魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

長子外れ(2)

2012年10月13日 | 兄弟関係

下の子にとって長子は、不当に特権を許されている抑圧者であり、長子にとって、下の子は自分の足を引っ張る邪魔者だ。

長子は、前例のない中で、大人を見習いながら、一歩一歩、道を切り開いてきたので、無茶をする弟妹に、自分が発見した道を教えてやれば、歩きやすかろうと、説明したり説得したりしたくなる。だから、親のように説教したりするが、これは無駄なことだ。

始めから先人のいる下の子にとっては、自分で切り開いたり、歩き方を教わったりするより、どれに乗っかれば一番早くて楽かを見極め、選択することしか関心が無い。創意工夫より、活用の判断だ。

無から有を生む方法など教わっても意味が無い。成果を自慢することには関心があるが、実際に自分が手を出すより、そこに自分が関わることの方に関心がある。

前例のないことを手がけるのは、バカとまでは言わないとしても、結果が出るまでは関心が無い。
その代わり、その人が成果を上げたり、成功しそうな時には、極めて敏感で目ざとい。真っ先に、協力者や応援団になる。

隣家の兄弟
こうして、兄弟関係を書くうちに、また、どうしても国家がダブってくる。
日本人は、中韓のことをパクリだと言うが、これは、生き方の違いに基づくもので、兄弟関係による必然的な立場の違いと同じ事だ。
何が生きるために重要か、生き方の違いから来るものだ。

そして、日本から見れば、同じようにパクリかも知れないが、長子中国と弟妹型の朝鮮半島とでは、これもまた、行動原理がまったく違う。
弟妹型が、鵜の目鷹の目で接近して、他人の成果を観察しているのに対し、長子は、して欲しければ協力してやると構えて、相手が近寄ってくるのを待っている。

一人っ子が、自宅でコツコツつくった模型を、遊びに来た隣の弟が、
「うわー凄いな、ちょっと貸して」と、学校に持って行って自慢しまくっているのを見ていたその兄が、
「ウッホン、ウッホン」と、咳払いしながら、「近頃、何か凄い物を作ったそうじゃないか、うん?」と、暗に見てやろうと促す。
一人っ子は、評価されたのが嬉しくて、持って行って作り方を説明すると、
「ホー、確かに凄いが、この程度なら、俺でも作れるぞ、想定内だな」と、結局は、自分の方が凄い話にしてしまう。

それだけなら、まだ良いのだが、この兄弟は、一人っ子は甘やかされ放題で、何でも買ってもらえるから、ああいう模型が作れるんだと、
如何に一人っ子がダメ人間かを、友達に言いふらすネタにする。そして、常に一人っ子を、自分達の励みの原動力にして育つ。

これは、実際にある話だが、日中韓の関係にピッタリ当てはまるから、応用の観点から見ても、兄弟関係は本当に面白い。