転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



まとぶん(真飛聖)は、私にとっては、
詳しく知っているとは言い難い生徒さんなのだが、
今回の広島公演を観ていて、私は、ちょっと久しぶりで、
私の知っていた昔の「花組」らしいトップさんが来たな、
と感じて、嬉しく思った。

私が最も熱中して花組を観たのは大浦みずき時代なので、
どうしても、花組というと当時の舞台が私の中の初期設定なのだが、
私の思う「花組の路線系男役」というのは、
振り返ってみると、そこまでの途中で星組を経由していて、
「ダンスの花組」の象徴だった、洗練されたスタイルの基礎に、
星組系のキザな魅力を併せ持っている人が多かった。
私が勝手にまとぶんに感じた「花組らしさ」というのも、
そういうことなのだろうと思う。

まとぶんが星組育ちであることは私も漠然と知っていたのだが、
今回、少し調べてみたら、まとぶん本人の宝塚志望動機として、
『星組の日向薫、紫苑ゆう、麻路さきが黒いスーツを着て、
旧宝塚大劇場の赤い絨毯の上に立っているグラビアを見た瞬間、
ハッとしてここに入ろう、と思った』
という言葉がウィキペディアで紹介されていた。
私はこれで、まとぶんに感じた、「星組経由・花組主演者」の
根拠がよくわかった気がした。
私も、日向・紫苑・麻路の三人がいた頃の星組が
どのようなものであったかを、実際に観て知っているし、
そのエッセンスを、確かに今のまとぶんの中に見ることが出来る、
と改めて思ったからだ。

いずれどこかで主演をしたには違いなかっただろうが、
私は、まとぶんが花組に来てくれて本当に良かったと思った。
勿論、まとぶん以前の、最近の花組主演男役だった生徒さんたちを
否定する気は毛頭なく、皆、それぞれに素晴らしかったと思うのだが、
まとぶんには、私の好きだった「昭和終盤の花組」が持っていた香りを
久しぶりに感じられたので、それが私にとって懐かしかったわけだ。

しかし、まとぶんの演じた『哀しみのコルドバ』のエリオ役は、
私の印象の中の、ヤン(安寿ミラ)ちゃんの演技とはかなり違った。
ヤンちゃんは、飽くまで私の抱いたイメージの中で、
いつも、孤独な陰を持っていた男役さんだった。
実際にはコメディセンスも卓越したものがあったし、
明るい役柄や光り輝く舞台姿も記憶にあるのだけれど、
私が一番ヤンちゃんだと感じるのは、彼女がたったひとりで、
孤独な心と向き合うような演技をするときだった。
彼女の演じたエリオは(私の記憶ももはや古いので確かではないが)
華やかなマタドールでありながら、その内側には深い寂しさがあり、
エバとの幸福そうな愛でさえ、その結末が絶望的なものであることが、
無言のうちに暗示されているような雰囲気だったと思う。

その点、まとぶんのエリオは、伸びやかだった。
才能と勝負強さに恵まれたエリオ、彼の前途は洋々と開けて見えた。
周囲の者たちをも明るい光で包むようなエリオは、実に魅力的だった。
その彼の、運命のカギを握ることになったのが、エバ(桜乃彩音)。
生来の大らかさで、エリオは真っ直ぐに彼女を得ようとするのだが、
ふたりには何の非もない、その愛のために、彼は身を滅ぼすことになる。
まとぶんのエリオは、その運命の転換、コントラストが鮮やかだった。
登場時からエリオが「正」のエネルギーに満ちていればいるほど、
最後の彼の、大観衆の中で散る終焉の姿が、
「負」の極みとなって、際だち、印象的だった。

今回の舞台にはヤンちゃんが振付家ANJUとしても関わっていたので、
ある意味、両エリオの共演でもあったわけだ。
全国ツアーだったからこそ広島公演があり私も見ることが出来たのだが、
この公演は大劇場で上演すれば、もっと面白かったかもしれない、
と見終わってから思った。

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