魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

輪廻転生

2011年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

今、世界に起こっている混乱の、何もかもが、産業革命パラダイムの行き詰まりを告げている。
産革パラダイムは、大量生産・大量消費の時代であり、それを支えるものが、「規格化」だ。

あらゆる制度や常識が、規格化に向かい、実際に規格化している。
結婚、出産、教育、職業、医療、葬儀・・・ゆりかごから墓場まで
全て規格化され、人間の思考も規格化されてしまった。

「こうでなければならない」と思う基準も、大量生産のための国策や商業ベースで方向付けられ、食事、恋愛、就職、住まい、娯楽にいたるまで、提供された価値観で考えている。
「オレ的」「わたしらしく」の、独自性へのこだわりさえ、実は、プライドをくすぐる商業宣伝からの借り物だ。

近代国家は、規格化のための「器」として確立した。
国益や民俗と称して、規格どうしのせめぎ合いの大戦争が起こり、
さらに、世界を一つの「規格の器」にする、グローバル化に向かおうとしている。

現代の混乱は、世界規格化が引き起こす「標準定め」の混乱だ。
新興国と先進国の規格争いに加え、内は、企業の国家離脱や行政の腐敗。外は、テロや情報漏洩、マネー暴走など、世界中が四方八方からの規格破壊に見舞われている。
しかも、それはみな、規格と大量生産が生み出した副産物だ。

規格化と個性化
国家という規格のカラは、確実に破れつつある。
カラが破れれば、世界は一体化するかと言えば、むしろ逆だ。

巨大なものを一体化するには、細分化が必要だ。
国内レベルならまとめることが出来る集団も、全地球レベルになればまとまりきれない。
巨大タンカーには間仕切りが必要であり、蜂の巣構造は壊れにくい。

こんな小さな島国日本でさえ、中央集権は行き詰まっている。
生命体は複合体だからこそ強く生きられる。
大組織の活性化には、末端組織の独立性が必要だ。
地方自治体からの反乱、現地化に目覚めた大企業など・・・
日本では今、巨大単一細胞からの進化が始まろうとしている。

当たり前の事ながら、組織、集団は、小さければ小さいほど効率が良く、それでいて、他の集団の脅威になることもない。
世界が大きくまとまるためには、コミュニティーの活性化と、個性化が確立され、それらがネットワークによって結ばれた、複合体になる必要がある。

世界の規格化とは、限りなく多様な個性化が、保証されることで可能になる。
この意味において、中央集権による大国指向は、時代に逆行するものであり、拡張する時が、まさに崩壊する時となる。

一即多・多即一 文化の超越 百年の計(5)江戸