魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

四本の手

2012年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

サッカー。ブラジルとの親善試合は、気持ちいいほどの完敗だった。
組織力で挑む日本は、一つ狂いが出るとバタバタになる好例だろう。戦争も、経済戦も、思い当たる節がある。
ジャパン・サッカー道遠しの観はあるものの、なかなかいいところまで来たのではなかろうか。新しい課題を発見できたのも、努力好きの日本人には励みになる。

フランスにも、圧倒的に押されていたが、かろうじて勝った。
予想外の敗戦にフランスのテレビが、川島の好セーブを評して「原発事故の影響で手が四本あるのでは」と言ったことを、日本はまた政府レベルで抗議して、テレビ局が謝罪した。

昨年、イギリスのテレビで、やはり被爆者を冗談に扱ったことに抗議した。被爆国の日本が過剰反応しなければ、どこが言うのか、という思いは日本人として解らなくはないが、原発事故は100%日本の自己責任だ。アメリカのせいだと言える原爆とは、まったく違う。

そして、何であれ、イギリスもフランスも、悪趣味とは言え、決して悪意ではなく、どちらかと言えば好意的な冗談だ。
イギリスの、二度の被爆に堪えた日本人に対する敬意や、フランスは川島に対する賞賛が前提になっている。

こうした冗談に抗議するような日本は、決して「クールジャパン」とは思われない。冗談には冗談で返すのが文明国だ。
モハメッドやコーランの扱いにテロまで起こすイスラム教徒と、大差ない国と思われる。
テレビ局は謝罪はしたが、日本の狭量を再認識しただろう。
日本が皮肉と冗談で返せば、恐れ入った上、改めて日本に同情しただろう。

どんな冗談が良いかは、なかなか難しいが、
ドゴールの鼻が曲がっていたのは、サハラの核実験のせいだったのか・・・とか、
フランスの大量原発は、ミュータント選手をつくる魂胆に違いない・・・とか、
得意のマンガで返せば、一目置かれただろうに、情けない。

それだけではない、原爆も原発事故も、根本は政治家や官僚の責任であるにもかかわらず、震災を絡めて他者への抗議の雰囲気をつくり、自分達の為政責任をすり替えている。

日本人は、真面目なことは良いのだが、為政者に良いように操られて悲惨な結果を招き、それでもまた、外に目を向けさせられている。

マンガもアニメも浮世絵もスシも、日本文化は為政者の手柄ではない。日本の政治や外交より、庶民文化の方が評価されているのだ。
為政者に踊らされたり、利用されたりせず、庶民文化のレベルの高さを独自にアピールした方が、よほど日本のためというものだ。

ほどほど