魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

口に出す

2014年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

スーパーのレジで、少しオーバーするかもしれないと2000円用意していたら、
「1000円です」と言われて、
「えっ、ちょうど1000円!?」
「ええ、ちょうど1000円です」
この瞬間、頭の中では、『当たりは何ですか?』と、冗談を言っているのだが、やはり口に出せなかった。

いつも、頭の中でよぎることを、結局、口に出せないで終わる。
子供の頃から、失言人間で、何か言えば、思いがけない他人の反応に面食らった。
叱られるのはまだ良いが、想定外に感心されるのも、どう対処して良いか困ってしまう。

『うかつなことは言えない』が、強迫観念になってしまった。だから逆に、ふと気が緩んだ瞬間、思いがけないことを言ってしまう。そこでますます失言人間になる。

口に出した方が良いと解っているのだが、言えないのが、褒め言葉だ。
こう見えて、かなり目ざとい方で、他人のファッションや表情にはすぐ気づく、気づくが、決して口に出せない。

感じたままにコメントして、褒め言葉と思われるならまだ良いが、必ずしもそうではない。人は想定外の言葉を聞くと、よほど前向きでない限り、警戒感からか、先ず反感を持つ。
たいていの人が、何かケチを付けられたと思うらしい。よほど突拍子のないことを言うらしく、たいていは、怪訝な顔をされたり怒り出されたりする。

自分としては、好奇心が先に立って、褒めるつもりもけなすつもりもないのだが、相手には想定外の言葉になる。結局、聞かれなければ何も言わない習慣が身についた。
口に出せば喜ばれると解っているようなことも、褒め言葉になるなら、よけい口に出せない。何か、相手の機嫌を取るための、上っ面のことを言っているような気がするからだ。

しかし、年を取るにつれ、これでは長生きできないと思い出した。
上っ面のことを言うのが嫌なのは、結局は、自分にこだわっているだけで、相手が喜ぶなら、そしてそれが正直な感想なら、素直に口に出そう。人の気分が良くなって、損する人は誰もいない。

そう思うようになった。そう思うようになったが、身についた習慣はなかなか変えられない。何とか、死ぬまでには、人に喜ばれる人になりたいものだと思うが、思ったままを言うようになれば、やっぱり、不快なことも言う、嫌みなジジイになるのだろう。