魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

まほろば(3)時代の濃縮

2010年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

日本は内乱、安定、停滞を繰り返しながら、1500年以上の間、独立独歩、自問自答しながら大人になった。人類の文明史の中で、民族文化を形成するにはじゅうぶんな時間と言える。

そして、今また停滞期に入ろうとして、島国全体が老化し始めた。
日本の男達に、草食男子に象徴されるような生命力の希薄化が起こっている。おそらく、日本の成年男子の精子は相対的に運動力の低下や濃度の希薄が起こっているのではあるまいか。

古事記の中にあるような、さわれば爆発しそうな、ギラギラのバイタリティーが影を潜めて、「おじゃるで、おじゃるのう」と、鏡の前で時間を費やし、ディスプレーに向かってうわさ話を交わす・・・

後世、もしかすれば、平安貴族と同じように語られることになる、平成文化の典型パターンが、既に生まれているのかも知れない。
もちろん現実は、平安貴族も、鞠も蹴ったし馬にも乗った。

冒険チャレンジはせず、御簾の奥での読書やウワサで、世界が解ったような気になっていた、ごく一部の平安貴族文化だが、それが現代日本の社会文化になっている。

優しさと妄想、倦怠と涙で、絵巻物の中に煌びやかな極楽浄土を夢見る生き方は、現代のアニメの世界に集約されている。
世界に冠たる平安文化とはいえ、「政権抗争」だけが男の仕事のような時代にあっては、生産性や男の存在感は影を潜め、女ばかりが目立つような停滞時代だった。

時代のスピードは
移動や情報のスピードに比例するから、
1時間、徒歩4㎞から、鉄道300㎞として飛行機を考慮すれば、ざっと100倍。情報の同時性を考えれば、現代のサイクルは、太古の1000倍以上になっているだろう。

時代の加速は、科学技術では昔から言われていたことだが、人間の心情変化は、そう機械的には変わらない。
慣れの時間を割り引けば、実際の世相サイクルはもう少し鈍化する。
数値的な話は無意味としても、おおざっぱに10倍ぐらいと考えれば、土星の30年が、昔の300年に匹敵する。
                     
各歴史(政治)時代は、大体300年ぐらいだから、現在は、戦後二つの歴史時代を過ごし、三つ目の時代が始まろうとしていることになる。
戦後30年が、活発な戦国時代なら、過去30年は停滞の江戸時代。だとすると、今は明治維新だ。

惑星サイクル的には、冥王星の単位が、土星の単位になった。
つまり、漠然とした世相の変化が、具体的な動きになり、政治や社会が数値的、デジタル的に認識されるようになった。

何が起こっているのか、ハッキリと見えるようになったことで、漠然としたモラルや人間性が軽視され、むしろ、大局が見えなくなった