魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

謝れない

2020年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカが中国と喧嘩しているのは大人げない。しかし、トランプだからそうなったのではない。中国が最初から、申し訳ないという態度で、世界に協力すると言っていたら、アメリカを始めとする西欧諸国は中国を賞賛していただろう。
ところが、中国は一貫して、上から目線を保つために、自分の非をアメリカになすりつけようとした。だからアメリカも引けなくなった。もちろん、初めのアメリカの態度が理想的だったわけではないが、責任論まで言われたのでは、現実的な弊害が出てくる。

中国はなぜこんな意固地な態度を取るのかと言えば、中国の立場を守るため、つまりは習近平の立場を守るためだ。中国が非を認めるということは、中国の全権を握っている習近平の非に直結するからだ。これは外国に弁償したくないからではない、失敗を認めれば、国内に対してメンツを失い、その場で失権し、遅かれ早かれ追い詰められる。
毛沢東の失敗は、建国の功績でうやむやになったが、習近平に、とりたてて功績が有るわけではない。

習近平の、「一歩も引かない」質は、国内での権力闘争には有効だが、広い世界にそれが通じるとは思えない。中国の反転攻勢は、いかにも習近平らしいやり口だ。
習近平の質は「マメで強引」だ。困れば困るほど前に出る。この最中にも、軍事進出で波風を立てている。

しかし、中華の知恵は習近平だけで動くのではない。習近平の狭視野が対外的な反感を買っているとみるや、内輪から中国は謙虚になるべきという意見が出てきて、駐米大使が、
「中国も新型コロナウイルスによる打撃を受けており、米国国民の苦しみもわが事のように感じている・・・中国も苦しい時にアメリカからも支援を受けた、恩返しをしたい」と、掌を返したようなことを言い出した。(あくまで非は認めない)
これが中華5000年の歴史だが、果たして、欧米をごまかし、なだめることができるのだろうか。