魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

アナログ

2014年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

徳島の大雪で集落が孤立し、停電でIP電話が通じなくなったことが驚かれている。
便利だからと、安易に何でもかんでもデジタル化することの問題が明らかになった。
デジタル世界は単純の集積だから、解りやすく明快で迷いが無く、素早くムダが無い。
しかし、実際の世界は無限に複雑で、ムダだらけで、単純な答えは無い。

日本の学校教育は、長い間、択一思考を強制してきた。デジタル利用に適した社会が成立していたから、躊躇なくデジタル化に走る。徳島の場合も、行政が良かれと思って、全面移行を奨励したそうだ。

画一教育をする社会ほど、いわゆる「IT先進国」になりやすい。
韓国は言うに及ばず、中国のネット化は、恐ろしいほどのスピードで進んでいる。
これはまさに、「恐ろしい」ことなのだ。
ナチスや、ソ連の秘密警察、密告社会は、人間のネットワークで成立していたが、ネット社会や、監視カメラ氾濫の社会では、情報の管理が緻密に、しかも合理的に管理される。
ゲシュタポどころの比ではない。

しかし一方で、これほどもろいツールも無い。データは、簡単に改ざんされたり消されたりする。一つ間違ったデータが発生すると、それにより不利益を被り、命まで落とすことになる。同時に、そのシステムに敵対する者にとっては、攻撃が極めて容易だ。
敵にも味方にも、デジタル社会はガラスの城なのだ。

こうした、鋭くてもろいガラスに、人間は頼るべきではないと警告したのが、今回の集落孤立だ。
デジタル社会の盲点を突いたサイバー攻撃に、今、アナログ思考が、強力な盾になっているそうだ。暗証番号を、単純な記号に頼らず、人間のアナログ的ひと手間を加えることで、デジタル攻撃はたちまち、頓挫してしまう。

人間の思考や行為は、自然の一部であり、どこまでも複雑な要素で成り立っている。単細胞のデジタルでは太刀打ちできない。
デジタルが発展するほど、地に足のついた「人間」が重要になる。
今回の災害もまた、大きな教訓とすべきだろう