魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

箸と軍拡

2012年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

ショッピングモールのフードコートで、20人ほどのアメリカの団体観光客が、讃岐うどんを食べていた。全員、箸を普通に使っている。
中華料理店では、昔からアメリカ人も箸を使っていたが、和食ブームで、箸がさらに普及しているようだ。今時、日本で西洋人に「箸使えますか?」と聞く日本人も減ってきた。

高校の時、世間に出て恥をかかないようにと、洋食のマナーを教えられたらしい。色々な人と話していると、私学ではホテルのレストランで、実際に食事しながら指導されたそうだが、公立高校では、ただナイフとホークを並べて、使い方の手順だけ習ったそうだ。
よく覚えていないのは、公立高校だったから、おそらく手順だけだったのだろう。それとも、天性、作法に興味がないからかも知れない。

公式の席では、今でも厳格にルール通りなのだろうが、そういう席には縁が無いし、あっても、決して行かないから、好きこのんでナイフやフォークを使おうとは思わない。まともに持てないくせに、国内であれば、どこでも箸を出してもらう。ステーキの塊でも出されない限り、箸で十分だ。しかも、その方が美味い。

洋式のナイフやフォークなど、たかだか16世紀からで、それまでは手づかみで、手や口をベタベタにして食べていた。狩猟民などは、口に肉をくわえてナイフで切りながら食べるが、ほとんどそれと変わらなかったわけで、そんな蛮族が、ようやく手を汚さずに食べる方法を思いついたのが洋式食器だ。
フィンガーボールやナプキンも、手づかみ時代の名残りだろう。

洋食器が生まれた16世紀には、日本人はとっくに箸を使っていたから、料理も、箸だけで食べられるように考えられていた。
そもそも、日本の食事の仕方は、中国とも違い、銘々膳だから、さらに小口にして盛る必要があった。また、最大の料理はせいぜい尾頭付きだから、これも十分箸で裁ける。

これが、日本人の繊細さのもとになったのか、元々、繊細だから、こういう食べ方になったのかは解らないが、腹八分目と言われ、目で食べる日本料理は、限られた環境で、分かち合いながら生きてきたこととも関係しているように思われる。

中国の知日家は、中国で失われた古代の知恵が、むしろ、日本で実践されていると驚く。分をわきまえる意味の知足が、足るを知るとして、日本では食事にまで取り入れられ、日本料理の質素さになっている。
ところが、アメリカ人どころか、中国人まで、日本料理は腹の足しにならないとバカにする。

布教
だが、この「欲望のおもむくままに腹を満たす」生き方が、絶え間ない争いを生んできたのだ。
そう言えば、日本だって侵略戦争をしたではないかと言われるだろうが、ナチスと日本の違いは、民族浄化と皇国史観であり、民族闘争とイデオロギー闘争の違いがあった。
決して日本の侵略戦争を擁護するものではないが、日本は「種」では無く、日本式の「生き方」を広めようとした。

そういう意味で言えば、現在の米中ともに、「生き方」を広めようという点では、ナチスとは違う「善意?」があるが、東洋中国は皇国日本と同類の古代式秩序を広げようとしている。これではやがて日本と同じ壁に当たることになるだろう。

なんであれ、産業革命パラダイムは、人間の欲望を増幅させた。
富はやがて力の支配を求め、我欲の衝突が、巨大な戦争になる。
先進国が懲りた大戦争だが、初めて富を得た新興国は、懲りていない。
工業汚染も過去の悲惨な戦災も、被害者としか受け止めていない。

先進国の富による被害を受けただけだから、自らが富を得れば、被害者になることは無い。加害者は被害を受けることは無いと錯覚しやすい。つまり、富を持てば自由に軍事力で支配できると、どこかで思い込んでしまう。中国の態度を見ていると、そんな疑いが湧いてくる。

箸を生んだ東洋が、洋式ナイフに憧れる。その結果が日本の敗戦であり、中国が冒そうとしている過ちだ。
西洋人が箸を使い出した今ごろ、蛮族のナイフなど使う必要は無い。中国も軍拡より、日本とともに、西洋料理を箸で食べる「文化」の布教をしてはどうだろう。フランス人は日本の「洋食」を賞賛している。