魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

現実力

2009年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

大学を出てない人や、三流大学出の人が、経営者や上司として、一流大学出身者を雇ってあきれることがある。何でこんなにバカなんだと。

この理由は三つある。
●一つは、自分の学歴コンプレックスで、初めから高学歴をバカにしたい場合だ。実務経験で身につけた知識を、相手が持っていないことを取り上げては「何だ、こんなことも知らないのか」とバカにする。
「近頃の大学生は漢字も知らない」というやつだ。
これが権力を持つと怖い。戦前の軍隊では学徒兵が入隊してくると、さんざんいじめられた。この極端な例がポルポト政権の大虐殺だ。

●次に、能力の違いを互いに理解できない場合だ。
実務の世界で学習する思考方法と、学校の仮想訓練の思考方法は、方向性が逆だ。学校で優秀であることは「整合性」の追求、「つじつま合わせ」だが、実務では現実に対応する独創的な「知恵」と、失敗を恐れない「勇気」が必要になる。
実践社会で結果を出すには、数値や論理より、常に人知を越えた「現実」に立ち向かわなければならない。しかも、誰もそれを採点してくれない。結果だけが物を言う。

始めから実践で学習した人は、現実対応力は身に付きやすいが、「整合性」で学習した人はその概念がじゃまをする。よく言われる「会社に入っての再訓練」は、知識と現実の融合力訓練だ。
双方の言葉が通じないのは、整合性にこだわるバカと、整合性を理解しないバカの、「壁」だ。
映画「ルーキー」もそうだが、戦場では学校出の士官より、たたき上げの鬼軍曹の方が対応力がある。徳川家康と石田三成の差だ。

しかし、仮想訓練で優秀だった人は、現実に投げ込まれ、概念の崩壊に苦しんだ上で、再度立ち上がる能力を持っている場合が大半で、遅ればせながら、たたき上げの先輩より有能になる場合が多い。

●三番目は、本当にバカの場合だ。
学校という世界しか知らず、そこで優秀である自分は「人間として優秀だ」と思い込み、凝り固まってしまっている。
こういう人は、現実社会を受け入れられず、プライドに閉じこもって生きるかドロップアウトする。いわば壊れて、もう直らない。

ところが、直る可能性のある人でも、学校から→学校と同じ環境に入ると、つまり、役人社会のような「整合性」能力だけで評価されるような社会にいると、現実感を身につけることなく、プライドとつじつまの固まりに凝縮してしまう。

現実に生きる一般社会人からみると、役人は、何でこんなにバカなんだと思うのだが、彼らは大学生よりたちが悪い。
未来永劫、再訓練をする機会がないからだ。
彼ら自身も解っているから、役所の穴から出てこようとはしない。出る時は、役所の旗をしょった天下りしかできない。
役人は、もう治らない。

水瓶は膨らむもの


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