魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

好奇心が好き

2009年06月25日 | 占いばなし

占いの立場で考えれば、基本的に血液型の性格はあっても良いと思っているし、やっぱりあると思う。
ただ、何でもかんでも一つの分類で見るのは、占いであっても「大間違い」だ。
さまざまな条件が重なって人格はできあがる。

また、血液型の「今日の占い」などあり得ない。兄弟関係による今日の占いなど無いのと同じように、性格や気質と「運の波」とは関係ない。
運と性格が関係あるのは、性格そのものが運命的に定められていると考える運命論の場合だ。
血液型のような科学の成果が、気質分類の「可能性」を持つとしても、運命まで発展させるのはお門違いだ。しかも、科学の立場は血液型気質を否定している。
仮に、科学と運命論がどこかで繋がっているとしても、いきなり、それを語るような地平ではない。

しかし、「今日の血液型占い」が全く不可能かと言えば、そうでもない。
易やタロットのような「卜占」は、あらゆる事象をもとに占うから、血液型別に、卦を立てたりすれば、とりあえず答えは出る。
でも、それなら何も、血液型である必要も無いことになる。
血液型「OO型さんの今日の占い」など、単なる受け狙いのお遊びだ。
占いがお遊びであっても良いのだが、プロなら「まじめにやれ」。

どんなことでもそうだが、一つの要因だけで成り立っていることなど無い。これを忘れると、すべての原因はそれであり、結果も必ず同じになると考えてしまう。

逆に、それが原因となることは100%無いと決めつけるのも同じ思考だ。占いや血液型を否定する立場の説明を聞いていても、初めから否定ありきで、もしかしてあるとすれば、と言った解明意欲は見られない。
こうなると信条の問題になってくる。

事故や生活習慣病など、ある結果の血液型分類に偏りがないから、性格に血液型は関係ない。というのが、否定ありきなら、
その原因別はどうなのか、状態別にはどうなのか、と飽くなき追求をするのは、「もしかしたら」を追求する、素直な好奇心だ。