転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日の夜、広島の自宅に戻ってきた。
私の十代の頃からの憧れであった、
『ホテルか旅館に泊まって年越しをする』
ということが、このたびは我が人生で初めて実現できたし
嫁活動や主婦仕事なしに三が日を過ごせたのも、結婚後初めてのことで、
なかなか良い年末年始だったと、ありがたく思っている。

時々書いているように、私の実家は寒村にあるうえ、
父が四人兄弟で、親戚づきあいがかなり密だったので、
お正月を家族水入らずで過ごすなど許されないことだった。
特に昔は、我が家に限らずどこの家でも、正月2日になると、
朝早くから本家に親戚一同が集結することになっており、
長男の嫁(=我が家なら私の母)は倒れるまで労働を強いられたものだった。
私は今でも、親戚がずらりと並んだ座敷の風景を思い出すことができる。

なので私は、結婚後初めて舅宅で嫁として年末年始を過ごしたとき、
あの一族郎党の集う実家の凄まじい正月からついに脱出できた、
というのが心から嬉しかったのだが(爆爆)、
それと同時に、主人の家というのがまた、係累が極端に少なく、
年末年始が、あまりに穏やかで私的な時間だったので驚いたものだった。
主人は一人息子だったし、そもそも舅が天涯孤独だったので、
主人の伯父(叔父)一家・伯母(叔母)一家などというものもなければ、
兄弟姉妹一家や甥っ子・姪っ子なども一切、存在しなかったのだ。
強いて言えば姑の長姉にあたる人がひとり、大阪にいただけだった。

私の前半生は極端から極端へと移った、と今にしてつくづく思う(汗)。

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きょうは、主人と二人で実家へ年始に行った。
脚の痛い母は杖を使いながらだったが、一応、起きていて、
父のほうは暇さえあればあちこち片付けているような具合で、
つまり、いつも通りだった(^_^;。
東京で撮影した娘の写真を持っていったので、ふたりとも喜んでくれた。
また、私は今年は忘れず、和菓子のお供えと玉串料を持参した。
恐らく、あれで粗相は無かった。はずだ。と、思う。


追記:なぜか厄払いの話になり、父が、
「みーちゃんは今年、後厄じゃあないか」
と指摘した。
な、なんと。今年で満19歳になるのだから、そういうことか。
ってことは、娘の前厄・本厄は既に終わっていたのだ(殴)。
本厄(←しかも厄払いしてない)のうえに天中殺の時期に、
よりによって娘は受験生だった、ということになる(大汗)。

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