魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

昭和の種

2011年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

前世紀。若者は、人生の目的のように自動車に憧れた
自動車のような、大規模工業生産が社会の原動力となった時代には、人間の造り出す、早い強い美しい「物」が、社会の価値観だった。

しかし、大量生産の行き詰まりによる不況で、「物」から目覚め、「人間」に回帰し始めた現代の若者にとって、自動車は単なる「道具」となり、憧れの対象ではなくなった。
その心の変化を知らない前世紀の大人達は、何とかもう一度「車の魅力」を引き出そうとしたが、明らかに勘違いであった。

慢性不況、ガソリン高騰、環境問題などもあって、車の売れない時代に、軽自動車だけが伸びている。
世界でも、インドのタタなど、低所得地域のニーズもあるが、それ以上に先進国では、日本と同様に、車に対して冷め始めている。

物に振り回されていた時代から、「地球と調和する人間社会」を目指す願望が広がり始めた。人間のあるべき姿に向けて、物を作っていく時代になった。車の為に高速道路を作るのではなく、人間サイズに適した工業開発が考えられるようになりつつある。

情報通信の発達が、闇雲に出かけていく必要を減らし、高齢化も、運転人口を減少させる。個々が運転して遠出することは、社会設計としても無意味になるから、当然、公共交通のさらなる高度化が必要になる。

近距離移動用の超小型車と、遠距離移動の鉄道を組合せ、駅前のレンタル自転車のような使い方や、鉄道に車ごと乗り込める仕組みの、ソフト面の智恵が必要になる。
これからは、経済も生活も福祉も、物や金ではなく、「智恵」の時代になる。

狭い日本、ガソリン振りまき何処に行く
軽自動車は、日本だけで磨き続けた、特異な技術資源である事に、自動車業界もようやく気づき始めた。
30年以上前、確か、自動車工学の樋口健治氏が、軽自動車は日本独自の技術であり、将来大きく発展する・・・のような事を言っていた記憶がある。
ようやく今、その予言が成就しようとしている。

これからはさらに、EVなどの環境技術も加わり、日本の軽自動車が世界をリードするオンリーワンとして花開くだろう。
軽を愛する者として、ワクワクする。

しかし、周りにはハイエナやハゲタカが待ち構えている。
日本の軽自動車技術が、ますます発展する為には、先ず国内から、大型車に規制を掛け、軽の規制をさらに緩和して、可能性を広げて欲しい。

税制、交通規制等によって、車社会の質的転換を進め、その交通社会モデルを輸出すれば、次世代の大きな産業にもつながる。
物はマネできても、システム全体は、一朝一夕にはマネできない。
今回の中国高速鉄道事故は、日本にとっても大きなヒントになった。

前世紀の価値観や、利権構造で考えていては、世界とともに経済破綻の大洪水に飲まれる。箱船ニッポン新鎖国主義だ。

明日へ舞い上がれ」「二輪サイズの四輪車