の「らくらく」とか言うなら、音声認識でメールを書き、キーは手直し程度に使う。
こんなことは何年も前からできるはずだ。

また、メールを読み上げてくれれば、運転中でもメールが解る。
これも、何年も前からできるはずだ。

ディスプレーの三枚折りも可能だ。巻き取りだって可能な時代だ。
タッチパネルの指先操作より、よほど実用性がある。
薄さや軽さより、実用性が欲しいんですが・・・

そうそう、「アッ!」と言ったら、送信が止まる機能が切実に欲しい。
15秒以内なら取り戻せるとか・・・
ガラパゴスなら、できないわけがない