魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

子供は「かわいい」か

2007年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今では、「かわいい」は一つの美的概念になった。
「可愛」は「かわゆい」の当て字だそうだが、言い得て妙だ。
愛することのできる(可)ものを「かわいい」と言うのだろう。
今の使い方は「かなし」より「いとおし」に近いようだ。
いずれにせよ
心底、怖いものを「かわいい」とは言わない。
世間のオヤジが「かわいい」と言われて怒っていたのは
地震、雷、火事、親父の地位を剥奪されたからだ。

子供を「かわいい」と思うのは、まず無害であり
力の弱い、自分が守ってやらなければならない存在だからだ。
「オヤジは怖い、子供は弱い」
そういう原始の概念が支えているものが「人倫」だ
だから、人倫には限界もある。

科学が発達し、男やオヤジの身体能力が無用となり、
保育器で育つ子供が母の保護から離れていくことによって
人間は自然の身体感覚を失い、「人倫」が崩壊する。
子供は可愛いものではなく玩具になり、鬼もオヤジもかわいいキャラに過ぎない。

しかし、原始的な「力の秩序」が失われたことを嘆いても始まらない。新秩序を模索する時だ。
力の秩序が失われていけば、知恵の秩序が可能になる。
子供が可愛いだけでなくなれば、子供の人格を尊重できる。

「赤ちゃんポスト」は過去秩序からの緊急避難だ。現実の変化を認め、むしろ積極的な新システムを考えるべきだ。
あってはならないこと」と言うだけなら無責任だ。
現に「ある」のだから、それをどうするのかが問題だ。
解決策を考えない、きれい事は、もう止めて欲しい。
もう、昔の美しい日本には帰れないのだ。
新しい「美しさ」(秩序)を語ったらどうだ。
年金もツギハギは止めて欲しい。
与野党ともに、新しい老後保障制度を語れない無策*

明治維新で大ナタを振るって以来、80年
敗戦の大崩壊まで改まることはなかった。
敗戦の大ナタ以来、62年。まだ何も改まらない。
結局、また黒船が来るのだろう
あと18年かい?

*P.S.:民主党が制度的、完全保障を言い出したようだが、一言で解るキャッチフレーズがなければ、むしろ誤解されるだろう