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長野の旅2011【旧開智学校&旧司祭館】

2011-08-08 | 長野の旅2011
二日目朝食後、とりあえず皆で松本城へ行くことになったけど、旧開智学校へも行きたかった私は
どう考えても松本城の後にそこそこ距離のある旧開智学校へ子どもたちが文句言わずについてくるとは思えなかったので
私は松本城をパスし、ちょっくら別行動させてもらって旧開智学校の方へ行くことにした。



旧開智学校は明治9年松本の大工棟梁立石清重により建設された擬洋風建築の建物。
写真なんかでよく見かけてたらから、擬洋風建築といえば松本の旧開智学校というようなイメージが
自分の中ではあって、いつか見てみたいと思っていた建物。





日本人の大工が西洋の建築をみよう見まねで造ったという擬洋風建築、
玄関周りには気合いの入った数々の装飾が見られて楽しい。
龍の彫刻は日光東照宮の龍をまねて彫られたものだそうで
二人の天使像は当時の東京日々新聞の見出しの意匠に影響を受けたのではないかと言われているもの。
屋根の上の八角塔は明治の学校建築のシンボル的なもので
内部に時報用の鐘が吊られているのだそう。













廊下の中央にはこんな廻り階段があってこちらの丸柱は全久院という廃寺の古材が転用されているそう。
講堂の間仕切り部分など他にも古材を使用した部分がたくさんある。









一階廊下突き当たりの階段。





このような彫刻のついた桟唐戸という扉は校舎内に8面あって、この二階間仕切りになっている扉は
校舎の扉彫刻の中で最も古いものだそう。
力強い波と龍の木彫が見られた。





二階の講堂は竹編みされた床にステンドグラス、シャンデリアと特別な部屋だけに凝った内装が見られた。
明治時代後期の机、椅子も残されている。





講堂のシャンデリア。

あちらこちらに贅が尽くされた旧開智学校。工事費は、当時のお金で1万1千余円の巨額なものだったそう。
そのうちの7割を松本町全住民の寄付により調達したという。
当時の地域の人々の教育に対する熱意が建物から伝わってくるようだった。





旧開智学校のすぐそばに移築されている西洋館は明治22年フランス人の神父・クレマンによって建築された旧司祭館。





木造二階建てのコロニアルスタイルの建物で長野県内に現存する最古の西洋館だそう。
1、2階に備えられたベランダ。





各部屋に取り付けられていた暖炉。

二つの大物建築を見た後はもう一軒お目当ての教会を見るためちょっと遠回り、そして皆との集合場所へ駆け足で急いだのだった。





コメント
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