魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

駆け引き(2)

2011年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

GDP
世界第2位の経済大国の座を明け渡したと、大騒ぎだが、
最近騒がれるまで、日本が40年以上も第2位だったと、自覚していた日本人はどれぐらいいたのだろう。
経済大国と聞いていても、世界での存在感を考えると、まさか日本が、そんな「大国」だったとは、あまり実感できなかっただろう。

良く言われることだが、世界で何か大きな問題が起こった時、世界中が日本に期待しても、日本はこれと言った役割を果たさず、失望ばかり誘ってきた。それは、日本人自身が、自分の大きさを自覚していないからであり、期待の視線に面食らうことが多かった。

それが最近、中国に抜かれそうだとなると、俄然、焦り始め、抜かれたと言って、がっかりしたり、気を取り直そうとしたりしている。

これまでの態度から考えれば、むしろ、「ほっ」としても良さそうなものだ。国土や人口から考えれば、当たり前のことで、国際責任の風当たりが、多少なりとも和らごうというものだ。

そもそも、日本はどれだけの国際貢献をしてきたというのだろう。
金は確かに出してきたかも知れないが、それは、いわば納税だ。
世間でも、「税金を納めているんだ」と声高に言う人ほど、何ほどの社会貢献はしていない。むしろ、『だから権利がある』と、言いたいだけだ。

むろん、人は生きているだけで役に立っている。どんなぐうたらと言われる人も、社会に役立たない人はない。善だろうが悪だろうが、複雑多様なバランスを保つ一員として、社会を支えている。

しかし、社会貢献とは、そういう俯瞰的な話ではなく、一方に向かおうとする、主体的な働きだ。
困った人を助け、道を失った人を導き、問題を解決しようと働きかける、理想と行動だ。

大国
税金を納めても、そうした行動をとる人が少ないように、日本は、金は出してきたが、国際貢献をしたとは言いがたい。(例えば、アフガン侵攻に主体性を見せたフランスのように)

もちろん、国際貢献のつもりで、よけいなお節介をするアメリカのような国や、国際貢献と称して金儲けしか考えない中国のような国もあるから、国際貢献なら何でも有りではない。

商売に徹する、お金持ち日本は、気になるお店だが、頼りになる公共施設ではなかった。好かれても、尊敬されているわけではない。
日頃、国際貢献意識に欠ける日本が、自分の国益や領土を叫んでも、誰も真面目に聞いてくれないだろう。

交渉がうまくいかないのは、憲法9条や常任理事国じゃないからだと思いたい向きは、防衛力強化や常任理事国入りに熱心だが、世界は『また、何か金儲けをたくらんでいるのだろう』としか思わない。
日本の常任理事国入りを支持している国も、日本に期待しているわけではない。それぞれの思惑だ。

大国の陰で、何ほどの存在感を築くことのできない日本が、たまに頑張れば、軍国主義のレッテルを貼られてしまった。
せっかく経済大国になっても、42年間、何もできなかった。
そしてまた、大国が現れ、その陰に隠れることになった。

これは日本としては有り難いことだ。小さな島国日本は、「大国」の器ではない。周りに大国がある方が収まりが良く、楽なのだ。
そのことをかみしめた上で、日本は「特別な存在」になることに専念したらいい。

目的は何か
領土問題の失策は、外交センス(駆け引き)の欠如だが、
もっと重要なことは、「視野」の欠如だ。
「領土は国の威信」とこだわる人々は、時の流れの、遙か後方に取り残されている。

世界の流れは、明らかに、近代国家の概念を希薄にしている。
これからの外交には、現代史のベクトル、100年後の世界といった、大局観と方向性が重要だ。

今ある「国家という乗物」の乗客は、やがて別の乗物に乗り換える。
重要なことは、今の船を守ることではなく、次の列車に乗り継ぐ乗客の安全と利便だ。くどいが、次の列車は、国家ではない。