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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



KAJIMOTOから、ルプーに関して、以下のような発表があった。
13日東京公演については、行う予定で経過観察中とのことだ。
症状の改善を祈りたい。
ラドゥ・ルプー 来日公演について(KAJIMOTO)

『2012/11/10 | 大切なお知らせ
■ラドゥ・ルプー 来日公演について
現在来日中のピアニスト、ラドゥ・ルプーは、11月7日(水)に左手中指に蜂窩織炎(ほうかしきえん)を発症。11月9日(金)夕刻、症状の悪化に伴い演奏が困難であると診断され、翌日の11月10日(土)の川西みつなかホール(兵庫県)でのリサイタル公演をやむを得ず中止するに至りました。現在、治療を続けながら11月13日(火)の東京オペラシティコンサートホールでの公演実現に向け、経過観察中です。ラドゥ・ルプーは、指の支障をなんとか克服して演奏に臨むべく療養に努めており、現時点において11月13日の東京公演については行う予定でおります。今後、状況は随時HP等でご案内いたします。お客様にはご迷惑、ご心配をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。』

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2012/11/10:
「ラドゥ・ルプー ピアノ・リサイタル」公演中止のお知らせ
(みつなかホール)
『【公演中止】
ラドゥ・ルプー氏が、左手中指の蜂窩織炎により、ドクターストップとなりました。
そのため、明日の公演は中止せざるを得なくなりましたので、お知らせ申しあげます。』

昨夜、上記の告知が、みつなかホールのサイトに載った。
チケットを購入されていた方々には、直接に連絡もあったそうだ。
なんということだろう。
ファンは勿論、ルプー本人もどれほど無念に思っているだろうか。

私の聴いた6日の大阪公演が素晴らしかったのは既に書いた通りだし、
Twitter等で見ていると、ここまでの東京や名古屋での演奏会も、
いずれも大変に絶賛されているので、
このあとの公演を待ち望んでいたファンは、本当に多いことと思う。
13日の東京公演については、どのように決定されるのだろうか。
実はルプーは、前回2010年秋に来日したときも、
急な体調不良でツアーを中止せざるを得なくなった
という経緯があり、
ファンなら誰しも、今回の来日公演には「今度こそ」の思いが強かった。
上記の文章に『ドクターストップ』とある以上、ルプー本人もまた、
症状があっても演奏することを望んだのではないだろうか。

文面からは病状の程度はわからないが、蜂窩織炎ということは、
私の知っている範囲では、抗菌剤と鎮痛剤での治療になると思われ、
薬が合っていれば、比較的速やかに改善するのではないかと思う。
しかし完治させなければいけないし、患部が指ということでもあり、
経過が良くても決して無理をせず、治療を優先させて貰いたいと願っている。
ルプーのピアノ、あの音は、もはや世界の宝だと私は思っているので、
今はできる限り安静にし、指を大切にして、回復に努めて頂きたい。
何よりも、まずは少しでも早く痛みが取れますように……(祈)。

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牧場、ワイナリー、まちつく!
以前からときどき、mixiアプリのゲームのことを書いているが、
最近は規模縮小の傾向にあり、今後はどうもワイナリーだけになりそうだ。
まず、長らく遊んだ『サンシャイン牧場』(=養豚場)は、
豚は可愛かったのだが、最近はずっと有料イベントの案内があまり多くて、
山ほど「×」をクリックしないと豚ちゃんたちのところへ行けず、
日に何度もこれをやると疲れるので、先日、実質的に停止させた。
成長した豚子たちをすべて売却して、畑の作物も売り払い、
新たな育成はしないことにしたので、今、私の畑も牧場も静寂の極みだ。
DS『どうぶつの森』だと、放置するとゲーム内の住人から
「一週間も、どこに行っていたの」と訊かれ、部屋にはゴキが出て、
庭には雑草が生え、しまいにラフレシアまで出現するそうなのだが、
サンシャイン牧場には、そのようなことは全く起こらない。
一方、『まちつく!mixi版』は12月21日でサービス終了となるそうだ。
そのため、もう私の「まち」も、事実上カウントダウンに入っている。
本日朝の状況では、人口27986人、私は依然として大統領であるが、
今後、住人たちはどうするのだろう。どこかへ引っ越すのだろうか。
もうじき終了する「まち」なのに、今朝も住人たちは、
税金2285銭を律儀に納めてくれていて、申し訳なかった。

証明写真
昨日、娘はたまたま、学校が早く終わる日だったので
地味な私服で、出願手続きに必要な証明写真を撮りに行った。
中学入試のとき、出願直前の真冬の土壇場になって、写真がなく、
しかも本人の髪が市松人形みたいで、無茶苦茶アセったことを教訓に、
今回は撮るだけは撮っておこうと、早めに行動した(させた)。
これまでよく使ったコンビニ横のスピード写真ではなく、
ちゃんと、家の近所のカメラ屋さんで、撮影して貰ってきた。
勿論、その場ですぐプリントのできる簡単なヤツだったけど(^_^;。
大学なんて顔で合格するワケでなし!と私は思っていたが(爆)、
今回のは、入試がどうこうよりも、大学の学生証になって
そのまま四年間もずっと使用するかもしれない写真なのだ。
リボンの歪んだ女子高制服を着て高校の校章をつけ、仏頂面の斜め写り、
というのが大学生の身分証明書では、あまりに悔いが残るだろう。
ともあれ、写真屋さんの御蔭で、リラックスした感じの、
いいヒトそうな私服姿が撮れていて、有り難いことだった(殴)。
今時はデータ保存されるので、今後はどのようなサイズが必要になっても、
電話で注文するだけで、証明写真の焼き増しも可能とのことだ。

『I Love Anisong Concert』
最近は、夜、娘がパソコンを使うことが多いので、
私はできるだけ午前中のうちに、ブログの更新や、
メールの返信などの用事を済ませるようにしているのだが、
今夜は特に、前々から娘の先約が入っている。
それは、T.M.Revolution(西川貴教)の 出演する、
シンガポールの「アニメフェスティバルアジア2012(AFA)」が
ニコニコ生放送で夜20:30から中継されるからなのだ(汗)。
AFA2012「I Love アニソン コンサート」DAY1【T.M.Revolution】(niconico)
しかし、おいっっ、こんなことやってていいのか、受験生!
それに私のニコニコIDは、あるにはあるけど無料会員に過ぎないから、
混雑して来たら追い出される可能性大なんですが!??

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友人の呟きで知って、あまり笑ったので、ここにも貼っておく。

奈良線 六地蔵駅の営業開始が遅延した事象について(JR西日本)

10月29日(月曜日)、奈良線 六地蔵駅において、
社員が寝坊して遅刻し当駅の営業開始が10分程度遅れた、
というお詫び文書で、概況説明によると、
始発電車には約50名の乗客がいて、乗り遅れた人はなく、
切符購入出来なかった乗客5名は、着駅での精算等になったということだ。
現場はしばらく混乱しただろうと思われるが、
幸い、大きなトラブルに発展したようではなく、幸いだった。

まあ、始末書というのは、えてして滑稽なものだが、
それにしてもウケたのは、次の『原因』の項目だ。

4 原因
六地蔵駅の社員が起床後に二度寝したためです。


いや~~……、そりゃ不可抗力だよねえ。
気をつけていて防げたら、誰も苦労は、せん(殴)。
ネットでの反応も、「にんげんだもの」「駅員さん乙」等々、
温かいものばかりだったということだ(^_^;。

ちなみに、この記事を貼った友人の呟きに対して、
ヨーロッパ在住の別の友人が、
『ロンドンでは「運転手が見つからないので、しばらく停車します
なんてアナウンスすら流れます』
とレスしていて、私はそれにも悶絶させて貰った。
覚醒できない人やら、行方不明の人やら、
勤務時間なのに、鉄道の現場は本当に大変だ、はははは……(悶)。

***********

ときに、JRでは以前から、こういう早朝勤務の出社時間に遅れないよう、
下記のような「自動起床装置」を導入しているのだそうだ。
今回の六地蔵駅の社員さんが、これをご使用だったかどうかは、
記事からは判然としないのだけれども……。

定刻起床装置「やすらぎ100」(新光電業(株)えきねっと)

鳴り響く目覚ましのように周囲の迷惑にならず、しかし結構、執拗で、
少々の寝返りでは逃れられないスグレモノ、…のように見える。
問題は価格が96000円と、「目覚まし」にしては高価過ぎる(^_^;ことだが、
10分の寝坊で一生を棒に振るような事態もあり得ることを思えば、
自分の起床能力を信用できない人にとっては、救いの神かもしれない。
個人で購入なさった方による、使用レポートの動画もあった(^_^;。

10万円の目覚まし - 定刻起床装置 「やすらぎ90」使用レポート(YouTube)

しかし、しかし、だ。
どんなマシンも、やはり万能ではないのだった。
過去、この起床装置で起こして貰ったにも関わらず、
これを止めたあと二度寝に入り、遅刻したJRの男性車掌さんがあった。
そこまでやられては、結局普通のアラーム仕様の時計と変わらない。
こういう人になると、まさに「十万円の目覚まし」に過ぎなかったのか(爆)。

JR西日本の車掌が寝坊で電車も運休!(2012年4月21日 リアルライブ)
『JR西日本の車掌が寝坊して、電車が運休するという前代未聞の珍事が起きた。』『3月18日午前6時35分頃、大阪府泉佐野市のJR阪和線・日根野駅で、和泉砂川行き回送電車に同駅から乗務する予定だった男性車掌(22)が寝坊して現れず、電車2本、約200人に影響が出たことが分かった。JRでは自動起床装置を導入しているが、装置を止めて二度寝してしまったのが原因だという。』

記事には前代未聞の珍事とあるが、半年ちょっとで、
また寝坊しているのだから、空前ではあっても絶後ではなかった。
いや、六地蔵駅のは、運休には至らなかったから、
この前例よりずっと「マシ」な話として、許容範囲ということだろうか。

いずれにせよ、やはり、どうやっても朝は起きられないものなのだ。
二度寝を克服することは、人類的な課題かもしれない。

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昨日は、大阪いずみホールで、ラドゥ・ルプーを聴いた。
昨夜のルプーは、もはや『神』の領域だった。
音楽を「楽しむ」などという気楽なものではなく、
かと言って、自己と「対決する」というような凄惨なものでもなく、
ルプーは、厳しく神聖な、霊的な世界に身を置き、
音のひとつひとつを、限りなく繊細に積み上げていた。

演奏というのはある種の降霊術だと思う。
演奏が高度な再生芸術であるということを、
私に最初に考えさせたのはイーヴォ・ポゴレリチだが、
そもそも演奏家が何を「再生」しているかというと、
それは、偉大な作曲家たちが書き記した「言葉」なのであり、
現代音楽でない限り、そうした作者たちは皆、既に故人だ。
演奏家は、死者の声を聴き取り、自分の手技でそれを形にして、
私たち聴き手に届けてくれる。
演奏という行為で作品が再生されている間だけ、
私達は、今この瞬間に蘇った作曲家の言葉を聴くことができるのだ。

昨夜のルプーは、シューベルトひとりと、深く深く対話していた。
シューベルトの、音楽への純粋な敬愛や畏怖、逡巡する言葉、
ルプーの中では、それらが天上の歌となって木霊していて、
彼はそれをつぶさに追って再現しつつ、
この美しい音を重ねているのだろう、と私には思われた。


 ラドゥ・ルプー 11月6日(火)19時開演 いずみホール
 シューベルト・プログラム

 16のドイツ舞曲 D783、op.33
 即興曲集 D935、op.142
  1.ヘ短調 2.変イ長調 3.変ロ長調 4.ヘ短調
  *******
 ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(遺作)
  *******
 アンコール:
  スケルツォ 変ニ長調 D593-2
  楽興の時 D780より第2曲 変イ長調


プログラム冊子に、ルプーの過去の来日公演の記録が掲載されていて、
1973年の初来日以来、前回2010年までの十回に及ぶ来日公演の、
公演地とプログラムが出ていた。
今回はルプーの11回目の日本ツアーとなったわけだが、
こうして改めて眺めてみると、ルプーは本当にショパンを弾いていない
(87年リサイタルで、ピアノ・ソナタ3番を取り上げたのみ)。
シューマンもブラームスもよく弾くのに、ショパンと、それにリストは、
ルプーがその言葉を聞き取ろうとする作曲家ではないようだった。
演奏家が弾く作品を選び、プログラムを組むときには、
作曲家のほうでも、言葉を託す演奏家を選んでいるに違いない。
その時点で、作曲家と演奏家の霊的な交流は
既に始まっているということなのだろう。

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ゲーム「戦国BASARA」が宝塚ミュージカルに!(J Cast)
『カプコンは、人気ゲーム「戦国BASARA」シリーズを題材とした、宝塚歌劇団によるミュージカル「戦国BASARA」を2013年6月に公演する。2012年11月2日、発表した。』『過去にもカプコンのゲーム「逆転裁判」シリーズを題材とした「逆転裁判 -蘇る真実-」などを公演していた宝塚歌劇団が、「戦国BASARA」とコラボレーションし「戦国BASARA」のミュージカルを行う。』『原作となる「戦国BASARA」シリーズは、戦国時代の武将や史実を主軸としながらも、ユニークな世界観を創造したスタイリッシュ英雄アクションゲームで、今回のミュージカルでは戦国武将の生き様をドラマチックに描くとともに、宝塚歌劇ならではのロマンも加味され、「より華やかな『戦国BASARA』の世界が楽しめる」という。』『主演には花組のトップコンビである蘭寿とむ、蘭乃はなの両氏を起用し、脚本・演出は宝塚歌劇団演出家である鈴木圭氏が手掛ける。』『2013年6月15日~7月1日の日程で、会場は東急シアターオーブ(東京・渋谷区)。』

こんなもんが発表になったせいで、
「勉強頑張るよ!東京の学生になれるように!!」
と、うちの娘が萌えて萌えて、困っている(爆)。
これを知った日から、娘とBASARA仲間たちは盛り上がり、
さかんにメールのやりとりをし、来年6月は東京だ!!とばかり、
一緒に観に行く友人も早々と決まった。
……まぁ、そりゃ、私も、観たいけどもよ(逃)。

我が家では娘のせいで、…いや、御蔭で、
『戦国BASARA』はかなり以前から馴染みだった
主人がゲーム類を嫌うのと、私の視力が極端に悪いのとで、
家では基本的にゲームで遊ぶ習慣は無いのだが、
減量のためのWii Fitだけはあり(しかも誰も減量できてなくて)、
娘のお友達がソフト持参で遊びに来てくれたときは、
娘もゲームのBASARAを、家のテレビを使って楽しんでいたのだ。
また、西川貴教がBASARAの主題歌を担当して来た経緯もあり、
娘はアニメも漫画も実写も、BASARA関連は常に広くチェックしていた。

それを横から眺めて来た範囲の知識で、私が思うのは、
BASARAの設定そのものは別に宝塚向きではない、ということだ。
確かに、魅力ある男性キャラがたくさん出てくるので、
男役はスターから若手、ベテランに至るまで、しどころがあるし、
女性キャラも、数は多くはないが印象的なものばかりではある。
しかし、銀英伝でもそうだったが、「恋愛」がほとんど無いのだ。
純粋な恋愛となると、浅井長政とお市くらいしかないのでは?
上杉謙信と、くの一「かすが」も、麗しい関係ではあるけれど、
よほどフェアリー系の男役でないと、BASARAの謙信は似合わないだろう。

何より、BASARAをやるなら伊達政宗はやはり中心人物だろうと思うのだが、
彼の周辺で意味のある役どころは、もう本当に男性ばかりだ。
トップが政宗なら二番手が片倉小十郎だろうと思うが、
ほか、真田幸村・猿飛佐助・武田信玄、物語を動かすのはすべて男性で、
誰についても、恋愛は完全にどうでも良いことなので、
トップ娘役のやる役が、伊達軍にも武田軍にもひとつも見当たらない。
織田信長と濃姫の組み合わせなら、無難に使えないことはないだろうし、
若手男役に森蘭丸を演らせるというのはアリかなと思うのだが、
それなら何もBASARAでやらなくても、宝塚として普通にできる話だ(汗)。

だいたい、宝塚で戦国時代を扱うこと自体は、今までもあったわけで、
だのに今回、わざわざBASARAの名を借りるのは、
これでゲームファンを取り込みたい、という意図にほかならないだろう。
BASARAほど人気の高いゲームともなれば、
それはある程度、当たるだろうとは思う。
銀英伝だって、原作ファンとおぼしき男性客がたくさん来てくれたのだ。
しかしそうやって観に来た人達を、最低限、失望させないためには、
やはり宝塚歌劇の範疇で、BASARAがちゃんと成立していなくてはいけない。
過去に『逆転裁判』も宝塚歌劇として成功してはいるので、ゲームの虚構に、
宝塚の「夢」や「つくりごと」のエッセンスがうまくハマれば、
『宝塚のBASARA』として認識されることも可能だとは思うのだが……。

それにしても、これ、宝塚大劇場公演ではなくて、
渋谷のシアターオーブなのだね(汗)。
日比谷の東宝でも難しいのに、こんなのチケット取れるのだろうか。
娘はすっかり行く予定で気合いを入れているのだが、
その前に、チケットだよ、チケット……。

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・高3の娘にとって、昨日は最後の文化祭だった。
とは言え、娘の学校では高校部3年生はクラス発表もしないし、
部活のあった子たちも既に大半は引退しているしで、
これまでのように忙しい文化祭ではなかった。……はずだった。
娘は、なぜか相変わらず美術部の仕事があった(^_^;。
美術部は高3も絵や立体を出品しているので、娘も静物画を出し(写真)、
それらの展示やオブジェの共同制作やらで、結局あれこれと作業があった。
私のほうは、もはや中学部のようにPTA役員をしているわけではないし、
高3保護者にはお手伝いの義務付けも無いしで、
これこそ本当に初めて、ゆったりと見物をさせて貰うことができた。
帰りに、正門の手前で、中学部の保護者だろうと思われる役員さんが、
「100円くじ、どうですか~。くじ引きやりませんか~」
と鈴を振るような声で呼んでいるのが聞こえた。
すげー雨の中で、100円くじ、叩き売ったよな……、
と、何か私が学生時代を振り返るような、懐かしいものを感じた(^_^;。

・11月になり、多くの大学から出願書類が配付され始めた。
例の『テレメール』を通じて請求すると、自宅に送られて来る仕組みで、
大学案内と出願手続書類一式がセットになって1000円くらいだ。
先日、娘が放り出していたそれらを、何気なく眺めていたら、
某大学では、願書と一緒に提出する写真票の証明写真について、
『カラー』と限定されており、『入学後、学生証に使用します』
と小さい字で書き添えられていた。
出願のとき使った高校時代の写真が、そのまま学生証になるのか!
今時、そういう大学は多いのだろうか?
しかしそれだと、今通っている高校の制服で撮影した写真では、
大学生の持つ学生証としては違和感のあるものになりそうだ。
また、その同じ写真で、大学卒業まで身分証明書の更新は無いのだろうか?
だとすれば、運転免許証みたいなもんで、失敗写真の場合は
向こう何年間もずっと、情けない思いをするということだね。
何より女子学生なんて、入学後、あっちゅーまに別人にならんかね?

・受験生として自覚もプレッシャーもないわけでない娘たちは、学校で、
「そろそろ、『落ちた』の類いは忌み言葉ということにしよう」
と友人同志で話し合い、
「あらやだ、プリントが舞い降りたわ」
などと、やっているそうだ(^_^;。
それで思い出したのだが、大昔、私が受験生だったとき、
某大学の入試の最中に、机間巡視をしていた監督の先生のお尻が、
私の机に触れて、目の前で私の受験票を落とされたことがあった。
ムカついた私は、次の日に別の大学の入試に行ったとき、
セロテープを持って行って、自分の受験票を机に貼り付けてやった。
結果、受験票を舞い降ろされた大学には通って、
受験票をハリツケにした大学はホケツになったものだった(--#)。

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詳しい方なら、きょうのはタイトルだけでおわかりになると思う。
U3Eとは、1966年から1970年初めまで販売されていた、
YAMAHAのアップライトピアノの品番のひとつだ。
2012年の今、実は私は未だにこのタイプのピアノを所有しているのだ。
……ということを、昨日、確認した(笑)。

そもそも昨日は、毎年恒例「村の神社の例祭」があって、
この数年で、すっかり村時代の感覚と常識を取り戻した私は、
御玉串料も御供えの和菓子も忘れず、今年は余裕のよっちゃんで
実家まで行って来たのだが、そのときにちょっと元・自室に寄り、
私は今更ながら、自分のピアノについて調べてみたのだ。
このピアノは私が幼稚園に行っていた頃に買って貰ったもので、
両親も祖父母も楽器の知識など何も無かったので、
知人に意見や助言を求め、楽器屋さんの説明を聞いたうえで、
「縦型の中では大きく、孫の代まで使えるというから、これにした」
と、あとで言っていたものだった。
それで今回、具体的にそれがどういう番号のなんという型だったのか
今の私ならその意味も理解できるかもしれないと思いつき、
久しぶりに昔の自分の部屋に行き、ピアノの天屋根を開けてみた。

現マンションにある、10数年前に買ったピアノの場合は、
フレームの右のほうに品番と製品番号が印字されているのだが、
実家のは何しろ古いので、様式が違った。
『NO.U3』という文字は読めたが、品番がU3のどれなのかわからず、
製造番号も、ちょっと見たくらいではわからなかった。
目をこらして見ると、フレーム中央の、音叉のロゴの下に、
黒い字で7桁の製造番号が入れてあるのがわかった。

ちなみに、この三矢のごとく音叉を組み合わせたロゴには結構変遷があり、
実家ピアノについているのは、そうしたYAMAHAロゴマークの中では
言うまでもなく、最古のデザインのものだった(汗)。
そして何より感心したのは、『NIPPON GAKKI』の文字があったことだ。
ある世代以上の者には実に懐かしい響きで、
YAMAHAは、当初は『日本楽器製造株式会社』が社名であり、
確か1980年代まで、この名前は残っていた筈だった。

それから調律カードを出してみた。
これは今のピアノと同様に、壁面にとめ付けてあったが、
名前が『調律検査カード』とあり、記録様式が現在のと若干違った。
ここで詳しい品番と製品番号が確認できた。
品番U3Eで、その横に、101…で始まる7桁の製造番号があり、
昭和45年2月某日に出荷検査、同年4月に初回調律の記録があった。
最初の2年間は半年ごとに調律して貰ったことも書かれていた。
以後は毎年1回調律を続け、私が家を離れて弾かなくなってからも、
同じ調律師さんがずっと通って下さっており、
そうした記録がすべて、このカードに綿々と書き入れられていた。

私が来た以上、久しぶりに音を出してやらなければと思って、
ショパンのマズルカ作品59-2を弾いてみた。
現マンションのピアノより、微妙に黒鍵の幅が狭いように感じたのだが、
照明の具合が今の家と実家では違ったせいだろうか。
指に返って来る感触は、記憶にあった通り、重めだった。
音は、部屋が乾燥しているので乾いて硬めの、良い響きだった。
楽譜なんか持って来ていないから暗譜でやるしかなく(汗)、
ミスしても止まらずに最後まで弾く、という気構えでやったが、
今、曲の中でどこが弱いか、どこが忘れやすいか、たちどころに判明した。

********

かつてのマイ楽器との邂逅を果たしてから階下に戻ったら、母と叔母が、
「芸予地震のとき、あまり揺れたので家のピアノが勝手に移動して困った」
という話をしていた。
私のピアノが漏れ聞こえて、そういう話になったのだろうと思われた(^_^;。
2001年3月の芸予地震は、最大で震度6弱という大きさだったから、
当時今治に置いていた私の現YU1Wnも、地震で揺られてズレまくり、
官舎の床にキズを作って、退去点検のとき修理代を請求されたものだった。

それから、叔母の話は去年の3月11日のことになった。
あの日、なんという偶然か、叔父は出張で東京にいたのだそうだ。
霞ヶ関だか大手町だかのビルの中で仕事をしていて、
いきなり、あの揺れが来たものだから、最初は皆騒然となり、
とにかく避難だと、部屋を出たが、エレベーターは動かないから
仕方なく三十何階という高層階から階段で地上にまで降り、
皆、真っ青になって事態の推移を見守ったそうだ。
それから、余震はあるものの、落ち着きそうだという話になり、
もう仕事は中断で、後日やり直しと決まり、解散になったのだが、
帰るとなると、荷物を取りに戻らねばならず、
それは地上三十何階の、さっきまでいたあの部屋なわけで、
叔父たちは再び階段をひたすら上り、やっと荷物をまとめたが、
家に帰りたいのであれば、またしても、あの階段を下りなければならず、
……叔父は、地震でなく階段でシヌと思ったということだった。

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先日YAMAHAでアビテックスを見せて貰ったことから、
個人宅の防音室について、私も少し真面目に考えるようになった。
私の弾いているピアノは、ほかのお宅にはどの程度響くのか、
やはり集合住宅という点を考慮すると、防音部屋は必要か、
等々と、このところ思いを巡らせている。

現マンションは、ピアノ練習を考慮して買ったものではないが、
販売の段階では一応、遮音性がそれなりに高いというのがウリで、
壁や床が厚いので、楽器演奏も大丈夫、的なことがパンフレットにあり、
イラストには女の子とアップライトピアノが描いてあったものだった。
私の楽器は、小さいアップライトで消音装置がつけてあり、
夜の練習と、あまりにも譜読みの出来ていないヒドい状態のとき(笑)は、
ヘッドフォンを使っているのだが、昼間30分程度弾くだけのときは、
これまでのところ私は、そのまま、音を出して弾いている。

弾き方についてそのような判断をしたのには、一応の理由があって、
居住している私自身の感想として、真上のお嬢ちゃんのピアノは、
「ああ、何か練習しているな?」
とわかる程度には聞こえるが、特に気になったことはなかったからだ。
上のピアノは、こちらが静かにしているときなら気づくことは十分可能で、
精神統一して耳を澄ませば、メロディを辛うじて追えるくらいの音量だ。
私にとっては、それは生活の気配がわかる程度の音と変わらず、
これくらいであれば自分のピアノも許されるかなと、思ったのだ。

しかし、上階の音の感触から言って、私の音も下には聞こえてはいる筈で、
「全く漏れない」ことを初期設定として要求されるとするなら、
私のしていることも、迷惑行為だろうという怖れはある(大汗)。
上の階の方は、もしかしたら私が想像する以上に、
何らかの、防音の手立てを取られているのかもしれないし。
と、私が今、恥じ入っているのは、防音について検索していて、
マンションでのピアノに関する苦情の掲示板に偶然に出会い、
ピアノ練習をするお宅のせいで、どれだけ迷惑しているかを
非常に強い口調で書かれている文章を、たくさん読んだからなのだ。
「集合住宅では、電子ピアノ+ヘッドホン以外、ありえない」
「いくら音量を絞った電子ピアノでも、ヘッドホンでなかったら響く」
「300万以上出して、性能の高い完全防音室を作るならば、話は別」。

置き場所や窓の開閉など考慮したとしても、防音室無しの生ピアノは論外、
防音効果を謳うカーテンや遮音カーペットなど気休め、
……というのが、そうした掲示板での根強い意見だった。
官舎の時は「ピアノ練習等は、朝9時から夜8時まで」とだけ決められていて、
私自身は、近所のお子さん達のピアノにはある程度、慣れていたため
(とゆーか、官舎は生活音自体が筒抜けなので、お互い期待していない)、
こうした掲示板に出ているほどの、高水準を要求して暮らしたことがなかった。
それも、私の神経の太さを作り上げてしまった原因だったと思う(汗)。
悪かった。やはり防音室について、ちゃんと考えないといけなかったようだ。
ピアノは老後の楽しみになる可能性もあるから、
経済的にはかなり厳しいが、このあたりで、
ひとつ防音室については真面目に検討しようと思う。
それでも300万円は無理で、100万前後で分割払い、が精一杯ですが(殴)。
すみません、ワタクシあまりにも無神経だったでした<(_ _)>。

ただ、ご免なさい、ちょっと笑ってしまったのは、
「本当に迷惑。ぽかぽかと気持ちの良い昼寝時に限って、ピアノを弾き出す!」
というカキコミだった。
いや、おつらいのだろう、というのはお察しします。
しかし音量はともかくとして、時間設定に関しては、これは仕方が無いだろう。
ぽかぽかと気持ちの良い昼寝時、という時刻は、
ごく一般的な人なら、大抵、最も活動している時間帯だ。
一日のうち、家庭で音を出すための時間帯を選ばなければならないとすれば、
それは世の中の大半の人が登校・出勤して留守になり、太陽が高くなった昼時、
ということになるのは、消去法で行っても、無理もないことだと思う。
私も、娘が赤ん坊でお昼寝が欠かせなかった頃や、自分自身の体調不良などで、
昼の時間を様々な騒音に煩わされた経験は、たくさんあるので、
そのつらさはよくよくわかるのだけれども、それでもやはり真っ昼間は、
音に対して、ほかの時間帯より寛容さを要求されても仕方が無いと思う(逃)。

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頼山陽史跡資料館の平成24年度企画展
菅茶山の文人ネットワーク――黄葉夕陽文庫を中心に――』
を、一昨日、ようやく見て来た。
例によって、展示期間の終盤ぎりぎりになってしまった(汗)。
菅茶山は江戸時代後期の儒学者・詩人で、
頼春水(頼山陽の父)・春風・杏坪の三兄弟と親交篤く、
脱藩事件を起こし廃嫡になった山陽が、一時期、身を寄せたのも、
この茶山の開いていた私塾だった。

頼山陽趣味の私としては、頼春水の珍しい楷書体の軸装作品
『新様楷書』を見ることが出来たのが、とりわけ感銘深かった。
今回のは1790年の作、中年期の春水の楷書ということで、
本当に貴重であったとともに、菅茶山からの書状への返礼として、
この書体を選んだ春水の心情は、いかなるものだったかと
様々に想像させられた。

ほかに、葛子琴の七言律詩や、岡本花亭 賛の『菅茶山肖像画』、
谷文晁が菅茶山の古稀を祝って贈った『磻渓跪餌図(はんけいきじず)』
(菅茶山を太公望に見立てたユーモラスな肖像画)、
山陽の恋人であった平田玉蘊の筆による『万歳図』などがあり、
私自身、名前や逸話を記憶している人達も数多く登場し、
大変興味深く観ることができた。

菅茶山は、学問によって世の中を良くしようとの理想を持ち、
貧富の差なく、志ある者は皆が学べるようにと
私塾を開いて教育活動に努め、差別のない世の中を願った人だった。
現在のように交通機関や通信手段が発達していたわけでなく、
書簡ひとつの往復にも日時のかかった時代に、
菅茶山の交友がこれほど各地に広がっていたのは驚くべきことで、
友人知人が彼を描き、彼のために贈った作品の数々からも、
その思想や実践に共鳴する人達が多かったことが感じられ、
この人の精力的な人生と、魅力的・社交的な人柄とが伺える気がした。
また、ここに記録されていなくとも、人生の一時期を菅茶山に学び、
それを糧に、地域や家族に貢献をして一生を過ごした無名の人達も、
きっと数多くあったことだろうと想像した。

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その関連で書いておこうと思うのだが、昨日はピアノの稽古帰りに、
前々から気になっていた『頼山陽 煎餅』のお店を訪ねてみた。

 

数年前、姑が天満町の病院にいた頃、私はよくこのあたりを歩いていて、
テレビ新広島『TSS味なプレゼント』で「むさし!土橋店!」と
宣伝していた『むさし』が、こんなところにあったかと知ったりしたのだが
TSS味なプレゼント「むさし」(YouTube)→超ローカルな話題だ(^_^;)、
この、頼山陽煎餅本舗『藝陽堂』も、実は、その一角にある店なのだった。

頼山陽煎餅本舗 藝陽堂(食べログ 広島)

頼山陽像では最も有名な、大雅堂義亮の画をもとにした、
藝陽堂の『頼山陽先生画像』のしおりや、
『日本外史』を紹介したパンフレットなど、何点か頂いて来た。
頼山陽煎餅は、小麦粉と卵がベースになった甘い素焼きで、
強いて言うなら、神戸の瓦せんべい風の味わいだと思ったのだが、
堅焼きでもなく、風味のある柔らかい感触が、良い感じだった。
家に帰ってお茶を淹れて食べたら、なかなか美味くて、
うっかり完食してしまい、写真を撮り損なった(殴)。

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もうひとつ、最近の頼山陽関連の話題というと、これだろう。

頼山陽の詩碑再建へ募金訴え(中国新聞)
『江戸時代後期、儒学者頼山陽が訪れて漢詩を詠んだ大分県中津市の渓谷・耶馬渓(やばけい)で、山陽を顕彰する詩碑が7月の水害で流され、地元中津と広島の有志が再建に乗り出した。募金活動に協力を呼び掛けている。』『耶馬渓は奇岩が連なる景勝地。山陽は1818年の九州旅行で絶景に感動し、当時の地名「山国谷」にちなんで「耶馬渓」と名付けた。1960年代に地元製材業者が山陽を顕彰しようと高さ約7メートルの詩碑を建立。裏面に渓谷美を詠んだ山陽の漢詩を刻んでいた。』『川沿いにあった詩碑は7月の豪雨で流失した。住民が捜しても見つからず、小説「頼山陽」などがある作家見延典子さん(57)=広島市佐伯区=や、NPO法人中津地方文化研究所の近砂敦副所長(59)たちが再建を計画。約40人でグループ「燦々(さんさん)プロジェクト」を10月中旬に結成し、300万円を目標に募金活動を本格化させた。』『耶馬渓の石を使って来年12月の完成を目指している。広島では頼山陽史跡資料館(広島市中区)に募金箱を設置した。』

こういう活動は、特定の作品や地域に愛着を持つ人達で
力を合わせる以外には、なかなか実現が難しいことだと思う。
漢詩趣味から、頼山陽にご縁が出来たことなので、
私も継続的に、ささやかながら協力して行きたいと思っている。

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