魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

超小型車

2012年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

国土交通省の肝いりで、「超小型車」が、いよいよ実現することになってきた。昔から、夢見ていたことなので、嬉しい
しかし、内容を見ていると、どうもおかしい。
むしろ、夢が壊れそうな話だ。

最大の問題は、基本的な交通政策をそのままにして、そのすき間に挟み込む形で、「高齢者専用」の乗物に特化していることだ。

高齢者が近所に買い物に行くためだから、低スピード、高速道路不可、電気のみ・・・と、シニアカーに毛が生えた程度の規格だ。

超小型車は弱者用の代用車と決め込んでいるから、「公道の邪魔者」のような中途半端な物しか生まれない。このまま世に送り出せば、単なる邪魔者として、必ず失敗して消えてしまう。つまりは、可能性まで奪ってしまうことになる。

高齢者がゆっくり走るのは高齢者が勝手に判断することだ。
小さいから街中専用と考えること自体、想像の貧困だ。
役人が音頭を取れば、何でもこうなってしまう典型例だろう。

小さいから危険だというのなら、バイクをどう説明するのだ。
中・大型は高速も走れて、スピードも出る。だが、シートベルトも付けることができない。
この、バイクだってゆっくり走れば高齢者も乗れる。

超小型自動車は、バイクの四輪車だと考えたら良い。
どう乗るかは、ユーザーが判断するのであり、それに合わせてメーカが売れる物をつくる。

役人は政治家と共に、国のヴィジョンに基づいた交通行政に合わせて、最低限の規制だけ考えていれば良い。
日本は、アメリカのように車で、「どこまーでも行こう」を前提にした交通行政がふさわしいのだろうか。先ず、そのことが先決だ。

車で大きく動くことが前提になっているから、すき間を走る超小型車が必要だの発想になる。

色々、親切な提案は嬉しいが、国民を指導するのではなく、国民の生活経済の発展をお手伝いするのが仕事だろう。
もちろん、同じように、お節介な「思いやり」で、がんじがらめの規制を掛けることも止めて欲しい。

超小型車の普及には、バイク並の走りができることが絶対条件だ。
日本企業の製品が売れないのは、客のニーズも聞かずに、勝手な思い込みで、ゴテゴテ付けた製品を作るからだが、政治行政にも同じことが言えるようだ。