魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

行燈頭領

2012年01月10日 | 兄弟関係

しるべ無き荒野に一族を導くには、長子的なリーダーシップが必要だ。
中国から日本にまで広がる長男偏重は、騎馬民族の伝統らしい。
古代の北方騎馬民族には、長男相続は自明の理だったのだろう。

余談だが、現代中国人は自分達を漢民族だと思っているが、実際は侵略騎馬民族との混血で、純粋?な漢民族はむしろ、現代中国人が蔑視、あるいは冷遇する南部周辺に、逃れ住んでいる。ややこしい話だ。

また、日本の長男偏重も、6~7世紀に入り込んできた、大陸の価値観と思われる。

人無き荒野では長子原理が有効だが、人間が増え、社会が安定化してくると、弟妹型の相互関係「おりあい」の方が重要になってくる。
古代であっても、社会が豊で安定してくれば、ギリシャのような民主的な社会が生まれ、社会混乱が起これば、英雄や専制君主が現れる。

近年では、前回の天王星→牡羊座の混乱時代に、英雄や独裁リーダーが現れたが、再び天王星が牡羊座にめぐってきた今、世界は大混乱に突入している。

民主主義はタテ型ではない。相互対等の弟妹型の原理だ。
経済環境が安定して巡航状態になり、社会の将来を考えなくても良い時代には、誰が何を言おうと社会が墜落することはない。
政治も、政局や儀式の「まつりごと」として、芸能娯楽の一つであれば良い。

しかし、前例のない状況が起こると、おもしろ芸人や、格好の良い首相俳優には何も出来ない。
劇場が火事になったら、片隅にいた、ただの観客が避難をリードしたり、ただの力持ちが英雄になる。
赤穂断絶の非常事態に現れた大石内蔵助も、昼行灯と言われていた。

弟妹型が集まっていると、日頃は賑やかで活気があるが、何か起こると、大もめにもめたすえ、外部の権威に頼るか、黙っていた長子に相談に行く。(長子はきれい事を言えない)

汚れ物の山
民主主義社会は無責任社会になりやすい。社会が行き詰まると、英雄を求めるようになる。始めから支配者のいないアメリカのような社会では、自分達が大統領を選ぶことで納得できるが、これは例外だ。
歴史的に支配者がいた社会では、支配者を倒すことを希望と思うから、その後に現れる支配者に過剰な期待をし、独裁者を生み出してしまう。

また、日本の議会制民主主義が何も解決できないのも、明治憲法には天皇が存在し、新憲法にはGHQが存在したからだ。
手の届かない支配者を前提に、「良きに計らう」ような政治は、無責任の集大成であり、行き詰まっても、何も変えることが出来ない。

橋下(長子)圧勝後、各政党は何とか取り込んで利用しようとしているが、既存政党・民主党のていたらくに、今やハッキリしたことは、既存の政治制度や政治芸人では非常事態に対処できない。
抜本的な日本改革以外には道がない。と言うことだ。

今日も、どこかの政党宣伝カーが「公平な福祉」とバカの一つ覚えで叫んでいる。今この期に及んで、福祉を言っていられる事態だろうか。

既存政党に唯一残された道があるとすれば、徹底的な規制緩和や公務員削減による景気刺激策だけで、それが無いなら、日本をもう一度、洗濯するしかない。