魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

デルフォイ

2012年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

その村は、昔から喧嘩ばかりしていた。
村から出て行った若者が、遠くの町で大成功したと聞いて、村の有志が集まり、
「オレらも、いがみ合ってねえで、村が発展することを考えよう」
という話になった。

今までのような田畑の境界争いは止めて、村で一つの農業会社を経営しようと、村中の家に声を掛けた。

土地を会社に提供し、もとの土地を、自分の責任で耕して、応分の報酬を貰う。そうすれば、出来の良し悪しにかかわらず互いに助け合うことができる。

素晴らしい考えだと誰もが思った。
だが、いざ土地を提供するとなると、
「おら、ダマされねえぞ」と、言い出す家やら、
「おらんちは、そんなものに参加しなくても、困ってねえ」と、相手にしない家やら、簡単にはまとまらなかった。

それでも苦労して、どうにか話がまとまると、ろくな畑もない村外れの家まで、
「オレだって、同じ村の人間だべ」と、参加したがるまでになった。

予想外の希望者の多さに、メンバーの中には、
「おい、大丈夫か?何でも多けりゃええってもんでもねえぞ」と、いぶかる者もいたが、「おらが村」が、初めて一つになる思いで、ようやく農業会社はスタートすることになった。

事業を始めるに当たって、作付け資金を同じ割合で配分することにしたが、もともと富農だった家は持ち出しになり、面白くはなかったが、会社を成功させるためには仕方が無いとガマンして出した。

村外れの爺さんはヨイヨイで、石ころだらけの土地しか無かったが、昔は聡明で、今の村を築いた最大の功労者だったし、慕われてもいたので、いぶかる家もあったが、農業会社の一員になった。

ところが、いざ農作業が始まると、爺さんは全く働けない。
リュウマチ、腰痛、神経痛と、肝心な時になると動けない。
動けなくなるたびに、「いいよ、いいよ」と、村人が爺さんに替わって土地を引き受けたので、爺さんは作付け資金を返しもせず、毎日、酒を飲んで暮らしていた。

爺さんの土地を引き受けた家は、耕作地は大きくなったものの、石ころだらけの爺さんの土地は使い物にならなかった。それどころか、反って自分の土地まで耕す間が無くなってしまった。

刈り入れの時が来ると、どの家も収穫が激減していた。
慌てた村人が、爺さんに少しでも働いて貰おうとするが、
「無理なもんは、無理じゃ」と、平気な顔をしている。

それじゃあと、作付け資金を返して貰おうとすると
「お前らは、寄ってたかって年寄りをイジメるんか!わかった、ワシが死んだらこの借金は全部お前らが払ったらええんじゃ!」と、
昔、石ころだらけの土地で借りた、とんでもない借金を出してきた。

そして、そう言うなり、心臓発作を起こして倒れ込んでしまった。
爺さんに、今死なれたら、いきなり大借金を肩代わりしなければならなくなった村人は、爺さんの病状を、息を凝らして見守っている。

すると、遠くの町から村人に金を貸していた金貸しまで、我が身に及ぶ貸し倒れに青くなって、爺さんの病状が心配で心配で、これも心臓が止まりそうだ。
誰もが気にもしなかった100才爺さんが、今や、話題の中心だ。

17日の、ギリシャのやり直し選挙が、世界の命運を握っている。
デルフォイの神託は、世界で最も霊験あらたかである。