魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

逆転の話

2012年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

神話や聖書に書かれた物語が、事実だったか探る研究は様々な立場から研究されているが、それが事実であったとしても、物語の前提が真実であることにはならない。

神の為せるわざとして記録された現象が実在したとしても、神の存在を証明するわけではない。

人の話を聞く時、その話がすべて知られた事実であったとしても、その話し手が言うことが本当とは限らない。

ごく単純な詐欺でも、
「消防署の方から来たんですが、この度火災報知器設置が義務になりました。お宅は設置されていますか?」
と言って、法外な値段で火災報知器を売りつけるような、パターンがある。

火災報知器設置は嘘ではないし、消防署の方角からやって来たのも嘘ではない。詐欺は、荒唐無稽の話では、むしろ成り立たない。
「わたしは地球人との友好のためにやってきた宇宙人です。地球のお金を研究するために、お札1000枚貸して下さい」
と言っても、誰も金は出さない。

多少なりとも、脳裏にあることを話の筋立てとして持ち出されると、
『ああ、知ってる知ってる』と、自分で勝手にその背景まで描いてしまう。だから、何も先入観のない子供より、年寄りの方が引っかかりやすい。

3000年後の聖書
聖書に出て来る話でも、ソドムとゴモラや、ノアの大洪水は神の天罰によって起こったことになっているが、大災害を自分の話に都合よく利用して語られたとしても、何の矛盾もない。
ショッキングで、人の記憶に生々しい事件を、自分の神(自分の正当性)を証明するために、神の力だと語ったものが、神話として残る。

東日本大震災時に「天罰」と言った石原都知事が非難されたが、都知事の言葉は、単なる自戒と嘆きの言葉だったから、むしろ唐突で、反発が大きかった。
もし、言葉巧みな人間が、始めから人を洗脳するつもりで、神の存在を吹聴し、大災害を神の御業だと語れば、信じる人はいただろう。

阪神大震災の時、海外で「天罰だ」と言った人々がいた。今回の地震や原発事故でも、気の毒にと言いながら喜んでいる人々が実際にいる。
出エジプト記などもそうだが、この人達が仮に、古代ユダヤ人だったとして、日本が、エジプトだったとしたら、3000年後には、どのような旧約聖書が語り継がれているだろう。語り継ぐ話のネタや既に神話と成った話はいくらでもある。

旧約聖書の話を、逆の立場から読んでみると、エジプトは踏んだり蹴ったりで、いい面の皮だ。
近年、ピラミッドは奴隷酷使によって建造されたのではなく、雇用対策や福祉事業として建設されていたことが判った。ユダヤ人も、実際は、奴隷だったのか、出稼ぎ移民だったのか誰にも判らない。