魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

さっそく

2010年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

でた~っ!
ロボットの話になると、アトムの昔から、セックスロボットの話がちらついていた。もちろん、アトムにそんな直接的な話はないが、SFでは様々な形で登場した。

ラスベカスに登場したRoxxxy(ロクシー)嬢は、写真で見る限り「まだまだじゃの~」と苦笑するしかないが、AIBOがあれだけ売れたことを考えれば、笑い事ではすまされない。

3つのタブー
文化人類学では民族によって忌避する事柄が違う。
その代表的なものが、食事排泄セックスだ。
これは民族を成り立たせている文化に深く根ざすから、自らの常識を自覚することさえ難しく、なかなか認め合うことができない。

例えば食事の場合、東南アジアの未開集団は、自分の割り当てを手にすると、各々隠れて食べ始めるのだそうだ。日本人はどうも、この食事をタブーとする民族とも重なるようだ。

食物をはき出した女神を殺してしまう日本神話や、銘々膳の習慣。
また、今は知らないが、昔は弁当を隠して食べる子供がいて、貧しい中身を見られたくないからだと説明していたが、給食で同じものを食べる時でも、腕で覆って食べていた。

排泄については、乾燥地帯と湿潤な稲作地域では全然違う。稲作地帯では基本的に手を洗うが、乾燥地帯では洗えないから、左手でぬぐい取り、砂で乾燥させる。その他の様々な条件から、東洋人は排便を積極的に見つめ、欧米人は見なかったことにする。

温水洗浄便座にしても、日本人というより、稲作東洋人ならではの発想だろう。欧米人は便座は思いついても、排便と肛門に対する執着はない。
東洋では糞便の利用をトコトン考えている。鯉や豚に食べさせたり、発酵させて肥料にしたりする。

ゲップを恥ずべきこととする欧米人が、おならに無頓着なのは、尻のことはスルーしているからではなかろうか。「考えたくもない」と。
だから、温水洗浄便座をどう考えて良いのか、とまどう。
何でこんなことに執着して開発したのか、先ず、あきれる。

煩悩からの積極的な解放
セックスについては、日本人はかなり無頓着な民族ではないかと思う。
様々なモラルは、中国や欧米から来たもので、記紀や平安文学、江戸の文化など、日本はセックスで回っている島とさえ思える。
では日本人が好き者かと言えば、むしろ淡泊なのだと思う。
だから、セックスを深刻に捉えず、遊びや文化の彩りにした。

これに比べ、キリスト教の影響か、ゲルマン系の欧米人はセックスに対して抑圧的な生産儀式のモラルがあるようだ。
これは、日本人の淡泊とは逆で、それだけ深刻な感情を持っているのかも知れない。

が、そんな違いは多少のことで、人類は皆スケベだ。
人権や女性の権利のもとに、売春を禁止しても、歴史上無くなった試しはないし、人類は今日も膨張し続けている。

動物の基本原理「食性産」の為の、婚姻制度に基づく人類の文明・文化は、その前提が崩れつつある。
食物生産、子孫作りが人工的なものに変われば、制度システムも変わらざるを得ないが、さらに、子作り快楽の「くびき」からも解放されれば、因習と生産の制度が全て崩れ落ちる。

売春が無くなる。女の売り物が無くなり、男女は完全に対等になる。
性病が消える。「食と産」の変化とともに、家族が無くなる・・・
こうしたことにより、社会や人類の姿が、まったく変わってくる。

セックスロボットは、興味本位の笑い事ではない。
もし、完璧なものができれば社会が変わる大革命なのだ。
(それと、ビデオもネットも先ず、セックスから普及した)