転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



島根に来たら、やはり出雲大社であろう。
私の両親が結婚したとき、新婚旅行で出雲に来たと言っていたが、
私にとっては、これが人生四度目の出雲大社。
初回は新婚時代、二度目は娘が1歳の頃、
三度目は娘が小学生だったか中学生だったか、
そしてそれから十数年ぶりの、今回の出雲詣で。

案内の方のお話では、ここのシンボルとも言える巨大な注連縄は、
数年に一度、傷み具合を見つつ、掛け替えられるのだそうだ。
祭式も独特で、多くの神社は「二拝・二拍手・一拝」だが
出雲は「二拝・四拍手・一拝」だそうだ。



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2日目は朝から熊野大社参拝。
ここは出雲国一ノ宮で、…こう言ってはナンだが相当辺鄙な場所にあるので、
こうして団体旅行で連れてきて貰う機会がなければ、
私などには参拝することはなかなか難しかっただろうと思った。
正式参拝の団体客が次々と並んで待機していたので、
やはりツアーならではの貴重な機会なのだろうと思われた。

出雲大社の宮司さんが新しく就任されるときには、
まず、一ノ宮であるこちらの熊野大社に、
おつきの方々とともに奉告に来られるとのことだ。
出雲大社を擁していながら、この地方では今も熊野が一ノ宮として尊重されている。
注連縄なども出雲大社と同じ形式だそうだ。

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宿泊は皆生温泉。
なぜ泊まるためだけに鳥取まで来たのか、謎の旅程だったが、
ここは娘が1歳の頃に、家族3人で来たことがあるので懐かしかった。
本当はそのとき、舅姑も一緒に家族5人での温泉旅行の筈だったのだが、
舅宅の柴犬コロが病気をしたので、舅たちは参加をとりやめたのだった。
コロさんは、まだ6歳半だったのに結局そのまま助からず、
「コロに留守番をさせて我々5人で温泉に行くのが、気に入らなかったのだろう」
と舅は言った(爆)。
「憤死した」
と主人も同調したものだった。

……という、当時は微かに困った思い出の残った皆生温泉滞在だったが、
今回は仕事関係の慰安旅行なので、そんな感傷とは関係なく、
遅くまで飲めや歌えやのハデな一夜だった。
修辞ではなく、本当に大広間での宴会とカラオケであった(^_^;。

寝るのは女性4人で和室の一間。
温泉もさほど込んでいなくて、堪能できたし、
何より、海の好きな私にとっては、ロケーションが最高だった。
部屋からも波打ち際が眺められたし、散策に出るのも自由だった。
残念ながら夜の漁り火はあまり見えなかったが、
それでも、波の音を聴きながら眠るのは至福だった。



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1日目の最後の観光は、美保神社~美保関灯台。
美保神社は、楽曲の神様でもあるそうで、
境内には様々な楽器が納められており、
月次祭(←定かでない。聞き漏らした)で奏される特別な大太鼓もあった。
注連縄は細くて、ぴんと張ってあり、
村の神社での見慣れたものとかなり違った。
こういうものにはきっと、それぞれの地域や神社の謂われがあるのだろう。



参拝のあと、灯台へと歩いて、日本海を眺めてみたら、隠岐の島まで見渡せた。
撮影するのは難しかったが、水平線の向こうに島の山並みが見えていた。



松江勤務の時代、主人が時々出張で隠岐の島に行っていたものだ。
渡るには船しか手段がなかったので、海の状況により、
行ける季節とそうでない季節があった。




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大根島は中海に浮かぶ島で、松江市内から車で30分。
大昔に舅の運転する車で来たことがあったが、
私はもう何も覚えていなかった。
「牡丹と高麗人参の里」ということで、
観光バスで到着すると、まずは高麗人参茶が振る舞われ、
それから昼食、ぼたん園と庭園の散策など、
しばしゆったり過ごすことができた。
天気は良かったが、もう8月中のような厳しい暑さはなく、観光日和だった。
牡丹の鉢植えはお土産に買って帰ることもできたのだが、
私は植物には自信がないので、手を出さず(^^ゞ。



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仕事関係で山陰に慰安旅行に行った。
一泊二日で、松江―皆生温泉―出雲大社。

二十年以上前、結婚して半年くらいの頃から3年ほど、
私は松江に住んでいたことがあるので、
市街地などとても懐かしい風景があちこちにあった。
一方で、堀川巡りをしながら眺めていたら、
昔と違う風景もいろいろとあり、特に、
娘の生まれた松江赤十字病院が建て替えられ、
すっかり新しくなっていたのには驚いた。



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