魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

トラネコ

2020年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム
次々と選挙が始まっている中、投票所の配置を換えたり、延期したりはするが、頑として、投票所に出向くという前提を改めない。憲法上の制限もあって、国会の議事も難しくなっている。
選挙や国会は儀式ではない。民主主義の維持遂行が目的なら、形式を捨てる勇気が必要だ。
テレワークなど、生産活動の変化を迫るような時に、形にこだわるのは、民主主義の精神を知らないからだろう。

今が、まさに時代の変わり目であることを悟る人なら、従来の形を変えることを提案し、実行できるはずだ。テレワークや遠隔診療、電子マネーを言いながら、なぜ「オンライン投票」ができないのだろう。
どうも、今の政治家は、何が起こっているのか理解していないらしい。

バブル崩壊を経たとは言え、これまでの政治は平時の学芸会であり、父母である国民の温かい目に支えられて来たが、学芸会場にトラが飛び込んできたのだ。これに対処できるのは、専門知識と、勇気と、全員の素早い協力だ。
みんな何とかしようと思っているが、リーダーがいない。政治家もマスコミも、相変わらず学芸会を続けている。
彼らが大声で叫ぶべきは
「みな、落ち着け、これはトラではない。大きなネコだ!」
人混みのトラは野放しにできないが、どんなに大きくてもネコなら付き合い方がある。
リーダーがすべきことは、ネコの捕まえ方、慣らし方を思い出させることだったが、
「怖いから、騒がないで!」だけを繰り返し、マスコミは「トラだ! トラだ!」と、騒ぎを大きくするだけだ。

エリザベス女王が演説したのは、国民を勇気づけるためだ。日本の政治家は、規制への理解を訴えても、国民を勇気づけ、安心させる演説をしない。学芸会の主役は台本が無ければ何も言えない、演説の持つ意味など知らないからだ。演説は選挙のためにあると思っているのだろう。
美辞麗句ではなかったが、池田勇人も、田中角栄も信念を持ち、演説の意味を知っていた。