中間児の長
お稽古ごとの先生が、弟子に乗っ取られそうになって困っていた。
良くできる弟子で、師範代を任せると、どんどんこなして、出稽古やカルチャー教室の契約なども積極的に進めていく。
他の弟子が心配して『先生、乗っ取られますよ』と言ってくれるが、信頼関係で任せているから心配ないと言っていたものの、最近、不安になって、
「うちの看板で契約したカルチャーの経理はちゃんと報告して貰わなければ困る」と言うと、
「何でですか、私にも生活があります」と言われ、思わず絶句した。
この先生は中間児で、聞けば、有力な弟子はみな長子だった。
中間児は長子に弱い。それは無意識に長子に依存しているからだ。
長子はマイペース
長子は何事も自力で開拓していく。だから、誰かに習うお稽古ごとでも、全て言う通りにはしない。自分なりに解釈して「学ぶ」。
末っ子が素早く形をマネて、すぐ披露するのに比べ、長子は常に自分流を加えていく。だから進度が遅いこともあるが、師匠の手を離れてもやっていける。
末っ子が鉄人28号なら、長子はアトムだ。
中間児は元来、末っ子だから、自分と同じように、師匠がいなければ全てをやれるわけがないだろうと、高をくくっていた。
しかし、長子は人について行くことは苦手だが、一度、自分のものにすれば、むしろ、師匠が居ない方が良いくらいだから師範代などお手の物だ。
しかし、同時に、客観論=スジ道を重視するから、秩序には敏感で長子は「義理堅い」。
この点、末っ子は、自分の立場は他人に制限されているから、自分から見た上下関係に敏感で、親分子分の関係が好きだ。
力が逆転したり、他の親分が出てくると、ごく自然に上下関係を切り替える。つまり、結果的にあっさり「裏切る」。
長子の陰に隠れる中間児
件の長子の弟子がやりたい放題やり始めたのは、一々言わなくてもどんどんこなしていく便利さに、中間児の先生が甘えたからだ。
加えて、問題が起きるたびに、直ちには抗議しない中間児の「様子見」が、弟子の長子に「無問題」と受け止められた。
長子の基本は一人っ子だから、障害がなければ他人に配慮や遠慮はしない。だから、「私にも生活が」と反論したものの、義理堅いから次からは報告を始めた。
要は、先生が愚痴しか言えないことが問題だ。
中間児のクセで、言い出しかねている間に、長子の弟子はどんどん先に行ってしまい、手遅れが重なってしまったのだ。
問題の弟子が末っ子なら、周りに愚痴を言えば、長子を始めとして誰かが動いてくれるのだが、周りがみな長子で、かつ自分が先生では「長が言うのがスジでしょ」と思うから、誰も動いてくれない。
長子は自分が先生の立場なら、すぐ意見を言うし、黙っているなら愚痴は言わない。だれにも相談や泣きつきをしない。
だから問題の長子の弟子も、「何も言われないのだから問題ないのだろう」と思ったまでだ。
また、他の長子の弟子が、「乗っ取られますよ」と言ったのは、「先生(長)の責任として、言うべき事を言うべきだ」と、長子らしい責任論を言ったまでで、焚きつけてやろうと思って言ったわけではない。
しかし、中間児は、自分なら人が動いてくれることを期待して言うから、何かを焚きつけられているのでは、と受け止め、動けば損をすると、ますます動かなかった。
長子は長子同士、中間児は中間児同士
同じ生い立ち同士はだいたい馬が合うが、逆に魂胆も解るので、当たらず障らず、君子の交わりになる。
しかし、末っ子同士は良いときと悪いときが極端になる。問題が起こったとき、二人だけでは解決できない。
長子は他人にしてやられたとは思わないし、他人にどう思われているかあまり気にしない。
しかし、中間児や末っ子は「ひどい目に遭わされた」と思いやすい。だから、心の許せる相手には愚痴を言いたがる。
長子は、ほめられたり、おだてられたりするのがあまり好きではなく、どちらかと言えば困ってしまうのは、自分の評価は自分でするからだ。
だから、下の子からみると、やたら自慢しているように見える自惚れの言葉は、実は自分を鼓舞している内向きの言葉だ。
これとは逆に、
中間児や末っ子は、おだてに弱い。他人に評価されて実感を持てるからだ。
ここで面白い関係が生ずる。
中間児、末っ子が長子をいくらおだてても、それほどの効果がないのに対し、長子は人をほめない。長子は人格を尊重する意識からほめないのだが、下の子は、長子に嫌われているとか、冷たいとか思って、恨んでしまう。
「ほめて伸ばそう」というのも、
下の子にはべたぼめも有効だが、長子にはほめる根拠をハッキリしなければ返って拒否される。
「これのこの部分がなかなか良い」のように。
中間児は明け透けではない。用心深く複雑だ。
ところが、おだてにはめっぽう弱い。
だから、トコトンバカになって迎合し、おだてれば自由に操れる。
長子にはできないが、末っ子は得意中の得意だ。作為的と言うより、その時はそれなりに本気でほめる。
また、中間児同士は、当たり障りのないおだて合いを楽しむことができる。
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