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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



キッチンのカップボード側の丸見えをなんとかしたい
と強く思うようになって、先月からここまで、
PリビングとTスタンダードのショウルームにそれぞれ行って、
リフォーム業者さんも紹介して戴いたのだが、
我が家のは、何しろ15年も前に設計されたマンションLDKであるため、
カップボード側の奥行が45センチしかなく、
メーカーの用意している規格では、私の希望はほぼ叶わないことがわかった。
今時のカップボードは皆、奥行65センチなのですね(汗)。

リフォームしてその奥行のものを据え付けることは可能だが、
そうするとシステムキッチンとの間が20センチ狭まることになり、
大人がすれ違うのはかなり窮屈な狭さになってしまう。
私は、キッチンとしての性能自体にはさしたる関心はなく、
自分のイメージしている「見た目」になるかどうかを重視しているのだが、
それでも、さすがに通路部分がその役割を果たしづらい狭さになるのは
インテリア性という観点からも受け入れ難い。

私の希望は、簡単に言うと、カップボード側の前面をすべて扉つきにして、
閉めたときに全部が覆われて、壁のような状態になるようにしたい、ということだ。
最低でも、電子レンジや炊飯器はダイニング側から見えないようにしたい、
と願っているのだが、PリビングもTスタンダードも、
規格品は随分と高性能な扉になっていて、厚みもそれなりにあり、
奥行45のままでスライドインタイプにしようとすると、
扉ぶんだけ収納部分の奥行が削られることになり、
電子レンジの置き場がなくなったり、
現在使用中のゴミ箱を浅めのものに買い換えなくてはならなくなったりして、
費用対効果の点で、どうも、よろしくないのだった。

そもそもが、別にメーカー品を入れたい訳ではないので、
同じ予算なら、オーダーで私の言う通りにならないか、
とリフォーム業者さんに今、お願いしている。
高性能のスライドインでなくても、要は木の扉で覆うことができれば良いのだ。
しかしこれがまた、案外、イメージというのは伝わらないもので、
それではロールスクリーンはどうかと提案されて困った。
せっかく仰って戴いたのに申し訳ないのですが、
そういう官舎生活の小手先テクみたいなのは、もう卒業しましたのよ(^_^;。
どうせなら、ウッドシャッターくらいは考えて戴きたかったですね(^_^;。
キッチンとダイニングの間に間仕切りを設けたい希望は昔からあって、
狭い官舎をなんとかしようと、各種通販や東急ハンズのお世話になり、
ロールスクリーンにカーテン、パーティション、シェード、ブラインド等、
私は既に、いろいろ自分で設置し、やり込んで今日まで来たのである。
布か何かをぶら下げて目隠しする方法については、もう、
見るべきほどのことは見つ。平知盛の心境ですよ(^_^;。

いっそ、今ある作り付けのカップボードと袖壁をすべて撤去し、
下地を整えて全面にクロスを張り替え、
家具としての食器棚と家電収納キャビネットのようなものを
購入&設置するほうが早いかもしれない、
と近頃は考えるようになってきた。
我が家はものが少ないし、私に上背もないので、
前面が大きく開放された天井までの作り付け収納など、
もともと無用の長物なのだ。
キッチンスペースを圧迫しないためにも、収納は小ぶりであるほど良い。
この方針にして、馴染みのインテリアショップに相談したほうが、
私の希望に近い提案をして戴けるかもしれない。

ともあれ、なんら期限のない話なので、今後しばらく、
積んだり崩したり考えてみたいと思っている。
リフォーム業者さんからも、いずれ新たな提案が来ることになっている。

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訂正の間に合っていないカレンダーや手帳が多いが、
本日7月19日(月)は、今年に限っては「海の日」ではない。
つまり、世間一般において、休日ではない。
東京オリンピック開会式の関係で「海の日」は7月22日(木)へ、
「スポーツの日」は10月第二月曜から7月23日(金)へと移動した。
ついでに、閉会式のほうの関連で「山の日」が、
8月11日(水)ではなくて8月9日(月)になったのよね。
うむ、今やワタシはちゃんと、把握している!

しかし、敢えて言う、私は、本日が休日なのである。
「え~~、いいな~~」
と、今朝、転夫ころもんは羨ましそうに言いながら、出勤した。
そういうアナタ様は土曜も日曜もお休みになったではありませんか。
私は、7月15日(木)から四連勤だったのである。
先週日曜11日だって休んでいないし。
きょうくらい、お休みを貰ったっていいじゃないか。
明日からまた三連勤だし。

ということで今日は、冷房した部屋でひとり静かに
郷内心瞳の新刊『拝み屋念珠怪談 緋色の女』を読むのである。
それから、NHKカルチャーオンデマンドセミナーの
『第2回「天文学入門~学び直しの天文学」太陽系と惑星』を観る。
これよ、これ。和むわ~~~。

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今日の昼前、両親に「赤飯」「サラダ巻き」「洋食アソート」
それにデザートとして「上生菓子4個」、をひとまとめにして届けた。
日々のオヤツとして「マドレーヌ」「水ようかん」「ゴーフル」も。
6月は20日と28日に某ホームに昼食を差し入れしたのだが、
今月はなかなか機会がなく、申し訳ないことだった。

ホームの担当スタッフさんのお話によると、
父のほうは最近、手持ちの菓子がなくなったらしく、
出される食事を平らげるようになったとのこと。
一方、母は以前より食欲がなく、体重がやや落ちたということだった。
きょうの差し入れを喜んでくれると良いのだが、
むこうからは最近とんと電話がかかってこないし、
こちらからかけても応答しないしで、直接の反応は得にくい状態だ。

それはともかく、某ホームでは、きょうは少し雰囲気が開放的になっていて、
レストランで食事をしている入居者さんたちの姿を久しぶりに見かけた。
おそらく、ワクチン2回接種から一定期間が無事に過ぎた人たちについては、
行動制限が緩められてきたのではないかという気がした。
両親も既に14日に2回目の接種まで終わっている筈で、
まだ免疫が確立したと言える日数は経過していないが、
誰も何も言って来ないところを見ると、体調変化などなく順調なのだろう。
ホーム内に関しては今後は段階的に自由になって行くだろうが、
外部の我々については、いずれは接種済証明を提示したうえで面会、
みたいな方法になるのだろうか?

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お世話になって今年で3年目の
『広島市固形状一般廃棄物収集運搬業の許可業者』さんに
本日朝から両親宅に来て戴いて、母屋の古い布団と衣類、
納屋改造住居二階部分の種々雑多なあれこれを、引き取って戴いた。
昨年の土蔵に較べたら大変スムーズな作業で、ほぼ半日で終了した。
最初の年のリビングとガレージの粗大ゴミよりもライト感覚だった。
価格のほうも、作業の軽さに応じてリーズナブルであった(^^)。
お天気も悪くなく、カンカン照りでもなくて、ほどほど良かった。

私はモノを処分することについては、概ね、感傷的な人間ではない。
道楽に関しては、「迷ったら、行け!」が鉄則だが、
片付けに関しては、「迷うくらいなら、捨てろ!」、これに尽きる。
今までそうやって捨てて後悔したものなど、ひとつも無い。
「散らかってる部屋のほうが落ち着く~」の話と同様、
とりあえず捨てないで持っていることで安心する人たちもいるだろうから、
私の感覚だけが正しいと言いたいのではないのだが、
私自身は、目の前の山積みのいろいろには早く消えて貰って、
心身ともにスッキリすることのほうを重視しているのだ。

勿論、なくしたら一生思い出すほど大切なものや執着のあるものはあり、
それらについては、最初から「決して捨てられない!」と
自分ではっきりわかっているから、処分しないで残しておく。
二度と使うことはなくても、生涯、手放したくないものは私にもある。
しかし大半のものは、「捨てようかな~、どうしようかな~」程度であり、
そういうのは目の前にあるから記憶に捕らわれて思い煩うのであって、
捨てて目の前から消えてしまえば、もはや思い出すことはない。
「中に何が仕舞ってあるのか、確認しないと、もし大切なものだったら…」
などとも私は考えないことにしている。
開けてみないと思い出せない程度のものは、
要するに、なくてももう長い間、全然困ったことなどないのだ。
要らないじゃないか(笑)。

ということで、きょうは主として、
私が実家に残していた、自分の高校時代のいろいろを一掃した。
衣類と書籍が多かったが、埃を被った文具や各種ノート、写真、
ぬいぐるみや人形、旅先で買った小物なども様々あった。
それらを収納していた棚やケース、ハンガー類も、すべて捨てた。
何もかもなくなって、がらんどうになった部屋を眺めて、
こんなに広い洋間だったのかと感心した。
隅々まで掃除してカーテンをつけかえてコーディネートし直したい
と思ったくらいだった。
いや勿論、自分の居場所でもないのに、そんなことは今更しないけど。

それにつけても、昨年、土蔵の処理を終わらせたのは我ながら大英断であった。
あれが残っていたら、未だにどれほど心の重荷になっていたことだろう。
私は今では、実家界隈の田舎道を歩いているとき、
近所の家々の、家紋の入った、うちのと似たような土蔵を見かけると、
「ふっ、その中には何がどれだけ入っているんでしょうねぇ?
私はもう、とっくに、全部、ヤっつけましたよ?」
と内心、得意である(笑)。

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母子手帳は「親子手帳」じゃだめ? 父親たちの問題提起(朝日新聞)
『3歳の長男を育てるさいたま市議の三神尊志(たかし)さん(40)は、役所で妻と妊娠届を出して母子手帳をもらった時、「母子」の言葉が気になった。産院では息子は「三神ママの赤ちゃん」と呼ばれ、産前産後の手続きのための書類には、母と子の名前の記入欄しかないものもあった。』『父親として一緒に子育てに関わりたいと思っていたが、「母だけが妊娠・出産、子育ての主体であるかのような社会の認識」を突きつけられたように感じた。母子手帳に代わる名称がないか調べると、「親子手帳」と呼んでいるところがあることがわかった。』

『母子手帳』の中身の少なくとも前半全部は、妊娠した女性と胎児の記録だ。
妊婦健診のたびに、妊婦の血圧、体重、子宮底長などを計り、
血液検査をしたときには、貧血の有無や、
間接クームステストの陽性陰性などが、記録される。
あとは妊婦の歯科検診の記録とか、臨月には子宮口の開大の有無なども。
母子手帳はセンチメンタルなものではなく、医療データの記録なのだ。
出産を終えて産院を出るところまでは、どう考えても『母だけが主体』だろうよ。
母子手帳で取り扱われている「母」とは、主として「妊産婦」のことだ。
『社会の常識』云々以前に、赤ん坊は母親の体から分離するのだ。父親からではなく。
父親の心身の具合や「思い」などは、関係の無い情報だ(笑)。

一方で、赤ん坊が生まれたあとならば、父親の出番はたくさんある。
育児においては、母子手帳の記載項目に直接関連する行動を、
父親母親の区別なく、行うことになる。
離乳食を作って食べさせたり、オムツを替えたり、一緒に遊んだり、
健診や予防接種に連れて行ったりすること等々には、
親が男性か女性かで差が出ることは無い。
ツワリや陣痛ならば、女性の体を持っているものだけの現象だが、
育児行動に関しては、養育者の性別や体の構造の差異など全く関係が無い。
だから、『親子手帳』を主張するなら、ここからだろ?と私は思う。

『母子』だけじゃない筈だ、『父』も入れてくれ、
という声が、もし大きいのであれば、今後は二分冊にしたらどうだろうか?
妊娠から出産・産褥までを妊婦(産婦)と医療者が記録する『母子手帳』と
乳幼児を育てながら両親いずれもが記入する『親子手帳』と。
実際、『母子手帳』を使用した私自身の感触から言っても、
出産までは大半が自分の健康記録だったが、
産後は子供の記録になり、自分自身について書く必要はなくなった。
妊婦・産婦本人の体のデータが要る時期と、要らない時期で、
同じ『母子手帳』でも、その役割は大きく変化したと、
私自身も感じたものだった。

ときに、特別養子縁組をする場合なども、赤ん坊の誕生までは、
実際の妊娠・出産をした女性の名前で母子手帳が作成されるが、
入籍したら、新しく親になった人がその手帳を引き継ぐのでも良いし、
新たに母子手帳を申請するのでも良いそうだ。
手帳が新しくなった場合は、旧手帳から予防接種などの記録は書き写される。
こういうときも、子供が生まれるところまでの記録の『母子手帳』と、
この世に誕生して以降の日々を綴る『親子手帳』の分冊なら良いかもしれない。
更には、LGBTについて皆が考えを深めるようになった今時なので、
例えばゲイ・カップルが養子を育てるという家族形態もあり得るのではないか。
二分冊になって『親子手帳』が登場するのであれば、
今後ますますその存在意義を増すかもしれないよ?
……しかし分冊すると、前半の『母子手帳』は途中から用がなくなり、
紛失するケースも出て来たりして、それはそれで面倒になるかorz

ちなみに、平成6年夏に松江市で発行された娘のための母子手帳は、
今も、我が家の某所に保管されている。
娘が大学に入って一人暮らしを開始するときに渡そうとしたのだが、
「なくすと困る(^_^;」
と言いやがった(笑)ので、まだ私が持っている。
我が家が、どういう順序でどこに転勤転居したか、
予防接種記録の頁を見ると全部わかる。
「松江市」の印字があるツベルクリンのスタンプが最初で、
松江日赤→神戸逓信病院→今治某小児科→広島逓信病院と、
各種予防接種のたびに接種場所の地名が変わっている。
今のところ最後の記録は、広島市内の某内科医院における、
平成27年の「おたふく風邪ワクチン」接種だ。
小児科ではインフルエンザワクチンも打つたびに記録して来たし、
近年も「おたふく」のように任意接種ワクチンの追加接種までしているので、
「その他の予防接種」の記録欄が平成13年で足りなくなり、
上に紙を貼った状態になっている。

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ずっと欲しかった和室のフロアランプを買った。
天井照明と同じシリーズではないのだが、似た雰囲気のものにした。
若い頃の私は、イサム・ノグチのAKARI(提灯)シリーズがとても好きだったが、
近年はなぜか、直線的なレイアウトが性に合うようになった。

  

我が家にはベッドが無い。
転夫ころもんは自分の書斎に、私は和室に、それぞれ布団を敷いて寝ている。
じきに老化現象で脚がダメになるだろうから、そろそろベッドを買おう、
という話はしているのだが、まだ実行に移していない。

ころもんは眠るまで、大きなシーリングライトをコウコウと点けたまま、
寝そべって、テレビを観たり、スマホを見たり本を読んだりして過ごし、
眠くなると、手元のリモコンでパっと天井照明を消して、寝入る。
枕元にスタンドは要らないのか、常夜灯は必要ないのか、
等々、一度ならず尋ねたのだが、返事は芳しいものではなく、
つまり、彼はそういう神経質な(≒デリケートな)人間ではなかった。

一方、私は、寝室に引き取ったらすぐ、天井照明は落としたいほうだ。
このトシになって、ホテルの部屋はよく出来ていると思うようになった。
若い頃は、どうしてホテルの部屋はあんなに薄暗いのかと不満だったが、
考えてみたら、眠るための空間なのだから、
部屋全体を強く照らすべきではないのだ。
天井の照明は絞って、間接照明や手元の灯りで心身を落ち着かせ、
ゆったりと眠りに入ることこそが、心地よいのだ。

先日まで私は、おそらく結婚して以来ずっと、というくらい長い間、
就寝時間になって天井の電灯を消したら、そのあとの短い読書のために、
かつて独身時代のころもんがコタツで仕事をするときに使っていた、
昼白色の蛍光灯の電気スタンドを、枕元で使用していた。
しかし本当は、柔らかい光の照明が欲しいと、ずっと思っていた。
それをこのたび、ようやく手に入れた。
電球のような黄色いLEDの、行灯風のフロアランプ。

ああ、和む。
しかも、明日から3連休の予定だ。
これから本を読んで、休もう。極楽、極楽(^^)。

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二日続いた雨がようやくあがったので、頼山陽史跡資料館に行った。
これまでにも興味深い展示は幾度かあったのだが、
コロナ禍と自分の仕事の状況との絡みでなかなか行けず、ほぼ1年ぶりだった。

行ってみると、先客も誰も居らず、静まりかえっていて、
「良い展示なのですが、お天気も悪く、なかなかおいで戴けなくて」
と職員さんも残念に思っていらっしゃる様子だった。

ちなみに頼山陽史跡資料館では旧暦で七夕をしていらっしゃるとのことで、
短冊を書かせて下さった。
この御時世なので、願うことは皆ひとつな訳だが……(^_^;。
本当に、早く落ち着いて、以前の日常を取り戻したいものだ。


今回は「頼山陽遺墨選」で、山陽の書が年代順に展示されていた。
何年ぶりかで、頼山陽の『泊天草洋』の直筆と再会したが、
山陽の書というのは、美的に隙が無いのは勿論、
折々の心持ちを、年代に応じて生き生きと変化する描線で表現してあって、
書であると同時に画的な要素も持っていると改めて思った。
誰しも一生を通じて字形がそれなりに変化して行くものだとは思うが、
山陽は、中年期から意識的に右肩上がりの書体を取り入れており、
能書家としての彼の審美眼の変遷も、とても面白く感じられた。

ときに私は以前から、山陽の長男の頼聿庵(いつあん)の書が好きなのだが
きょう貰ったチラシで、9月には聿庵の大字書の展示があると知り、
俄然、期待が高まった。
同じく9月の『連続講座』第二回は「頼聿庵の書(仮)」となっており、
こういう講義も聴きたいものだと思ったが、
さて、神社の祭と重ならないかどうかが(汗)。
『頼山陽文化講座』のほうも「漢詩入門」「頼山陽と唐詩」「頼山陽詩を読む(1)(2)」
と秋まで大変面白そうな……、と思ったがこちらはとっくに満席なのね(^_^;。

また、今回久々に頼山陽史跡資料館に行ってみると、
以前は無かったような来館者向けの資料集が新しく出ていて、
『幽居中の陳情(山陽脱藩始末)』の口語訳や、
山陽の父・頼春水による『縮景園記』など、
私にとってかなり興味深いものがあったので、有り難く頂いて来た。
今後の私の目標は、比治山の多聞院を訪ねて頼一家の墓参りをすることと、
『縮景園記』を熟読したうえで実際に縮景園に行って、
春水の解説に従って歩いてみること、のふたつだ。
福山に行って菅茶山の旧居を見学するとか、
尾道の平田玉蘊ゆかりの場所を歩くとか、
江馬細香の足跡を辿って岐阜の大垣を旅するとか、
いろいろと夢はあるのだが、何しろコロナ禍なので遠出が難しい。
当面は地元から攻めようかと。

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・今朝は、4年ぶりに婦人科クリニックに行った。
たまには右卵巣の検診に行くべきだろうと思ったのと、
前に貰ったエストラーナテープが残り3枚になり、
見れば使用期限が2020年とあるので、
「これは一度ちゃんとしないと、いろいろ駄目だな(^_^;」
と思い、天中殺の今年は体のケアには好機とも考え、出かけることにした。
「おや、久しぶりですね!」
と先生にも笑われた(汗)。
エコーで診て戴くと、有り難いことに右卵巣は小さくなっていて映らず、
それは私がおばーさんになったということではあるが、
年齢相応に卵巣が消退しているのだから悪性疾患もないと考えられ、
大いに安堵することができた。
エストラーナテープは、引き続き体調に応じて使えば良いということで、
新たに30枚、処方して戴いた。

・その帰りに、耳鼻咽喉科にも寄った。
昨日、右耳が地味にぱきぱき音を立てていたので、耳掃除をお願いし、
併せて、鼻炎のほうも診て貰い、点鼻スプレーを出して戴いた。
耳垢は想定内の量で、綺麗にして貰って実にスッキリした。
鼻炎も最近は、以前ほどひどくなることはなく、
夏だから花粉が飛んでいないという事情もあるとは思うが、
コロナ禍でがっつりマスクをしているので、
いろいろなものが鼻粘膜に付着する機会が減っていて、良いのでは、
という気がした。←何もエビデンス等はない。単なる体感(^_^;。
こういう医者めぐり的なことも、市内のコロナ感染状況が落ち着いていないと
キショク悪くてできないので、今のうちにと思って今日はハシゴした。
雨もほぼやんでいたので、良いタイミングで行って来ることができた。

・娘もコロナワクチンの予約が出来たとLINEで言っていた。
今月下旬某日と来月下旬某日に受けるとのことだ。
副反応で寝込んだら、黒柴ちゃんに看病して貰うそうだ(笑)。

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私は東京五輪の開催もバッハ会長の広島長崎訪問も、
決して賛成していないのだが、それは政治的な見解とは無関係で、
ただただ「COVIDが怖い」というのが理由だ。
感染力と、おそらくは重症化率も上がったデルタ株が
東京で広がり始めたこのタイミングで、五輪イベントがあることは
私にとって恐怖以外のなにものでもない。

しかしここまで来た以上、もう、開催中止などという議論は非現実的だと思う。
町内会の「焼き肉」親睦会程度でも、年度始めには中止や延期を決めるのだ。
国際的イベントであるオリンピックの7月23日開幕が、今更動く筈がない。
だったら、やむなく開催する以上、せめて「無観客」となったことは
良かったと私は思っている。

普段の野球もサッカーも有観客でやっているのに!という議論があるが、
去年も今年も来年も、シーズン中いつでもやっている見慣れた国内競技と、
4年に一度の世界的巨大イベントとが、同列の「騒ぎ」だとは私は思えない。
競技場の収容人数そのものは数字的に似通っているとしても、
そこに集まる外国人の数や種類、観戦する人たちの期待や興奮、
彼ら全員の前後の動き方、等々が例えばマツダスタジアムと同レベルだなどと、
……五輪はそれっぽっちで済むイベントではないだろう(汗)。

それにつけても、昨年せっかく「五輪延期」と決定できたのに、
今年の初めからの状況やワクチンの普及具合を見て、
「2021年10月開催」まで延期できなかったのはなぜなのか、
私は返す返すも残念に思っている。
すべての選択肢が交渉のテーブル上にある』のではなかったのか。
あと半年、待つことができたなら、多くの状況が今より遙かに改善した筈だ。
東京のワクチン接種率も上がり、世界的にもデルタ株への対応が進み、
日本の猛暑や豪雨の季節も完全に回避でき、それこそ「復興五輪」、
「コロナに打ち勝った五輪」を、皆で満喫できたのではないだろうか。

バッハ会長がお付きや報道陣を伴って大々的に広島訪問をなさっても、
広島地元のワクチン接種が完了した段階ならば、
私も広島市民として、それなりに歓迎することができたと思う。
ああいう要人が被爆地を訪れてくれること自体は、
思惑は様々あるとしても、大筋で悪くないと私は思っている。
広島や長崎が世界から注目され、そこからメッセージが発せられるのだから。

しかし、米テレビ局の放送利権の問題か何か知らないが、
2021年10月開催の線は、積極的に議論された様子がないので、
私のあずかり知らぬ「大人の事情」で、それは「絶対無理」だったのだろう。
五輪に多くの政治的な都合が絡み、補償費用の問題も大きく、
内情は決して「スポーツの祭典」だけではあり得ないことが
この東京五輪延期騒動で図らずも明らかになったと私は感じている。
どんなことも清濁併せのむ必要があるとは思いながらも、
結構、一観客としては真面目にガッカリしたというか。
昭和39年の東京五輪の映像は今観ても感動するけれど、
あれから五輪は肥大し、日本もまた当時のようではなくなった。
もう今後は、コロナ禍に関係なく、五輪招致はNo thank youだな……。

ともあれ、ここまで来た以上、仕方が無い。
東京でこのあと何があろうと無かろうと、私の目指すべきことは、
「マスク着用」「手洗い励行」「3密回避」を続けて、
ワクチン2回接種+2週間が過ぎるまでの期間を、無事に過ごすことだけだ。
五輪に参加する選手たちには、ベストを尽くして頑張って欲しいと思う。
周辺の状況がどうであれ、アスリートたちにとっては、
五輪は多くの場合、一生に一度かそれに近いほどの機会だ。
これのために命を賭けてきた人たちが少なくないことは私にもわかる。
彼らの思いを挫くようなことは、私は本来、望んでいない。
開催する以上、制限の多い状況ではあるが東京五輪は成功して欲しい。
ただ、できればもっと良いかたちで実現して欲しかったのにと、
その点は今も大変残念に思っている。

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広島は6時間で150mmの危険な雨 土砂災害への厳重な警戒を(ウェザーニュース)
『今日8日(木)も梅雨前線の活動は活発です。特に未明からは広島県内で激しい雨が続いており、6時間の雨量は150mm前後に達している所があり、土砂災害の危険性が極めて高くなっている所があります。厳重に警戒をしてください。』『<広島 観測史上1位の雨>広島市などで6時間の雨量が観測史上1位となり、土砂災害の危険性が極めて高くなっています。各地に避難指示が発令されており、この後も厳重な警戒が必要です。』

……ということで、市内各地に避難指示が出ている。
かなり降るという予報は出ていたが、予想以上の事態になった。

我が家に関しては、
両親は高台の、鉄筋13階建て老人ホームにいるから
即座に身の危険があるという状況ではないし、
私自身も避難指示区域外のマンションにいるので、とりあえず無事だ。
被害の程度によって、ライフラインが断たれる的な問題は起こり得るが、
自分自身がただちに洪水で流されたり土砂に埋まったりしそうな状況ではない。

こうなると確かに、昨日の父の心配の通り、実家が一番、危ない。
山間の築100年超の平屋で、敷地の西側には大きな川が流れている。
だがもう、誰も住んでいないし、貴重品なども全く残っておらず、
仮に川が氾濫しても山が崩れてきても、
人が中にいて危険ということはないから、諦めるのみだ。
祖父と曾祖父の遺影とか、父より五代前のご先祖様の直筆のナントカとか、
古いものが浸かって破損でもしたら、勿体ないことは勿体ないが、
そういう運命だったと思うしかないだろう。
どのみち、永遠に残るような品々ではない。
カタチあるものはいつか失われる。

あとは、裏山が崩れたら、最悪、神社の本殿が埋まるかもしれない。
本殿の、御神像の奥に「御神体」というのか「御霊代」というのか、
よくわからないが一番大事なものが鎮座されている筈で、
火災やその他の災害のときには、それを持って逃げなくてはならない、
……のだが、実は宮司さん以外、誰も、それが何なのかを知らない(汗)。
村の神社では、それを目にして良いのは、宮司さんただ一人だけと言われている。

何年か前の例祭のとき、私は好奇心を抑えかね、勇をふるって宮司さんに、
「当神社の御神体とは、一体、どのようなものなのでしょうか」
と質問したことがあった。
そのときの、答えは。

さあて、石じゃったか、木じゃったか

私などに明かす気がなく、わざと言われているのだろうかと思ったが、
宮司さんは、いたって普通の様子だった。
まさかと思うが、高齢で、忘れたのだろうか(大汗)。

そういえば、いつぞやニュースで見たが、どこかよその県の話で、
泥棒がいくつかの神社やお寺をハシゴして、本殿・本堂に忍び込み、
貴重品と思われるものを盗んで、最後に捕まったことがあった。
その泥棒が隠し持っていたものを、警察で一点一点あらため、
被害に遭った神社やお寺に連絡を取り、
それぞれ、自分のところの御神体や仏像仏具などを引き取るようにと
案内をしたそうなのだが、御霊代を見たことのない神主さんもいて、
どれを持って帰るべきなのか、わからなかったということだ。

うちの村の神社も、そうなるね……。
誰か、若い神主さんに跡継ぎに来て貰って、
潔斎して御霊代を拝しておいて貰いたいもんだね、早いとこ。
宮司さんや総代長さんは、跡継ぎのアテはある的なことを言われていたが、
その話はどうなったのだろうか。
ちなみに、うちの明治生まれの祖母(=パンスーの祖母)によると、
御神体というのは、決して、女が見てはならないものだそうだ。
……もしかして、とてつもないカタチなんかね(違)。

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