魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

究極発電

2014年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、「名古屋流」で名古屋の実質主義が燃料電池車を実用化させたことを賞賛したが、もう一歩ガンバってもらえないだろうか。

原発再稼働はやむを得ない選択肢だと思っていたが、もはや、全面反対だ。
元々、原発は反対だから、フクシマの時には「だからあ・・・」と、叫んだが、即時全面停止は非現実的だと思い、時間稼ぎのためには再稼働はやむを得ないと思っていた。
何しろ、それまで明らかに危険なものを、「家内安全」のお札一枚で「安全」としてきたのなら、何を今さら、急に大騒ぎすることがあろうか。そう思ったからだ。

しかし、うだうだ言いながら、既に、4年になろうとしている。本気でエネルギー転換を考えていたのなら、既に目鼻がついていても良い頃だ。仮に原発を動かしていたとしても、もはや次の新エネルギーに向けて始動していなければならない。

トヨタが偉いのは、遙か先のこととされていた、燃料電池車を、現実の商品にしたことだ。
それはもちろん、この段階でもかなり冒険だ。だからよけい賞賛に値する。
この4年、日本の政財界は何をしていたのか。チャレンジよりも、再稼働だけを虎視眈々狙ってきただけではないのか。こんな、悪徳無能な連中の意図に乗って原発再稼働を許してしまえば、未来永劫、日本から新エネルギーは生まれないし、日本が未来をリードすることはない。
大災害を無にしない、最大のチャンスを、日本は捨てようとしている。

燃料電池は究極の発電機だ。この技術は日本が最も先行しているそうだ。
何とか国を挙げて、燃料電池時代を出現させてもらえないものだろうか。もちろん、大型となれば、自動車と同じようには行かないだろうが、太陽電池式に各家庭での小型発電を集積する方法もある。
問題は、国を挙げてインフラ整備や技術開発にかける、意欲があるかどうかという、発想の転換と覚悟の問題だ。

飛行機にも手を出さないできたトヨタさん、ついに巨大産業に乗り出す時が来ましたよー