転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



宮城宗典の死後の一時期、ヒルビリー・バップスは
二代目のヴォーカリストを迎えて活動を再開したことがあったが、
それはかつてのヒルビリーとは別のバンドのようで、
私は到底受け入れられなかったし、当時の熱心なファンも、
多くは過去の思い出のために支援したに過ぎなかったように思う。

宮城宗典は、ロカビリーを引っさげて現れ、
あっという間に駆け抜けていった人だった。
彼が何であったのかを把握する暇(いとま)も無い早さだった。
少なくとも私にとって、この人は、
夭折したから伝説になったヴォーカリストではない。
今も色あせていない彼の歌や、当時のヒルビリー・バップスを聴くと、
そのたびに、もっともっと時間が欲しかったと思わずにいられない。
あれほどロカビリーに魅せられ、若くして既に鮮烈な歌い手だった彼は、
30歳になって、40歳になって、どんな歌を歌っただろうか。

『僕たちのピリオド』という87年5月に発売されたシングルでは、
Please, please, don't say goodbye
Please, please, don't say goodbye
というコーラスが、繰り返し、歌われていたのだけれど、
もう二度と、生きて歌う宮城宗典の声を聞くことができない今、
この歌詞は、あまりにも象徴的に響いてしまう。
ヒルビリー・バップスや宮城宗典が、これから、
私の中で「終わったもの」になることは考えられないし、
「さよなら」を言うことも、ずっと、ないと思う。

ヒルビリー・バップス:僕たちのピリオド(YouTube)


ヒルビリー・バップスは、結局、91年に解散した。
メジャーデビューして、たった四年という活動期間だった。
宮城宗典は、今、江東区亀戸の自性院に眠っており、
ファンの献花は、ささやかでも絶えることがないとのことだ。


***************

追記:サポートメンバーとしてしばしばライブに参加し、
ヒルビリー・バップスの後半期には正式メンバーとなった、
キーボードのライオンメリーを、
私はのちに、戸川純のライブ映像で見かけたことがあった。

また、宮城の死後の、ヒルビリー終盤の頃、
清志郎(のソックリさん・爆)がTHE TIMERSを結成したとき、
後ろでウッドベースを弾いていたのが、
ヒルビリー・バップスのベーシスト川上剛(のソックリさん・爆)だった。

The Timers:あこがれの北朝鮮(YouTube)

(了)

Trackback ( 0 )



« 近況 映画を観よう♪ »