魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

鼓缶而歌

2010年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

郊外の讃岐うどんのチェーン店が気に入って、よく食べに行く。
讃岐うどんチェーンは色々あるが、本格的にゆで上げている店は少ない。

今日もまた、車で行くと、隣の車から年寄りばかり3人出てきた。
70代の夫婦が、100歳前後のお爺さんをようやく車から連れ降ろすのを待って、こちらも車から降りて、後ろをついていった。

お爺さんはジャージに半オーバーを羽織って、帽子代わりだろうか、タオルで鉢巻きをしている。車を降りた時からおぼつかなく、あっちにヨロヨロ、こっちにグラリで、寒空のなかを懸命に女の人が支えている。

セルフで順番を待つ間、突然、お爺さんが口に手を当ててむせ始めた。
『あ、戻すのかな?』と思っていると、どうにか収まったらしく、待っていた店の人が「何になさいますか」とたずねる。

男の人は先に注文して進んでいるが、お爺さんを気遣っていた女の人は、慌てて「並み」と言う。「何ですか」と聞かれてまた、「並み」
2~3回「並み」と繰り返した後、店の人が勘で「かけですか?」
「ああ、かけ!かけ!」
その間、お爺さんは店の人の前の配膳カウンターで身体を支え、かじりつくようにして待っていた。

店の人が、ゆであげて並べたうどんを、ドンブリに入れ始めると、
突然、「一番、美味しいのにしてな」と、お爺さん。
店の人は、一瞬、驚いた後、「皆どれも美味しいのにしてますから」と笑いながら答えた。

あれだけ、ヨレヨレで、お荷物のように付いてきたお爺さんの、最初の一言が、お茶目な冗談だったのには、笑いをこらえ切れなかった。

<介護施設で働く介護士の人から聞いた話>
介護施設にいるお年寄りの、要介護レベルは様々で、おむつの必要な人や、必要ではないが念のため、着けてもらっている人もいる。

慢性的に人手のない施設では、自分でできることはなるべく自分でやってもらうようにしているが、どうしても介護士がおむつを替えなければならない人もいて、朝の一斉点検の時には大わらわになる。

ある朝、例のごとく汗だくで、順番におむつ替えをしていると、それを見ていた、おむつ替えの必要のないハズの木下さん(仮名)が、
「トシちゃん(仮名)僕のも替えて下さい」と言う。
「ええっ!木下さんは自分でできるやろ」と言うと、
「うん、ちょっと甘えてみた」と、ニコッと笑ったので、思わず、
「しょうがないなあ、今日だけやで」と、替えてあげたそうだ。

寿命が延びれば、あなたもわたしも、遠からず「高齢者」
年をとれば何事も思い通りに成らず、面白くないことばかりで、
思わず、グチや嫌みを言いたくなる。
でも、常にユーモアや冗談を言おうとする人は頭が活性化して、自分も楽しいし、周りを和ませ、結局、自分が得をする。

年寄りの処世術は「有り難う」より、ユーモアだ。
グチだらけの年寄りはもう治らないから、それを反面教師にして、若いうちから、ユーモアや冗談で、笑うことを心がけるのは、
もう一つの、老後保険ではあるまいか。

大歩危・小歩危