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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私が「えべっさん」と書いたからと言って、
別に、プロレスラーのえべっさんの話がしたいわけではない。
広島の三大祭りの一つで、約400年の歴史を持つ「胡子大祭」が、
今年も始まった、……というのを書いておきたかっただけだ。
ちなみに、広島三大祭りというのは、この「えびす講」と、
6月の浴衣祭り「とうかさん」と、あとのひとつは、
7月下旬に行われる住吉神社の夏祭り「住吉祭」なのだそうだ。
…三つ目は、5月の「フラワーフェスティバル」かと思うとった(逃)!

「えびす講」が始まった、と書いたが、実はもう今日が最終日だ。
毎年、この「えびす講」は曜日問わず11月18日・19日・20日の
三日間、開催されることになっているのだ。
私は全く、本通り商店会の関係者ではないが、一応書くと、
お近くの方で、いらっしゃりたい方は、
そういうわけで今日が最終日ですので、どうぞお忘れなく(^_^;。
胡子大祭 広島の商売繁盛のお祭り、えびす通りもにぎやかに

秋が深まると、全国各地で「えびす講」の行事があるが、
広島の胡子神社は商店街の中にあり、商売の神様として信仰され、
神社やその界隈では、商売繁盛の縁起物が多数売られている。
また、本通り商店街を中心に「えびす講セール」が催され、
本通りや中央通り沿いにはずらりと露店が並び、なかなか賑やかだ。
娘は鯛焼きを買うために、毎年、えびす講は逃せないと言っている。

私は、実家の村の神社の大祭が終わったあと、えびす講が始まると、
ああ、冬が来るんだなあ……、といつも思う。
この祭りの前後から寒くなり、街の雰囲気も人の服装も、
あっという間に冬に向かって行く気がするのだ。
現にこの時期、「えびす講セール」で盛り上がりながらも、
あちこちの店舗は既にクリスマス・イルミネーションで華やかだ。
しかし考えてみたら、それも随分と気の早い話ではないか。
感謝祭もまだだというのに。


…………。
…………。
レスラーの二代目「えべっさん」が、四十肩を理由に引退した、
という話のほうが、いっそ面白かったか(爆)。

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昨日は、実用フランス語技能検定試験の2級一次試験を受けに行った。
今回で通算三度目の受験だった。
前回6月の春季検定のときは、ろくに勉強していなかったうえに、
5月にポゴレリチ来日公演があったばかりで、私の頭は破壊されていた。
あの状態でも「受験すればなんとかなるかも」と思っていたなんて、
当時の私は、あまりにも仏検とポゴレリチをなめていた(爆)。
それで今回は、ひととおりの反省をし、出直しの気分で臨んだ。

折しも、この秋から、
私の『なんちゃってフランス語』をどうにかしよう、
と決心したところだった
ので、
……と言っても実質10月以降だから、まだ1ヶ月ほどにしかならないが、
とにかく最近は、これまでになく丁寧にフランス語を勉強した。
うっとうしくていつも後回しにしていた、不規則動詞の活用を、
直説法現在・半過去・単純未来、条件法・接続法現在、について、
最低限、口頭で確認し、アクサン記号の動くものは書いて確認し、
忘れたときは何度でも例のノートに書き出して、見直すようにした。

御蔭で今回の仏検では、動詞の活用の設問と読解問題に関しては、
かなり手堅く得点できた気がした。
問題が例年より易しかった可能性もあるとは思うが、
過去二回受験した2級一次試験のいずれと較べても、
筆記だけは、格段に良い点数が取れたと思う(←本人比(^_^;)。
ディクテ(全文書き取り)の採点基準がわからないので、
合計するとまだまだの点数になってしまうかもしれないのだが、
これでスベっていても、勉強の方法は会得した手応えがあったし、
確実に次に繋がると思うことができたので、今回は満足だ。
やはり、今の私程度の学習段階では、
仏語力=語彙力と言っても過言ではないと、改めて思った。

**********

ところで、英検の場合は、試験翌日に解答速報が公式サイトに出るが、
仏検は試験後に即、会場で「正解及び解答例」が貰えることになっている。
これは、私が仏検受験に行くようになった2005年から既にそうだった。
試験が終わる頃になると、教室出口に、正解のプリントが人数分用意され、
各自一枚ずつ取って出るようにと、解散前に監督者から指示がある。
これさえ貰ってあれば、もう、やろうと思えば帰り道にも、
大体の採点が、自分で出来てしまうわけだ。

昨日は、試験会場の建物から出た、すぐのところで、
大学生とおぼしき若い女の子たちが、正解例を読みながら、
「全然、だめ……(T_T)」
「もう……。シにたい……(T_T)」
と絶望していた。
その時点で私自身は、まだ全く自分の出来を調べていなかったが、
駄目駄目な経験は過去にいくらでもしているので、
彼女たちの『シにたい』気持ちは、それだけで、よ~くわかった。

死ねばいい!!
と、私の中でトート閣下が言った(逃)。

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11月16日、ポゴレリチはウィーン国立音楽大学に居た。
演奏会をしに行ったのではなく、彼には多分珍しいことに、
人の演奏を聴きに行ったのだ。
それは、フランツ・リスト・ザールで行われた、
アヴェディス・クユムジャン教授の門下生演奏会だった。

アヴェディス・クユムジャンは、レバノンのベイルート生まれ、
81年のベートーヴェン国際コンクールで優勝し、
国際的な演奏活動を行うとともに、指導者としても実績を積み、
97年からはウィーン国立音楽大学の教授職にある。
若い頃にアリス・ケジュラッゼ女史の指導を受けていたことがあり、
ポゴレリチとはそれを接点として、交流が続いているということだ。

上記のポゴレリチ情報は、facebookの友人経由で知った話で、
ポゴレリチが、学生さんたちの演奏を聴いてどう言ったかは
残念ながら今のところ伝わって来ていないのだが、
今朝ほどTwitterを見ていたら、
別の、とある日本人の方による目撃情報が出ていた(笑)。
『Avo先生の隣にカラフルな服の実に変なおじさんがいて、
先生も悪趣味な人と友達やな、とか大変失礼なこと思ってたら、
その方、ピアニストのポゴレリッチでしたww』(2012年11月16日)

……素晴らしい!間違いなくポゴレリチだ、それは!!(爆)
カラフルな服か。何を着ていったのだろう(笑)。
来日公演の間は、地味なフリースに地味なお帽子にハデなリュック、
という出で立ちだったものだが、
秋になり、またぞろ私服にも気合いが入ったのだろうか。
おめかしして(悶絶)御友人の門下生の演奏会に行ったのだね。

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昨夜は、イェルク・デムスのリサイタルがあって、
アステールプラザまで聴きに行った。
バッハの平均律第2巻全曲演奏会の一環で、
昨日のはその第二夜という位置づけだった。
第一夜は11月2日にあったのだが、私は多忙で聴けなかった。


イェルク・デムス ピアノ・リサイタル
11月16日(金)18:45開演
@アステールプラザオーケストラ等練習場
――平均律クラヴィーア曲集 第2巻 全曲演奏 第二日目

平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
 プレリュードとフーガ 13 Fis-Dur BWV 882
 プレリュードとフーガ 14 fis-moll BWV 883
 プレリュードとフーガ 15 G-Dur BWV 884
 プレリュードとフーガ 16 g-moll BWV 885
 プレリュードとフーガ 17 As-Dur BWV 886
 プレリュードとフーガ 18 gis-moll BWV 887
*******
平均律クラヴィーア曲集 第2巻より
 プレリュードとフーガ 19 A-Dur BWV 888
 プレリュードとフーガ 20 a-moll BWV 889
 プレリュードとフーガ 21 B-Dur BWV 890
 プレリュードとフーガ 22 b-moll BWV 891
 プレリュードとフーガ 23 H-Dur BWV 892
 プレリュードとフーガ 24 h-moll BWV 893
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903


私は平均律についてもデムスについても、
よく知っているとは到底言えない聴き手なので、
特にどこを聴きたいとか、何を聴き取りたいとかいう前提は無しに、
昨夜はただ、ひたすらに音楽を受け取らせて貰ったのみだった。
聴き手として、一音一音を追うような聴き方になる箇所もあれば、
ある意味で集中がなくなってイメージの世界に遊んだ箇所もあり、
全体として私はとても自由に心地よく、楽しく聴くことができた。

そのような中で、私の中に始終浮かんでいたキーワードは、
『ブゾーニ』だった。
デムスの弾くバッハは柔らかくて色彩があり、懐が深くて、
それは私にとって、ブゾーニ編のバッハに通じる、
自由さや躍動感に溢れたものとして聞こえたからだ。
どうして私がこのようにブゾーニに親和性があるかというと、実は、
私が自分のピアノ学習の中で、最初にまともに出会ったバッハは、
ブゾーニ編の二声インベンションだったのだ(大汗)。

当時の先生のお考えは、今となっては不明なのだが、
初心者の私には、懇切丁寧な楽譜が良いということだったのだろうか。
ともかく、あれのせいで、…じゃない、御蔭で、私は結果的に、
初対面のバッハと「普通」とは言えない出会い方をしたと思う。
私はかなり後になってから、自分の唯一知っていたバッハが、
世の中で広く一般的にバッハだと思われているものと、
少なくとも楽譜上、どうも一致していないらしい、
ということを知った。

バッハのインベンションを弾いたことのある方で、
ブゾーニ編をご存知ない方は、機会があればどうぞ楽譜をご覧下さい。
トリルやプラルトリラーの箇所が、ほとんどすべて音符で書き出してあり、
スラーやスタッカートなど、こと細かく書き込まれ、
曲ごとに速度指定があり、詳細なペダル指定までなされていて、
一目でほかの楽譜とは違うことがあきらかなのだ(^_^;
(14番なんか全部の音価が倍にされていて、とっても読みやすい・殴)。
原典版系の楽譜でバッハを勉強なさった方なら、ブゾーニ版バッハには、
その、あまりの鬱陶しさ・お節介さ加減に呆れられると思う。
そして、デムスのバッハは、私がブゾーニで知っていた独特の彩り、
……ケナして言えばそうしたウザさ(爆)を連想させるものが
ふんだんにあった、と思うのだ。

今、多少なりとも趣味でピアノを聴くようになってみると、
ブゾーニの楽譜は、バッハ解釈の中でも非常に即物的に、
「どう弾くか」を具体的に示そうとしたものだったと感じられる。
そしてそれは、バッハが作曲をした時代から200年近く経って、
楽器もグランドピアノへの進化を経る中で考案された弾き方だった。
チェンバロと異なる機能を持つ、現代ピアノであればこそ
美しく効果的な演奏法を、ブゾーニは数多く提案した。
モーツァルトやベートーヴェン、ショパン、リスト、
そしてシェーンベルクまで知った世代が、それらの経験の上に、
現代ピアノを使って、改めて取り組んだ結果生まれるバッハが、
ブゾーニの提案したバッハだった、と私は今になって思っている。

昨夜のデムスを聴いていて、私はその流れの延長上に、
デムスの立ち位置があるようなイメージが、幾度も浮かんできた。
ブゾーニが、自身のピアニストとしての知恵を結集して
現代バッハの弾き方を書き残そうとしたように、
デムスもまた、80歳を過ぎた今、バッハを弾くことに、
彼のピアニスト人生の総括を見出しているのではないかと思った。
帰宅してから改めてデムスの経歴を読んでみたら、
1956年にブゾーニ国際コンクールで優勝し、
これを機に、世界各地で演奏活動を行うようになった、とあった。
やはり、昨日の私のキーワードは『ブゾーニ』だったようだ(笑)。

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今年は風疹が流行しているという記事を、どこかで読んだ。
特に、20~40歳代の男性の割合が高いのだそうだ。
「妊娠中に罹ると胎児に先天性風疹症候群を起こす怖れがある」
という知識がある程度普及したので、女性のほうはきっと、
予防接種の接種率が男性よりは高く、ゆえに罹患率が低めなのだろう。
昔、うちの父親は四十代の終わりになってから、勤務先でウツされ、
四十度近い熱を出して寝込み、潜伏期間ののち私も同じく寝込んだ。
なおったから良いが、「三日ばしか」という語感ほどラクでもなかった。
確かに、本家の「はしか」よりは100倍軽かったとは思うが……
(誇張ではない。私は「はしか」で死ぬ思いをし、小学校を一ヵ月近く休んだ)。

ときにMRワクチン(麻しん・風しん混合ワクチン)は2012年現在、
「1歳児、小学校入学前の年長児、中学1年生、高校3年生」
が定期接種の対象年齢になっており、いつも万事滑り込みの私も、
今年は、娘にちゃんと4月の終わり頃、早めに接種を受けさせた。
副反応の発熱を見る例が若干あり、特に接種後10日くらいに出やすい、
という注意事項を接種前に読んで、
「今打って、ポゴレリチの来日公演と重なったやら、ヤだな……」
と考えた私は悪い母だったが(爆)、
いやいや、ここであと回しにして時期を逃すほうがもっと悪い、
とオノレに言い聞かせたものだった。
幸い、娘は別に何の副反応も出なかった。

折しも先日来、日本脳炎の予防接種をしたあと、
その影響かどうかは不明ながら、突然に亡くなった男児があった、
というニュースがあちこちで報道されており、
Twitterやmixiでも、若いお母さんたちが予防接種の是非について
いろいろと意見や感想を書いているのを見かけた。
今回の件は、予防接種と関連があるとは言い難いような印象ではあったが、
どのみち、100パーセント安全な予防接種、というものは無いし、
罹っても絶対に死なない感染症、と言えるものも無いから、
リスクの判断は常に「どこまで許容範囲か」という問題になるだろう。
私はとりあえず、娘の麻疹風疹などに関しては、
「罹っても死なない・後遺症も残らない」という自信が無いので、
リスクは承知しつつ、予防接種の効果に賭けることを選択した。

それで、今度はそろそろインフルエンザの予防接種の季節がやって来た。
過去数年、主人は全員が接種を受ける職場にいるし、
娘と私も自発的に、だいたい真面目に受けて来たほうなのだが、
受験生である今年は、特に、できることはやっておくべきだろう。
効果が無い、という議論があるのは知っているが、打ったうえで罹ったのなら、
それ以上の手立ては事前にしようが無かったのだから、まだ諦めもつく。
しかし、なんだかんだと理由をつけて予防接種をせずにいた挙げ句に、
入試のときに高熱が出て、試験に不合格、となったりしようものなら、
私の性格ではきっと「予防注射をしておけば良かった」と思うだろう。

そもそも、私たち家族は十年くらい前までは、
あまりインフルエンザの予防注射には熱心でなかった。
何年も実際に罹ったことがなかったので、危機感が薄れていたのだ。
それが、ある冬に、家族3人が次々とインフルで倒れて酷い目にあった。
「ひどい風邪」などとは明らかに一線を画した高熱が出て、
特に娘は41度超えで、それぞれが5日間前後は寝込み、
それだけでもシンドかったのに、後がまた許し難いほど治りが悪かった。
主人は解熱後も長く咳と頭痛に悩み、
私は、耳鼻科医が「うわ!」と言うほど重症の扁桃炎に移行して慢性化し、
娘は中耳炎を併発して鼓膜切開に至り、全員が数ヶ月引っ張ったのだった。
誰も持病等なく、抗生剤や鎮痛剤の服用に問題がなかったから回復できたが、
スペイン風邪の時代だったら一網打尽で死んでいたケースだと思った。
無防備な生身では、いつまた、あれを全員でやるかもしれない、
と思うと、今年も何かせずにはいられないワクタシたちなのだった。

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勘三郎、9月に転院して人工肺を使用(サンスポ)
『肺疾患を発表した歌舞伎俳優、中村勘三郎(57)の詳しい病状が14日、分かった。所属事務所によると、ARDS(急性呼吸促迫症候群)を患って肺水腫になったため、9月に呼吸器系に強い病院へ転院してICU(集中治療室)に入っているという。』

食道がんの術後がなかなか難しいものであることについては、
家族として、舅のときにある程度、身近で経験したので、
私なりに想像できる部分があったけれども、
勘三郎が、まさかここまで大変なことになっていようとは、
昨日まで全く想像もしていなかった。
報道を見ると、勘三郎は術後一ヵ月くらいまでは、
とても順調に回復していたようなのだが、ウィルス感染から肺炎になり、
それまでの手術や抗がん剤治療で体が弱っていたところだったため、
合併症としてのARDSを発症、その治療で現在は人工肺の助けを借りている、
という状態であるとのことだ。

『食事もベッドから起き上がって自分でスプーンやはしを使って食べており、会話もできて意識もハッキリしている状態。ただ、直接、酸素を送り込む人工肺を使用し、その管が体につながれているため、思うように動き回ることはできないという。来年4月に開場する東京・銀座の歌舞伎座での舞台復帰をめざし、回復に向けて治療を懸命に続けている。』

今後は、人工肺からの離脱がうまくできるようにすることが目標だろう。
こういうとき、「復帰のことなど今は忘れて、ゆっくり休んで」
と言いたい気持ちも無いではないのだが、
しかし、もしも、現在の勘三郎ご本人の希望として、
「何がなんでも一日も早く復帰したい、そのためなら頑張れる」
というような状況であるのだとしたら、
私も歌舞伎ファンのひとりとして、勘三郎の復帰をともに希望し、
それが早く叶えられるようにと、祈りたいと思う。

思えば、孝夫時代の片岡仁左衛門も、92年暮れに重篤な状態で倒れ、
234日間もの入院生活を送り、復帰どころか一時は命も危ぶまれていたが、
その後、見事に立ち直り、仁左衛門襲名を果たした。
以後の活躍ぶりは、皆の知るところだ。
大きな挫折や厳しい闘病など、長い役者人生には、
過酷なことがいろいろと起こるものであろうけれども、
乗り越えた先に待っているものもまた、大きいと思うので、
勘三郎には、まずは最善の治療を受け、しっかり療養して頂きたいと思う。
そして新装なった歌舞伎座で、復帰公演が果たせますよう。
私も、遠くからではあるが、熱く勘三郎を応援しつつ、
その日を待っていたいと思っている。

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・今朝に限らないのだが、朝8時前後になってゴミ捨てに行くと、
マンションのゴミ捨て場が、かなり見苦しい有様になっている。
多くの人が、ゴミ捨て場の扉を開けてすぐの足下のあたりに、
自分ちのゴミを無造作に置いて行くらしくて、
手前はこれ以上積んだら崩れる状態、奥は余裕、になっているのだ。
しかも手前のゴミで足下がほぼ全部ふさがれた状態になっているので、
奥の空いているあたりに自分のゴミを置きたいと思っても、そこに行けない。
無理にやろうとするなら、扉付近から投げ入れるような格好になるだろう。
私は暇な専業主婦なので、大抵いつも、
目の前の崩れそうなゴミ袋たちを一旦出し、奥へ順番に移動させ、
手前に来るほどスペースのある形になるよう、直しておくのだが、
勿論これは「よしっ。綺麗になった(^^)」という、私の自己満足だ。
「お節介!」と怒る人もいるかもしれないので、つい、こそこそやってしまう。
でも、そうやって最低限の整頓をしないと、うちのゴミを、
手前に積まれたゆらゆらの上に置くことになって、どうにも具合が悪いのだ。
出口付近にいないと降りられない満員電車じゃないのだし、
皆が、なるべくゴミ袋を奥から順に詰めて置くようにしてくれれば、
もちょっと使いやすい状態を維持できるのではと思うのだが……。、
勿論、世の中が私の流儀に従っていないからと言って、
私が苦情を言うようなことではない、とはわかっているけども(^_^;。


・Twitterでリツイートされてきた呟きの中に、
「東日本では、小型のものがシャベル、大型のものがスコップ、
西日本では、小型のものがスコップ、大型のものがシャベル」
というのがあったのだが、そうだったっけ。
言われてみれば、私は西日本型の使い分けをしている気がする。
幼稚園の砂遊びで使っていたものを「スコップ」と認識していたのが、
私の初期設定になっているのだろう。
それにショベルカーもデカいし(笑)、サイズ大がシャベルのイメージだ。
Wikipediaによると、JIS規格では『足をかける部分があるものがシャベル、
無い物がスコップ』という記載の仕方になっているのだそうだ。
いずれにしても文脈があれば、どちらで言われても混乱しないだろうし、
私自身の中では、さほど厳格な定義はないようにも思う。
皆さんは、いかがですか。


・昨夜、英語の予習をしていた娘は、
文章中に出てきた『He leaned across.』の意味がわからない、
と言って、パソコンに向かうと、なんと自動翻訳のサイトを開き、
手慣れた調子で、He leaned acro……と打ち込み始めた。
どういう安直な勉強をしておるのか!!(爆)
そんなことでは英語など出来るようにならん!!(--#)
と、私は不機嫌になり、一体どんな日本語訳が出やがることかと
画面を覗き込んだ、…ら、……。

彼はアクロを突いた

訳文にはケンシロウが降臨していた。
ぺがふ!!(爆)

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10日の川西公演が中止になり、心配されたルプーだが、
本日夜の東京公演は予定通り行われることになった由、
昨日、KAJIMOTOから発表があった。
演奏したいというルプーの意志は、強かったことだろうと思う。
川西公演については、本当にあまりにも残念だったが、
療養の甲斐あって、あれから演奏可能なところまで体調が戻ったようだ。
ファンは、待ち望んだルプーの演奏を聴きたいのはヤマヤマであっても、
指に不安のある彼に無理をさせることなど、望んでいない。
曲目変更の有無は問題ではなく、リサイタルが行われるだけで、
東京の聴衆はきっと何よりも喜ぶと思う。

ラドゥ・ルプー 11月13日(火)東京公演につきまして(KAJIMOTO)
『2012/11/12 | 大切なお知らせ
■ラドゥ・ルプー 11月13日(火)東京公演につきまして
来日後に左手中指に蜂窩織炎(ほうかしきえん)を発症し、療養に努めておりましたラドゥ・ルプーは、明日の11月13日(火)19時より、東京オペラシティ コンサートホールにて、予定通り公演を行います。
お客様にはご迷惑、ご心配をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
なお、指の回復状況により演奏曲目に変更が生じる可能性がございます。
何卒ご了承いただけますよう、宜しくお願い申し上げます。』

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世の中は、どんどんスマホに移行している。
電車の中でもホールの客席でも、スマホを使いこなす方々を
当たり前にたくさん見かけるようになったし、
携帯ショップでも最早スマホが主流で、ガラケーは激減している。
我が家でも、そろそろ替えどきか?という話が時々出るが、
ユーザーの感想などをネットで読む限りは、
ガラケーに慣れた者には、スマホのストレスは大きいようだし、
価格的にも、主人はまだ納得できないというので、
家族三人、未だにガラケーを愛用している。

私など特に、ほとんどメールのためにしか携帯を使っていないので、
スマホ移行の意義がなかなか見いだせないユーザーであるわけだが、
しかし携帯のメール機能を愛しているかというと、別にそうでもない。
誤変換に泣かされることはとても多いし、
語彙の少なさに辟易させられることも、よくある。
主人は、自分のガラケーの使いやすさを評価していて、
手放したくないと言うのだが、私はそのあたりについては曖昧だ。

私の現・携帯に関して、ひとつ感心しているのは、
全く単語登録などしていなくても、
『いまわのきよしろう』を一発で『忌野清志郎』と変換してくれることだ。
私が教えたのではなく、最初からそうだった。
また、『あんとにおいのき』も、ちゃんと『アントニオ猪木』と変換する。
『杏と匂いの木』などというタワケは、うちの携帯は言わない。
なかなか、私仕様の賢い携帯ではないか、と最初は思ったのだが、
しかし『ぽごれりち』と入れると、彼のことは全然知らないようで、
『ぽご礼理知』と勝手な変換をしてくれた。何人(なにじん)か!
別に奇跡の携帯だったわけではなかった。

また、こいつは(ほかの機種もだろうが)慣用句の類いには概して弱い。
例えば『かぜがふけばおけやがもうかる』を
『風が吹けば桶屋が儲かる』に一発変換することなど、
一太郎なら朝飯前だが、私の携帯だと、
『風が吹けばおけや蒲生刈る』と、後半が腰砕けだ。
『こうやのしろばかま(紺屋の白袴)』だと『荒野の白袴』になり、
ちょっと格好いいような気もするが、
『ちぎっては投げ ちぎっては投げ』と入れようとすると、
『ちぎって鼻毛 ちぎって鼻毛』になり、お下品だ。
こういう点は、やはりスマホにしてATOKを搭載したほうが、
変換に関するストレスが減って、快適になるのだろうと思う。
私にそれが使いこなせるかどうかは、また別の問題なのだが。

……という話を、今朝ほどしていたら、娘が言った。
「どんな誤変換も、わたしの携帯には、勝てんよ」。
聞けば、彼女の携帯に、『もってくる』と入力すると、
表示される変換候補が尋常でないのだった。
『もってくる』の『も』の字もなく、出るのはいきなり、

 bring bringの
 bringを bringに bringが bringは bringで bringと
 bringも bringです bringから bringや bringなと 
 bringのん bringだ bringな bringへ bringとして
 bringまで bringだけ bringという bringだった 
 bringでし bringより bringって bringとか bringか 
 bringについて bringなら bringによる bringばかり
 bringじゃ bring等 bringでしょう  bringなんて

bringがどんだけ活用・格変化しとるのか!
スクロールしてこれらを全部やり過ごして、ようやく、
『持ってくる 盛ってくる もってくる 漏ってくる』
というマトモな日本語が候補として表示される。

娘が変なことを学習させたのではないか、と私は疑ったが、
断じてそんなことは無いと言う。
ならば、この携帯に『もっていく』と入れたら、
さぞかし『take』の嵐になるだろう、
と私は期待したのだが、こちらは最初から、
『持っていく 盛っていく もっていく 
漏っていく 保っていく 守っていく』
と出るだけで、極めてつまらなかった。

「こいつの『bring押し』だけは、手間でしようがない」
と娘は苦笑していたが、いやそれ、単純に、
壊れとるんと違うか

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・娘は昨日の駿台マーク模試がさんざんに出来なかったそうで、
昨夕からしばらく、ぶる~だった(^_^;。
仕方ないだろう。明日が入試当日でないことを、幸いに思うしかない。
ときに最近知ったのだが、近年、駿台はベネッセと協賛関係にあって、
名前は駿台模試でも、内容もデータも進研模試みたいなイメージになっている。
二社で対象受験者数を共有したほうが、少子化で不景気の今、
模試業界には良いということなのだろうか。
私が受験生だった頃には、駿台は進研とは違い、話にならんほど難しくて
「本番に絶対に出ないレベルの問題ばかり出る模試に、意味があるのか?」
と、しまいに真剣に疑問に思ったことを、今でも覚えている。
しかし、成績データが返ってきて、優秀者覧を見ると、
凄く立派な得点で堂々と掲載されている人達が、ちゃんと山ほどいて、
「世の中、下から上まで、底なし&天井知らずなんやね~」
と知ることができたのは、当時、高校生だった私にとって
唯一の収穫であったかもしれない(爆)。

・このところ、「通訳案内士 二次試験」の検索語で
このブログに来て下さっている方々が、毎日それなりにいらっしゃる。
先週の金曜日に、一次試験の合格発表があったので、
二次対策の情報を探して、ここまで来て下さったのだろう。
ありがとうございます。このような辺境にまで、ようこそ<(_ _)>。
私のかつての受験記録が、僅かでもお役に立てていれば嬉しいのだが。
しかし最近思うのだが、語学の面接試験というのは、大抵は10分前後で、
自分が、当該言語を喋っている時間は決して長くない。
10分くらいなら、自分の一生分の度胸と語学力を動員すれば(^_^;、
ボロを出さずになんとかすることは、決して無理な話ではないと思う。
しかし本当の通訳ガイドの現場は、半日~数日間、外国語で観光案内をし、
絶え間なく起こる出来事に、その都度瞬時に対応する、というものだ。
こうした持久力の質を、短い面接時間で問うことには限界があるだろう。
つまるところ、試験を頑張るなどというのは、まだまだ甘いものなのだ。
……と、私は先日、三次遠足をしただけで、思いましたね(逃)。

・きょうは、英検の二次試験の日でもあるようだ。
英検の面接試験に関して、巷に出ている対策本の内容や、
英検協会のサイトで見ることのできるシミュレーションは、
現実よりかなり高度なのではないかと、私は常々思っている。
簡単にいうと、あれほど出来なくても実際には受かる、と思うのだ。
ああしたところで公開されている面接の解答例は、いわば「模範解答」だ。
あのくらいできたら満点と思って良いだろう。
しかし本当のところ、受験生が一番欲しいのは、
どのくらいの出来なさ加減までが許容範囲か、という「最低例」のほうだ。
入試でもそうだろう。
入試データとして重要なのは、合格率よりも合格者平均点よりも、
「合格最低点の推移」だと私は思っている。
よくできる他人様のことなんか、全くどうでもいいのであって(^_^;、
最低基準を超えることが可能かどうかだけが、自分にとって意味があるのだ。

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