魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

駆け引き(1)

2011年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、
立ち寄ったブックオフでパラパラ読みしていたら、

文春新書の「史実を歩く」(吉村昭)に、
大津事件で襲われたニコライ・ロシア皇太子は、事件の前に長崎に立ち寄り、お忍びで、ギリシャ親王と長崎で遊び、二人とも両腕に刺青をした。調べたところ、これ以前にも、イギリス親王兄弟が東京でそろって刺青をしていた・・・のだそうだ。

大変、面白い話だが、改めて、日本人と欧米人のセンスの違いを思い起こし、先日のBBCで、原爆二重被害者を笑いものにしたと、日本中が怒り抗議したことに、改めて、悲しい思いがした。
BBCは決して、笑いものにしたのでも、原爆を軽くみているのでもない。にもかかわらず、抗議に対し、丁寧な謝罪をした。
それが、日本人として悲しいのだ。(わかる人にはわかると思う)

家に帰って、
久々にキャプラの「ポケット一杯の幸せ」のDVDを観た。
何度、観ても面白い。
知らない人もあるかも知れない。禁酒法時代のギャングの人情喜劇だが、その中で、主人公のN.Y.ギャングは、シカゴの大ボスと、N.Y.の利権をめぐって取引をする。
双方、ハッタリと突っ張りあいで、結局、N.Y.側が勝利する。

この駆け引きは、単なる狂言回しだが、ここでも、日本の外交下手を思い出して、情けなくなった。
日本人は、「コツコツ真面目にやっていれば、お天道様は必ず見ていなさる。世の中に悪の栄えたためしはない」と、「正しいこと」にこだわりたがる。

しかし、世界は、美しい礼服の下は、ギャングと変わらない。
昨日、「幅が大切」で領土問題を例に挙げた後で、NHKで北方領土問題を特集していた。
あっちもこっちも火がついているが、領土問題にしても、真っ正面から主義主張を述べるだけで、結局、お天道様に頼っている。

尖閣の時、日本が引いたことで、中国だけではなく、世界中が「日本は目をそらした」と、面白がった。
日本が引っ込んだこと自体は、やむを得ない対応だったが、何よりも、何の考えも作戦もなく、睨み付けたことに問題がある。

喧嘩慣れしていると、「負ける喧嘩は嫌いでねえ」という逃げ口上を知っている。相手を立てながら、凄みを効かせるセリフが、互いの阿吽の呼吸を生む。
しかし、日本は、歴史的に、引っ込みのつかない行動か、目を合わせないことしかできない。島国一人っ子の、付き合い下手だ。

いわゆる大国、特にアメリカは、西部劇でも、シカゴギャングでも、動物のボス争いの世界を、観客がよく知って、それを楽しんでみている。当然、外交の場でもそうした原理が発揮される。

ロシアも中国も、流儀は多少違うとしても、「駆け引き」に長け、連み方も知っている。

日本に、決定的に欠けているものは、落としどころに導く「はったり」だ。だから、脅しやハッタリには安々と引っかかってしまうし、逆に、落としどころが解らずに、舐めてかかったり、暴走したりする。

ロシアの中韓呼び込み開発には、くれぐれも、引っかかってはいけないのだが・・・