魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

気を揉む

2010年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

尖閣問題に気を揉んで、何本も書いたり書き直したりしたが、傍観者の意見は、かえって誤解を招きそうだから、止めることにした。

ここでも箇条書き

 いよいよ中国の欠点が出始めた。
 領土の本質は軍事力。
 日本人は筋道論にこだわっている。戦争は正義同士の衝突。
 古代的「集団」発想は最終的には感情論。
 未来志向は個々の認識から。
 立場を超越する世界認識への働きかけ。
 今や国連よりもインターネット。軍事より文化。
 古代帝国中国の動きは逆手に取るしかない。
 不景気で世界中が怒りやすくなっている。
 勝負時の、来年早々までの多角的戦略外交が重要。

まあまあ、そんなことを書こうとしたのだが、疲れた。

遺 物
それにしても、
今回の件もそうだが、マスコミには本当にあきれる。
結局、マスコミというものが、まさに、前時代的な存在になっていると言うことだろう。

中国の戦術的意図を妙に中国寄りに説明したり、日本側の立場を一方的に強調したり。いずれも、「世論のリーダー」意識の驕りだ。
逆に、政治問題では、政界の力学ばかりに目を向けて、今、日本が行わなければならない政策を、内外の専門家に語らせるような報道に欠けている。

国民をなめているのはマスコミであり、国民は政治家とマスコミにウンザリしている。
面白く刺激的であれば視聴率が稼げる・・・、そういう時代から、国民はとっくに成長している。今国民は何を知りたがっているのか。解っていないのは、政治家とマスコミだ。

マスコミの伝えなければならないことは、世界情勢、政策議論の選択肢、国民の意見であり、政治家もそれを知りたがっている。
たとえ、政治家がどんな駆け引きをしていようと、その結果、どんな政策がとられるかが重要であり、そのプロセスや興味はどうでもいいのだ。

政策の是非を前面に出せば、国民も政治家も真面目になれる。
国民と政治家を愚弄し、ダメにしているのは、時代遅れのマスコミだ。


今日、中国の新聞(中国網日本語版)で「中国がどのような隣国になる考えかを日本にわからせるべきだ」と、堂々と主張された。
まさに、戦争前夜だ。