転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



未来の團十郎の、初お目見得を、私は観た!
菊五郎の先導で、海老蔵に手を引かれて花道に出て来た、
小さな小さな「ミニ成田屋」。まだ二歳八ヶ月。
藤十郎、仁左衛門、梅玉、染五郎、松緑らが迎える舞台に着くと、
正面にきちんと座って、お扇子を置いて、
「ほりこし、かんげん、に、ござりますぅぅ」
と大きなお声でご挨拶ができた。
満員の歌舞伎座の、万雷の拍手。
なんと豪華な、なんとお目出度い、初お目見得だったことだろう。

将来、彼が大活躍する姿を観ることは、私には叶わない。
けれどかわりに、彼の初めての歌舞伎座に、私は立ち会うことができたのだ。
成田屋当主として、父親としての、見事な海老蔵の姿を見たら
なつおちゃん(團十郎)の大らかな笑顔が重なって見え、泣けた。
「小さい孫が、お扇子持って、お稽古に通ってきたら、たまらないでしょうね」
と、かつて目を細めるようにして語っていた團十郎。
ああ、なつおちゃんが生きていたら、
このいたいけな孫息子を、それこそ目に入れても痛くないほど
深い深い愛情で包んで、慈しんだことだろう!

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全部観ると歌舞伎座の夜の部に間に合わないので、
全四幕のうち、今回は三幕目までで断念(泣)。
こういう見方をするのは大変不本意だったのだが
この短い滞在では、日程の面で制約が多すぎ致し方なかった。
吉右衛門の見せ場の二幕は堪能できたし
大詰めの頓兵衛住家だけは、単独での上演機会もあることなので
三幕まででも観られたことについては大変有り難く思っている。
滅多にない通し上演の場に居合わせることができた。
早退しまして申し訳ありません!

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きょうの歌舞伎座昼の部は貸切公演で一般は入れない。
仕方がないから(殴)私は国立劇場に行く。
今まではいつも銀座→半蔵門と地下鉄で移動していたのだが
「なんでバスで行かねーの?」
と先日主人に指摘されて目が覚めた。
そうだ、築地→三宅坂は直通のバスがあったではないか。
毎回毎回、国立劇場の正面のバス停を眺めていながら
私はなぜ路線バスをチェックしようとしなかったのだろうか。
……というわけできょうは都営バスで。

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昨夜は23時台にいつものホテルにチェックイン、
日付の変わった直後から今朝9時まで爆睡した(笑)。
朝からテレビも鳴っていないし、ひとり旅は最高であるっ♪

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宝塚が終わって今度は丸ノ内線経由で高円寺、
19:30より、はせがー氏のライブ。
道楽三本立てはさすがに初めての経験だったかもしれぬ(汗)

次郎吉 Rainbow Jam
是方博邦g 久米大作key バカボン鈴木b 長谷川浩二dr

はせがー氏を聴きたくて行ったのだが、豪華メンバーだった。
和気藹々としていながら、セッションとしての趣もあり、
二部構成のライブがあっという間だった。
はせがー氏があのように笑顔で、楽しそうに演奏なさる方だとは
T.M.Revolutionのライブで観察していただけでは私にはわからなかった。
あのドラムスをライブハウスという狭い空間で堪能でき、
至近距離ではせがー氏の表情まで観察できてしまって、
いやはや、素晴らし過ぎて、振り切れた感があった(笑)。

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歌舞伎座から地下鉄で日比谷直行、
星組『ガイズ&ドールズ』。

歌舞伎座の昼の部が終わってから来たので、
第一幕の前半が観られなかったのが残念だったが、
あとはほとんど文句無しに楽しませて貰った。
大劇場で既に観た作品を、もう一度東京でも観たいと思うなんて、
たかこ(和央ようか)さん退団以来、絶えて久しく無かったことだった。

ほっくん(北翔海莉)の綺麗なこと巧いこと、全く満点のトップ姿だと思った。
ほっくんの男役にはとても美しい型があって、私は昔から気に入っているのだが、
大劇場で主演したことで、それは更に磨きがかかったと感じた。
本当に本当に、彼女のトップ姿を見ることができて良かった(涙)。

ふう(妃海 風)ちゃんも美声の主演娘役で、ほっくんとお似合いだった。
私は、ふうちゃんの芸風をよく知っているとは言い難いのだが、
今回のサラ役に関しては安定した演技で、
頑ななのに一貫した愛らしさがあって、とても良かったと思った。
あとは、次回作以降、宝塚娘役に必須の「お姫さま」がこなせるかどうかが、
トップ娘役としての試金石になるのではないかなという気がした。

全体として、台詞も愉快で音楽もノリが良く、気分の良い作品なのだが、
日本しか知らない私には、文化的な背景で感覚的にピンと来ないところがあり、
その点のみ、僅かに、作品に入りきれない感じはあった。
例えば作品当時の「救世軍」がどういう位置づけなのか、よくわからず、
一応、「ギャンブラーたちとは反対側の世界にいる、お堅い人々」
という前提でこの芝居を観はしたが、本当にそれで良かったかどうか
(大劇場観劇時に続き)今回も観客として心許ない部分があった。
また、クラップゲームが具体的に何をどうするものなのかも、
私はやったことがないので、あまり理解できていなかったし(^_^;。
まあ、舞台として楽しければ十分な成功だとは思っているけれども。

この日は、アデレイド(礼真琴)の台詞忘れ事件(爆)があった。
優等生のまこっつぁんにしては全く珍しいことだった。
それは、いよいよ芝居の最終場という2幕5場で、
まず、ギャンブラーたちがネイサンの新聞スタンドの前で
うっかりポップコーンを落としてばらまいてしまい、
ネイサン役のベニ子(紅ゆずる)ちゃんが
「ちょっと、アクシデントがありまして(^^ゞ」
とフォローして客席の笑いを取っていたら、やって来たアデレイドが、
「あら~、ネイサン、忙しそう(^^)」
と乗ったまでは良かったのだが、いつもと違う台詞を言ったのがアダになったか、
そこから続かなくなってしまったのだ(笑)。
「結婚だろ?商売の忙しいときに!…台詞まで忘れやがって」
とベニ子ちゃんがもう一度笑わせてくれたwww

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朝6時の始発で広島を発って、まずは歌舞伎座昼の部。

私の母方祖母の、見果てぬ夢であった海老様。
私はその存命中の公演は、全く観ることが叶わなかったが、
かわりに今日、孫の海老蔵とその長男の舞台を観るのだ!

3歳半だった私を、南座の顔見世に連れて行ってくれた祖父母がいたからこそ
私は長じて、歌舞伎座の吉例顔見世を、
広島から始発で駆けつけて(爆)観るような人間になったのだ。
じいちゃんばあちゃん、きょうは私に憑依して一緒に楽しむのだぞ(笑)?

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きょうも午後1時から実家に行った。
祭りの後片付けのためにorz
幕を畳み、提灯を仕舞い、空いた段ボールを折りたたんで重ね、
社殿を掃き掃除して拭き掃除して、ゴミを分別してまとめ、
作業後、男性陣にお茶と缶コーヒーを渡して歩き、
かわりに(かどうか知らないが)、我々女性陣は、
俵もみの子供達に配った残りだという袋菓子を神社から貰い、
午後3時半、解散。
……晴れて、今年の秋祭りに関する一切が、終了した。

めでた~~(T_T)!!!

85歳の父は皆に交じって元気で労働していた。
86歳の母は、相変わらず脚が駄目なので家から出ず、
袢纏を羽織って座っていたが、口は達者だった。

母は、きょうは魚屋のオジさんに電話して蛍光灯を注文していた(爆)。

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朝早くから、神社の掃除と餅まきステージの設置作業が行われた。
男性陣が力仕事、女性陣は掃き掃除・拭き掃除とお茶出しだった。
夜店で食べたものを皆が散らかしたらしい、割り箸やコップや串が、
境内にも石段にも参道にもあちこちに落ちており、
爆竹のゴミや、くじ引きの紙切れなども無数にあったので、
いやはや、掃除のし甲斐のあることだった(--#)。

この神社の祭りは、曜日に関わらず毎年11月2日と3日に行われ、
まず2日が前夜祭で、祭典と巫女舞奉納のあと夜更けまで神楽がある。
翌11月3日の本祭では、午後1時半から本殿で祭典と巫女舞奉納があり、
次に、朝から村を練り歩いた各地区の神輿や俵もみが、
順番に次々と石段を上がって来て、境内で「揉んで」盛り上げ、
最後に、神官さんや総代さんが、
境内数カ所に設けられた仮設ステージから丸餅を撒いて、参拝者がそれを拾う、
という余興が行われる。
今年は素晴らしく天気が良かったお蔭もあって、例年にもまして大盛況だった。
一体全体、どこからこれだけの人がやって来るのか、
そもそもこの人々は、ここに神社があることをどうやって知ったのかと、
毎年、この祭りの余興のときだけは私は本気で不思議に思う。

「お宮の維持費なんか払っとってんない人が、大勢、来とってよね(^_^;」
と叔母が笑っていた。
だな。パンスーの祖母(=父方の祖母)がいたら、さぞかし、
「あんにら、皆、旅のもんじゃ(あの人たちは皆、よその地区の人たちだ)」
と指摘したことであろう。
しかし、考えてみるとこれは素晴らしいことではないか(^_^;。
祭りがあるからこそ、かくも大勢の人々が、こうして、
自家用車が無かったら来られるわけがない奥地の神社にまで、
家族連れでやって来るのだ。
「祭り」というのは、何か知らないが凄い威力のあるものなのだな(O_O)。

***********

毎年、叔母の昔語りはなかなか興味深いものがあるのだが、
今回知ったのは、叔母の実家あたりでは
昭和20年代まで電気が来ていなかった、という事実だった。
叔母は現在七十代なのだが、戦後になっても電灯はなくて、
外は松明、家の中はろうそくや石油ランプという暮らしだったそうだ。
私の実家界隈では、昭和40年代にまだ冷蔵庫が普及していなかったことと、
主な「間ぬくめ」(=暖房)の手段が、丸火鉢や炭団のコタツだったこと、
の二つが、今となっては割と凄い話なのではないかと私は思っていたが、
叔母の実家はうちより更に奥の村なので、やはり話が桁違いであった。
世代が異なっていることを割り引いてもなお、原始度(爆)において、
叔母に完全降伏せざるを得ないワタクシであった。

***********

ともあれ、そんなこんなで、今年も祭りが終わった。疲労困憊。
もともと月曜日はうちの会社は休みで、火曜日の今日は文化の日、
明日の水曜日も私はたまたま仕事が入っておらず、
つまり職場の人から見れば、私は3連休を満喫した人間、
ということになるのだが、実態は完全にその反対だ。
昨日月曜日は深夜帰宅、本日は朝8時からさきほどまで労働、
更に明日は、まだあるのだ、また午後1時集合の後片付けorz

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実家の村祭りの手伝いに行って、今さっき帰宅した。午前1時。
そして明日、――いや、もう「今日」だ――が例祭本番で、
「午前8時集合」と帰り際に指示があったorz。

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