転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝早くから、神社の掃除と餅まきステージの設置作業が行われた。
男性陣が力仕事、女性陣は掃き掃除・拭き掃除とお茶出しだった。
夜店で食べたものを皆が散らかしたらしい、割り箸やコップや串が、
境内にも石段にも参道にもあちこちに落ちており、
爆竹のゴミや、くじ引きの紙切れなども無数にあったので、
いやはや、掃除のし甲斐のあることだった(--#)。

この神社の祭りは、曜日に関わらず毎年11月2日と3日に行われ、
まず2日が前夜祭で、祭典と巫女舞奉納のあと夜更けまで神楽がある。
翌11月3日の本祭では、午後1時半から本殿で祭典と巫女舞奉納があり、
次に、朝から村を練り歩いた各地区の神輿や俵もみが、
順番に次々と石段を上がって来て、境内で「揉んで」盛り上げ、
最後に、神官さんや総代さんが、
境内数カ所に設けられた仮設ステージから丸餅を撒いて、参拝者がそれを拾う、
という余興が行われる。
今年は素晴らしく天気が良かったお蔭もあって、例年にもまして大盛況だった。
一体全体、どこからこれだけの人がやって来るのか、
そもそもこの人々は、ここに神社があることをどうやって知ったのかと、
毎年、この祭りの余興のときだけは私は本気で不思議に思う。

「お宮の維持費なんか払っとってんない人が、大勢、来とってよね(^_^;」
と叔母が笑っていた。
だな。パンスーの祖母(=父方の祖母)がいたら、さぞかし、
「あんにら、皆、旅のもんじゃ(あの人たちは皆、よその地区の人たちだ)」
と指摘したことであろう。
しかし、考えてみるとこれは素晴らしいことではないか(^_^;。
祭りがあるからこそ、かくも大勢の人々が、こうして、
自家用車が無かったら来られるわけがない奥地の神社にまで、
家族連れでやって来るのだ。
「祭り」というのは、何か知らないが凄い威力のあるものなのだな(O_O)。

***********

毎年、叔母の昔語りはなかなか興味深いものがあるのだが、
今回知ったのは、叔母の実家あたりでは
昭和20年代まで電気が来ていなかった、という事実だった。
叔母は現在七十代なのだが、戦後になっても電灯はなくて、
外は松明、家の中はろうそくや石油ランプという暮らしだったそうだ。
私の実家界隈では、昭和40年代にまだ冷蔵庫が普及していなかったことと、
主な「間ぬくめ」(=暖房)の手段が、丸火鉢や炭団のコタツだったこと、
の二つが、今となっては割と凄い話なのではないかと私は思っていたが、
叔母の実家はうちより更に奥の村なので、やはり話が桁違いであった。
世代が異なっていることを割り引いてもなお、原始度(爆)において、
叔母に完全降伏せざるを得ないワタクシであった。

***********

ともあれ、そんなこんなで、今年も祭りが終わった。疲労困憊。
もともと月曜日はうちの会社は休みで、火曜日の今日は文化の日、
明日の水曜日も私はたまたま仕事が入っておらず、
つまり職場の人から見れば、私は3連休を満喫した人間、
ということになるのだが、実態は完全にその反対だ。
昨日月曜日は深夜帰宅、本日は朝8時からさきほどまで労働、
更に明日は、まだあるのだ、また午後1時集合の後片付けorz

Trackback ( 0 )



« 今 帰ったぞ~ 後片付け »