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タイル巡り♡タイル制作♡建築巡り♡町歩き

富山の旅2025【滑川建物フェスへ】

2025-04-14 | 建築巡り・街歩き【その他】


小杉から滑川へやって来た。
駅を出てすぐ、ほたるいかタイルに遭遇。





玄関周りを竹風タイルで埋め尽くされた家も。


Y字路に建つ下見板貼りの元商店?だろうか?
懐かしい看板がたくさん貼られてた。



こんな飼料看板も。


衣料品店の壁にはなぜかミュシャ風の絵の看板。


こちら旧嶋田屋から建物フェスで公開中の11軒の建物巡りを開始。
旧嶋田屋は江戸時代から宿場町としてにぎわっていた滑川の中心地、橋場に面して建つ明治19年建築の旧旅館。



1階には美しいシルエットの建具が入っていた。








2階のお部屋もそれぞれ意匠が美しく、各部屋襖で隔てられてている。


障子欄間やガラスの感じも良いな。


床の間のあるお部屋


波と千鳥がデザインされた照明。


川縁の部屋が特に気持ちよさそうだった。


2階の中央についていた階段。






釘隠しと障子の引手もバリエーション豊かだった。


旧嶋田屋を見た後、11時からほたるいかの産業体験予約を入れていた川村水産へやってきた。


定置網で収穫する滑川のホタルイカは、関西のスーパーなどで見かける兵庫県産のホタルイカとは違い、
身が大きく料亭などへ卸される高級なものだそう。
こちら、採れたてのホタルイカの生の状態のもの。


ゆで上がり。


ゆで上がったものを氷で締めているところ。
ゆで上がりと、氷で締めたものを試食させて頂いた。
少し食感が違うかな・・でもさすがに美味しい・・
工場では、マレーシア人の方々が黙々と作業されていた。



スライドなども見せて頂きながら解説を聞き、最後は
お店で、試食やお買い物を。



朝どれ、ゆでたてのホタルイカを1パックお昼ご飯のお供に購入。
ホタルイカは時価で、この日は1パック千円だった。



滑川で見たマンホールは、ホタルイカの定置網漁をデザインしたもののようだった。



大正3年、地元の宮大工、岩城庄之丈により建てられた廣野家住宅。
中川沿いのすばらしいロケーションにあり、2階の開け放った窓は、見晴らし良かった。
(内部ネット公開禁止)



二階の川沿いのお部屋からの見晴らし


廣野家住宅の郵便受け。



廣野家住宅に隣接するこちらは洋風の造りの廣野医院。


1階に美容院が入っていた角丸なバルコニーのある建物。





明治初期に建てられた城戸家住宅。
味噌、酢、醤油を製造販売を行い、その後は雑貨店として営業されていたそう。





重厚な梁が通る高い吹き抜け空間に、天窓がある仏間。


思ったより奥行があり、一番奥にあった存在感のある蔵。


蔵の扉には、細やかな透かし彫りなどの細工が施されていた。


味噌や醤油を醸造していた頃の設備なども残る。






何気に置かれてたすずらんの透かしの入った飾り棚が可愛いかった。


城戸家住宅の向かいには、元たばこ屋さんのショーケース下に
ピンクの玉石タイルを見つける。






以前は、薬局でもあったようで、ガラスのスクリーンのある調剤室も残されていた。
現在、珈琲スタンドもされているようだ。




慶応3年、大火の後、再建された滑川最古の町屋、有隣庵。
こちらも、玄関の明かりとりのある高い吹き抜けの空間が印象的だった。
(内部ネット公開禁止)


他にも屋根の上に明りとりが付いている建物、ちょこちょこ出会う。


慶応3年頃に建てられた旧宮崎酒造店舗兼主屋。
明治8年に売薬と酒造を営んでいた小泉屋から土地と建物を購入し、
始まったといわれる宮崎酒造。


こちら通り庭の上を走る梁が、迫力いっぱい。





広いお座敷も


麴蔵





旧宮崎酒造の奥には、ひっそりとカフェもある。


ちょっと派手目の黄色に塗られらた建物は、歯科医院だったそう。


明治初期に建てられたという菅田家住宅主屋。


大正5年、岩城庄之丈により建てられた養照寺本堂。







江戸時代に建てられた本陣が当時のまま残されている。
桜の間


滝の間



藩主専用の上段の間も。




襖には七宝焼の引手が。
表裏違ったものが入れられていた。




昭和11年建築、田中小学校旧校舎。



玄関ポーチ貼られていたクリンカータイル。


中央階段













腰壁に木製のパネルが貼られた貴賓室


優雅なデザインの持ち送り






昭和6年建築旧高嶋医院。
詩人、高嶋高の父が建てたという滑川初の洋館医院。



シャンデリアの下がる1階応接室。









2階、
茶室の付いた広間。


雁のような鳥が透かし彫りされた欄間。





炉の切られた茶室





蔦の絡まる郵便受けのある壁


古びた美容院の建物。


午後からは、まち歩きガイドツアーへ。
ガイドさんは、滑川の高校生。古い写真と現在の町並みを見比べながら案内してくれた。
滑川で発生した米騒動は、この辺りで起こったのだとか。
こちらの2階がトタンで覆われた建物は、米蔵だったそう。


かつては商店街としてにぎわっていたというさらしや通り。
車の駐車場となっている部分、下に水路が通ってる。


「コンブヤ」という名前の化粧品&雑貨店。
元は昆布屋さんであったそうで、昆布の名前が継承されてるのがおもしろかった。









明治20年建築の滑川館本館
明治から大正にかけて、滑川町長や県会議員を歴任した加藤甚右衛門の邸宅として建てられ、昭和15年より土肥家の所有となり旅館として営業されていた。



こちらにも元こんぶ屋が飲食店に活用されていた。
昆布屋さんが多い富山、どうも地元産ではなく、北前船で運ばれてきていたもののようだ。



ツアー終了後は、建物巡りの続きを。
こちらは今回最も気に入った旧金川歯科。
昭和30年に建てられた旧診療所。



モザイクタイルが貼られた円柱のあるポーチや、腰壁もタイル貼り。





木製の窓のサッシや扉も良い風化具合。



玄関入ったところに残されていた受付窓口と思われる小窓。


待合室だろうか・・


昭和レトロな雑貨の販売が行われていた。


旧診療室。


応接室。


ボーダータイル貼りの暖炉があった。


目地幅太目で、ひとつひとつのタイルの存在感のある美しい暖炉。


暖炉に続く棚には、薄いピンク色のモザイクタイルが貼られてた。



1階には洋室だけでなく、和室も二間あった。
2階は立入禁止。


すぐそばの旧ヱビス屋百貨店と髙木屋は昭和7年に建てられた旧衣類店と履物店の店舗兼住宅。


1階は改装中のようだった。
どのようなスペースになるのだろうか・・


コンパクトでかわいいらせん階段がついている。


2階の住居部分には、複雑に入り組んでいて、欄間などのある和の空間が残されていた。
テラスのような空間も。




お風呂もタイル貼りだった。


床は、縁は小さなモザイクタイルで囲った玉石タイル貼りに。


腰壁は、グリーンがさわやかなタイル。


目に留まった2階がびっしりモザイクタイル貼りの建物。


マーブル模様の黒いモザイクタイルを茶色の小口タイルが囲んでる。



こんなマーブル模様のタイルも発見。


そして中町会館へ。
元は、木造教会だったそうで、現在は自治会公民館として活用されている。
こちらで、コジマユイさんの建物イラストの展示を拝見。
今回のフェスでの公開建物が、一軒一軒、細やかに描かれていた。


2階は立入禁止だったが、階段を見上げたところ。


クロージングイベントは、こちらの中川沿いの廣野家住宅の2階から
お琴の演奏では、きれいな音色が辺りに響き渡っていた。


一日で周るにはちょうど良いくらいの範囲と物件数で、
丸一日楽しませて頂いた。



この後は、この日の宿泊地の富山へ向かった。


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